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2019/06/07

端っこのスタンレーに別顔~香港懲教博物館

観光客が賑わってるスタンレーに立地されてるにもかかわらず、
わりとその存在があまり知らされてない博物館、
植民時代から現在までの香港の刑務所にかかわる歴史を知る、
まさに現役最古、
なおかつ最も有名な刑務所の隣にある「香港懲教博物館」に行ってきました。


入る前に庭では日本に関係ある「壁」が展示されてます。
本来は隣のスタンレー刑務所で建てられて、
高さ18フィート、厚さ18インチの壁でしたが、
太平洋戦争で日本軍による射撃を受けたもので、
さすが60年以上も使って老朽化のため、
建て替えた後に一部がこちらの場所で展示されるようになりました。


博物館が主に9つの展示エリアに分けられています。
順路ではなくてもそれぞれ見応えがあり、
生々しい展示物が見れます。
例えば手錠でも年代によって、違います。


刑務所の歴史などの紹介から、
最高責任者から職員制服までも丸ごとでわかりやすく展示されています。
大昔で死刑が行われて、
執行された後が映されてる写真もあり、
苦手な人は要注意です。


戦乱の中で刑務所と関係になる話でもその中で一部記載されながら、
実物も展示されています。
刑務所が日本軍に占領されて、
住民に軍票の強制両替など、
普段でもあまり語られてない占領時代の様子ですが、
ここである程度伺えることができます。



日本以外、
刑務関連と言ったら、
ベトナム難民も相当に悩まされていた。
70年代に入り、
政治不安による香港まで避難してくるベトナム人が急増して、
イギリス政府が香港を第一収容港として無条件で受け入れた。
人数もあまり多く、
言葉、文化も違えば、生活習慣、価値観も違う、
やむをえず難民キャンプ及び拘留センターを入れさせて隔離しながら、
身分を確認してから対処を決めて行くという取り決めにした。


選別した後、
非難民の強制送還による暴動が当時の香港に衝撃を与えて、
いつでも戦うように拘留中でも様々な武器を手作りしてたり、
衝突のニュースがよく耳にしてた頃がまさに社会問題になりました。
博物館でも精巧な細工が間近に見れます。
映画の道具ではなく、
本物です。


刑具は当然ここの最大の見所です。
我々が実際受けることもない、考えたこともない刑具が結構並んでいます。
まずこの1990年から廃止された体罰の刑具
その隣に未成年者用のもあります。


こちらは1993年から廃止された絞首刑の刑具です。
写真の下部にはレバーが見れます。
さらにその下は開けてる状態です。
やはり迫力あるコーナーで鳥肌が立ちます。



絞首刑を行うにはロープの長さがどう決めるか、
死刑犯の体重で決めたと壁では詳細な説明があります。


刑務所の部屋の様子も展示されていますが、
ここ以外に何ヶ所も拘留所や監獄の部屋の展示が見れますので、
特に大きいな変わりはなく、驚きと新鮮さもあまりないです。
ただし、部屋の中での細かい設備や容器などなら、
たしかにここが一番リアルです。


刑務所の中の生活が垣間みれる展示品も結構あります。
監禁されて支給されたたばご、
娯楽用のラジオ、かみそりもここで見つかります。


社会復帰のため更正施設で犯人たちから作られてるものも紹介されています。
実は街角でも彼らの汗、集中、気持ちを込めた製品だらけです。
ここに来なければ、知らないかもしれません。


二階建て、ざっくり一周にしても15分かからないこじんまりスケールで、
じっくり見たいなら、興味深い歴史が掘り出せる博物館になると思います。
せっかくスタンレーに来たら、
ひと味違うの場所に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?


場所:香港赤柱東頭灣道四十五號
開放時間:1000~1700(定休日:水曜日)
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2019/02/10

スリルの道は百年前から傑作

香港の繁華街にそろそろ制覇して、
郊外の様子を見てみようと思って、
大体皆さんが最初に思いついた場所はスタンレーでしょうか?
そして、
スタンレー行きバスの途中にダムの上に走る細い道を覚えていますか?
実は辺りは100年歴史もある法定遺跡群です。


全体の貯水湖群が4つに分けられて、
最も施工が早かった箇所が1883年からだそうです。
1917年、最後に完成された貯水湖である「大潭篤」ですが、
当時「アジアの第一ダム」と称賛されました。
今でも落成後まもない建てられた記念碑が健在です。
その横からダムの下への道があります。


ダムの下にはBBQ施設があり、
休日には賑わって談笑の音が途絶えることもなかった。
ダムの建築はコンクリートと花崗岩を併用して、
スタンレーと都心部に結ぶ道を支えて作られた。
本来は海まで面する設計だったが、
波の衝撃に耐えられない恐れがあったから、
今の場所に定められた。
この貯水湖の建設によって、
底に位置する村落「大潭篤村」が沈んだまま消えてしまった。


ちなみに、ダムの下にも取水ポンプ場や管理職員の寮まで建てられて、
香港映画「コールド・ウォー 香港警察 堕ちた正義」のロケ地にもなった。
別に映画ファンでもこの下り道でダムの迫力が十分感じられます。
若い人にとっては永遠のインスタ映えスポットにもなってるので、
決して危険な場所ではありません。
※できれば、付き添い友達と同行するのがベストです。


貯水湖群の21カ所の関連建築を巡るためのヘリテージトレイルがあります。
「大潭篤」貯水湖の反対方向に登って行けば、
大量の植民地時代の美学が目の当たりすることができます。
最初は平坦な道路、
水一本だけでも気軽にハイキングの気分を味わいます。


特に秋、冬の晴れる日に家族連れの人がゆっくり歩きながら、
風景を見たり、写真を撮ったりします。
途中でもピクニックやBBQできる場所が設けられています。
休日になると、
さらに混み合い、事前に場所を確保しておく必要があります。


貯水湖群の奥、トレイルのスタート点にある山中まで歩くには弱1時間、
しかも、坂道になっていくため、
体力に自信ない方が無理しないようにしてください。
めったり歴史建築に囲まれながら、
自然風景と生態も触れることができて、
さらにゆっくり散歩感覚で進めば、
きっと満喫できると思います。
このトレイルに秘められてるウンチク話や逸話はまだまだある、
貯水湖の建設チーフエンジニア【Daniel Jaffe】さんですが、
建設完了一年後壊血病を治療するために帰国、
その二年後に病死、享年46でした。
生前の貢献を記念するために、
湾仔にある道「謝斐道(Jaffe Road)」を命名した。


トレイルのスタート点にはもう一つ重要な歴史遺跡があります。
「群帶路里程碑」というひょっとしたら170年を超え、
道の名前か人を記念するためか地名の記載など諸説が紛らわしく、
当初「阿群」という香港人が瀑布湾に上陸したイギリス軍のため
地元しか知らない道で香港島の北岸までに案内してくれたことを記念して、
建てられた説が有力だった。


植民地警察のバッジや過去HSBC紋章のデザインもこの説をモチーフにした。
ビクトリアハーバーを背景にして、
西洋人らしき人物の二人と立ち並ぶ香港人らしきの「阿群」が絵となり、
上記の説を立証するように見え、
世間に「阿群帶路圖」と呼びます。

(インターネットから引用写真)

(インターネットから引用写真)

しかし、
1967年アバディーンの道端で「群帶路里程碑」が発見されたことによって、
今まで有力と言われる説を覆すようになった。
現在ほぼ真実が明らかに、
「群帶路」とは清の時代の歴史書類に記載された地名、
「群大路」という発音ほぼ「群帶路」と一致する場所ですが、
今のコーズウェイベイの辺りを指し、
植民地になった間もない頃に人口統計を行った時、
わずか50人の漁村でした。


発見された「群帶路里程碑」が現在香港歴史博物館に展示されていますが、
その後、ここにもう一個「群帶路里程碑」も発見されて、
表面に「Victoria 5 miles」、中文で「群帶路十八里」が刻まれ、
裏に「STANLEY 1 miles」、中文で「赤柱十四里」の文字がまだはっきり、
その後、薄扶林ダムにさらにもう一基同類の石碑が発見されたため、
道標的な役割として建てられたに違いない、
そして、「群帶路」という場所は当時植民地政府が香港島の北岸に、
作られた「ビットリア シティー」を指すことと確信されました。
その証拠となった歴史的な石碑が実際まだ触れれるものがここのみです。

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2018/12/06

【後編】香港唯一の校内ヘリテージトレイル

本篇は中学聖士提反書院(セントステファン中学)の歴史について、
簡単にご紹介したいと思います。
地元の子供たちへの英語教育を進みたい一心で、
1903年、香港のカイタック空港の産み親の一人~何啓氏を含め、
合わせた8人の商人や学者が植民政府に学校建設の提案をした末、
現在の香港大学の敷地に立地された校舎が建てられた。
1930年、今の場所に移転した以来、
ずっとスタンレーのシンボルの一つになっています。


土地は植民政府から提供されたが、
校舎自体がいろな方々や銀行までの募金で建てることができた。
「書院大楼」内にも当時のそれぞれ投じた金額の記載が残っています。


校内最も先に建てられた「書院大楼」ですが、
ほとんど花崗岩を使用し、
巨大な柱が立ち並ぶでできた回廊が植民スタイルに見える作りですが、
屋根は中国風の瓦が使用された、
香港の気候を考慮した作りでしたが
現在はコンクリートになってしまった。


H型となる2階建ての建物ですが、
前編の話のように今は学生と教員の宿舎や書斎、教員室になっています。


ブラッククリスマスの舞台になったホールですが、
二階に合わせて8000平方メートルの場所で、
蔵書冊数約60,000冊の図書館になっています。
残念なことで、
一般な方が入りません。



全校生徒900人が全体面積約15ヘクタールもある敷地で授業を行います。
香港に珍しい寄宿学校でもあり、
公立ではなく、私立でもない、
多少政府の援助を受けながら、自主性が失わない中学です。
創立当時が男子校だったが、
60年代以後は男女とも入学することができました。


校内の建築群がそれぞれ歴史建築に認定されて、
2008年、香港の唯一校内でできたヘリテージトレイルが設けられた。
一般な方のため、生徒自らガイドになり、
前編もご紹介した「文物展示館」などをご案内して頂きます。


確かにこの広さの敷地内に土地勘がわからない人ではなかなか苦戦です。
いつのまにか生徒の食堂あたりに連れてもらった。
一箇所ではなく、
食堂は数ヶ所も点在されています。
取材当日は日曜日のため、
あまり生徒の姿が見れません。


食堂の隣は「書院大楼」と同じぐらい歴史ある「馬田宿舍」です。
過去の校長先生を記念して命名した建物ですが、
こちらも生徒の教員の宿舎になっています。
食堂とランドリー部屋なども併設されています。
基本的に外に出ずにも生活できます。
宿舎に面するバスケットボール場やテニスコートがあり、
創立当時とあまり変わらないと伺っています。


次は敷地内最も高い場所である教会を案内してもらった。
1950年、日本占領時期を記念するために建てられた。
大虐殺の場所にもあり、
敷地内で幽霊に遭遇する話をしばしば聞いたため、
この教会を立った一説も生徒内にあれから流れています。



教会内になんと言ってもこのステンドグラスです。
収容所になった頃に飢えきった捕虜たちの生活ぶりが描かれています。
想像ではなく、
本当の写真の元に再現されたものです。


こちらは「北屋」、
1952年落成されて、2005年にリフォームされた。
今は女性生徒や教員戦用の宿舎になっています。
目の間にバスケットボール場、テニスコートやバーベキューも完備されます。


とにかく興味深い学校であって、
ところどころからの歴史のみならず、
学校生活の垣間見える生徒による解説がとても役に立ちます。


この二編の記事ではほんのわずかな学校のことをしか紹介できません。
実はこの学校が多く香港の映画でロケされたことがある、
日本人でも知られる作品は下記:
【歲月神偷】、【セーラ】(雛妓)、【空手道】、
【青春の光と影】 (失業生)など、
香港映画が好きな方もぜひ一度訪れてほしい場所です。


一人でもガイド付きでこのヘリテージトレイルツアーが参加できます。
ただし、英語と広東語の解説しか提供しないようです。
下記のサイトで事前に申し込めば、
返事次第にご参加することができます。
https://www.ssc.edu.hk/ssctrail/chi/index.html


ぜひとも、スタンレーの海沿い景色を堪能しに行く以外、
もう一つスタンレーの歴史も知って戴ければ、幸いです。

住所:香港島南區赤柱東頭灣道22號

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2018/12/05

【前編】聖士提反書院のブラッククリスマス

念願の建物を見学させて頂いたことができました。
香港の最もの辛いクリスマスがここにあった、
まさか学校で大虐殺が行われたとは誰も考えていなかった。
創立115年になって今年も12月に入ると、
どうしてもこの歴史が甦られ、
過去香港を防衛するための犠牲者たちに敬意を払いながら、
スタンレーを見守り続いた【聖士提反書院】をご紹介したいと思います。
(聖士提反書院➡セントステファン中学)


香港内に最も校舎敷地の面積が広い中学ですが、
それぞれの建物が歴史建築物と認定されます。
その上、
学校の玄関口にこのプレートに書かれてるように、
日本に占領された時にが収容所として山ほど民間人捕虜が拘束された。
微かな環境に立地された私立中学に一体何かあったでしょうか。


広々とした校内にこの高台からの眺めはとても印象的でした。
スタンレー湾が一望できながら、
香港には珍しい学校内の運動場も納めることができた。
それで読者も敷地のスケールを大体把握できるではないかと思います。


建築スタイルと役割について、
次の記事にまとめてやります。
今回はご紹介したいのが学校内で「書院大楼」という建物です。
敷地内一番古く(1930年)から建てられた、
男女生徒や教員の宿所、書斎、印刷室、教室など多様化に使用されています。


何と言ってもこの建物にも図書館があります。
その前には学校のホールとして使用された。


冒頭からお話をした大虐殺がこの玄関から入る場所に起きた。
取材当日から受けた説明による、
まさに下記写真の4つ柱の真ん中に起きた、
柱はあの当時のままで何もかわりませんでした。


1941年12月25日、
太平洋戦争による香港侵略が終焉に迎い、
植民政府のマーク・アイチソン・ヤング香港総督が日本に降伏した。
しかし、
最後まで守りの堅いスタンレーに布陣していた英軍と民間の志願兵ですが、
日本側に多数の死傷者が続出させたため、
クリスマスの日に学校を占領して、
まさしく当時が野戦病院が設営されているホールを発見した。
赤十字マークの掲示が見れながらも約60名傷病兵を銃剣で刺し殺した。


生き残られた牧師から目撃した証言による、
兵士以外、看護婦をはじめ、
病院付添人、医師、担架運搬手など約100名を別の一室に押し込んで、
その日の午後から深夜にかけて、
残酷な手段によって虐殺された。
また、宿舎にいる学生たちを守る教員の譚長萱氏もこの日に殺された。


虐殺後、近隣にある刑務所の守衛が専用する寮舎も含め、
校舎まで収容所にさせられた。
校舎だけで1000人の捕虜が拘束されて、
この「書院大楼」に370人も占められた。
終戦後、日本軍が校内の貴重品を盗み出し、
拘束された捕虜が燃料にして、
多くの場所も燃やされて破壊させた。
学校が最終的に修復できて再開したのが1947年でした。


学校敷地内から直結する道で「赤柱軍人墳場」(墓地)にも行ってみた。
当時虐殺された方々、
香港防衛戦争の犠牲者もここに埋葬されたと説明して頂きました。
先ほど話した学生のために犠牲になった教員『譚長萱氏』のお墓も見れます。


大人だけではなく、
生後間もない赤ちゃんのお墓もただただあります。
そして、外国人兵士以外、
名前すらはっきりわからない地元の方もここに埋葬されたようです。
「AH FONG、 AH FOOK。。」とは日本語で言うと〇〇ちゃん、〇〇ちゃん、
呼び方が同じであれば、入隊番号で付けられて分けるようにされます。


実は名前がわからないままで埋められた方も22名がいます。
壮絶な戦争の舞台になった学校とは切っても切れない墓地ですが、
学校経由で辿り着ける以外、
正面の入口から入ることができます。
毎日0800~1700一般公開されています。


墓地から再び学校敷地内に戻り、
もう一箇所が日本軍による破壊された場所をご案内されます。
一見ごく普通の建物ですが、
屋根が爆撃されたため、
終戦後の修復工事を加えて今の様子になった。
この二級歴史建築物の屋根以外、
ほぼ1930年落成された時とほぼ変わらないそうです。
現在は「文物展示館」として使用されています。


卒業生から寄付された多くの展示品で、
学校創立当時の模様、学校生活のあれこれがわかります。


日本占領された時期で収容所の歴史も触れ合うことができます。


捕虜から書かれた日記、手描き誕生日カード、刺繍入り枕、
などなどとんでもないものも見ることができます。
日本側に関連するものもあります。


また、収容所内で食糧不足による飢えきった痩せた人々の生活ぶりの紹介、
衣服もなかった時の代用品の展示もある中、
苦しい拘束生活で楽しく過ごツールも少なくありません。
狭い空間で博物館に匹敵する品の数々が点在されます。
わたしとしてはとても見応えがあります。


ブラッククリスマスに関わる部分はこれだけではないですが、
次に別の校舎内の建物をご紹介する際にまた触れると思います。
もちろん私以外にも一般の方でもこの校舎でじっくり歩き回れます。
しかもガイド付きで、
ぜひ、後編もご覧ください。


住所:香港島南區赤柱東頭灣道22號

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