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2019/04/23

植民地色まだ強く残されてる羅便臣道

世界一長い屋外エスカレーターを終点まで乗って、
降りて周辺までウロウロする人がどのぐらいいるだろう。
以前なら、
街中心部とそれほど差のない雰囲気も言えるが、
ここ数年で街の「再建」による、
久しぶりに終点辺り「羅便臣道」に散策してみたら、
あの忘れさせられた植民地色の匂いが依然漂い、
ひょっとして、
昔の香港に戻れる旅ができるようなタイムスリップした感じがあるから、
消える前に記録しておきたかったです。


元々香港には二本の「羅便臣道」があった、
こちら以外、
九龍の「彌敦道」(ネイザンロード)も「羅便臣道」と命名された。
それぞれも植民地総督ロビンソン氏の功績を称えるためでしたが、
ロビンソン違いでした。
任期の違うロビンソン総督でした。
混乱を避けるために『彌敦道』をより広くする、
より整備できた植民地総督Nathan氏の名前に変えました。


歴史長いのも今香港島ミッドレベルの「羅便臣道」の方です。
1870年頃既に完成した部分が今でも一部その跡が見れます。
道沿いに石積みような低フェンス壁こそ当時から建てられたものです。
ここが150年前から装備された道を想像できますか?


歩きながら、
煩わしい騒音は聞こえず、
人影も程よく、
突然に別世界に飛び入ったと思われる空間が今どきとしては貴重です。


この「羅便臣道」は昔から今でも著名人に愛される道、
お住まいになってる方々が数多いです。
それより、
世の中によく知らされてる歴史建築物ではないが、
相当する植民地色な建設が点在することが魅力です。
しかし、
香港の「再建設」ラッシュの勢いは衰えません。
既に目の前に来ています。
80号が既に高層マンションになっていますが、
実はその隣に二級歴史建築物が取り残されています。


ロンドン伝道協会が1893年に建てられて、
1939年より高層マンション敷地の元である病院の看護師の寮舎になり、
新の寮舎が落成した1950年以後、
ずっと廃墟状態のまま半世紀に過ぎ、
デベロッパーが2000年に病院の敷地を購入した後に、
この歴史建築が取り壊せないと知り、
外観だけ保留し、
内面を読書室、美容サロン、卓球室などクラブハウスにし、
マンション住民専用するような施設を決めたようですが、
あれから19年、
まだこの様子でどこまで進んでるかわかりませんが、
住民ではないわたしが外からしか伺うことできませんでした。


建物のほか、
バス停でも昔の仕様のものが取り残されています。
やはり以前の作りがシンプルで頑丈でしっくり来ます。


道に進み、すぐのどころにまた気になる建物が現れた。
香港映画での昔話にも出て来そうな感じな素朴さ、
地下では広々とした車庫、
どんな人達に住んでるだろうと想像し始まります。


しばらく眺めながら、
誰か有名人が出てこないかなと立ってたが、
残念ながら、
雨のせいか誰も遭遇しませんでした。
待ちながら、この辺の建物の情報を調べてみると、
なんと隣この50年以上の建物がもうすぐ中国資本から買収されるそうです。


ミッドレベルもますます植民地色が褪せていくだろう。
だからこのタイミングで散策してよかったと思えた。
もしかして、
この味ある階段が見れるのも最後かもしれません。


その世界一長い屋外エスカレーターの終点から最も近い見所、
まさしく15号にある「李星衢氏邸宅」です。
油麻地フェリーの創立者の一人として紹介されるとわかりやすいはず、
彼も80年代まで存在してた「華年銀行」の創立者ですが、
お亡くなり半世紀以上の今日はこの邸宅に住んでるのが遺族です。


現代とかけ離れてる外観がこの辺りの風景とはミスマッチです。
イギリス風の一軒家が窓や玄関口でもその作りを確認できます。
ガレージがちょうど空いてたので、
中の模様も撮影できました。


窓の柵を越しては多少中の様子を覗くことができるが、
さすがに人がまだ住んでいるので、
それ以上お邪魔することを控えます。
こちらの一族ですが、
香港のお金持ちの遺族宿命から逃れることができないみたい、
数年前から遺産紛争が勃発されています。
その中でこの邸宅が売却かしないも裁判を起こしてるようです。
果たしてどんな結果になるだろう。


「羅便臣道」にはこれだけではありません。
思ったより長くゆっくり散歩できる道です。
山頂や地面も人混みの世界から脱出したいなら、
この山腹辺りに現実逃避してもいいと思っています。
それより本当に植民地色がまだ何年持つかわからないから、
今のうちがおすすめです。

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2019/03/08

グリーンが満ち溢れてた香港

気づいてる方もいるだろうと思いますが、
香港の至る場所がなぜかこの「グリーン」を目に入る、
思い出してみてください。
街端にはみ出る屋台、露店から、
シンボル的な存在のスターフェリー、路面電車、
約30年前で使用してたピークトラムの車体まで
すべてがこの「グリーン」をテーマ色にした。
実はある理由で専門家からの分析でわかりました。


一般な視点としては、
この色が目立ちながら、耐用性があるという理由で使用し続けた。
一方、
屋台や露店の運営規制に関して、
外貌の色の指定など特にルールあるわけではありません。
基本的に色使いは自由です。


香港大学の副教授の李浩然氏が有力の説明による、
1945年戦後、
香港の経済発展がそれほど著しくなく、
社会的な消費風潮がどちらからというと保守的、
とにかく実用性を重視し、
単価が安いものを選ぶスタイルでした。
香港植民地政府もうそうでした。


この「グリーン」は第二次世界大戦で軍用車両など設備で使用してた色です。
戦後と伴い、
大量「グリーン」と軍艦で使用された「灰色」のペイントが残された。
在庫あまりにも莫大のため、
低価格で政府機関から民営事業までにさばくのが消耗する一番の近道。
まさに当時のニーズにビッタリです。


そして、この色が「緑」であることで、
ちょうど広東語の「禄」の発音が同じで、
福禄寿の「禄」の意味でも取られて、
縁起のよいことで一般市民まで受けられやすい説もあります。


さらに、
戦後まもない頃に、
物資不足の原因もあり、
建物などでも白や灰色の塗装がほとんど、
「グリーン」を使用すると、
目立つことで商売などにも有利ではないかと思われています。


大きなものから小さいなところまで、
この「グリーン」の存在が必ず気づいてると思います。
今もうあまり見れない石油ストーブ(広東語は「火水爐」)、
唐楼の窓枠、かつて公園などでも見れるベンチもこの色です。


しかしながら、
高度経済成長とともに生活も豊かになり、
使用できる物資も簡単に手に入れ、
色使いの選択肢も増えて来ます。
そのきっかけでこの香港の貧しい時代を象徴する色が見れなくなり、
逆に街の中で見つかると、
なぜか親しく写真を撮りたがる存在のテーマ色になっています。


ちなみに、
湾仔にある有名な「ブルーハウス」ですが、
青くになるのがペイントにまつわる偶然だそうです。
返還を機に古くなってる外壁を一新するという発想で、
最終的に取り壊す予定だった「ブルーハウス」を青くした。
なぜ「ブルー」を選んだかというと、
当時政府には最も在庫が多かったペイントは「水務署」だからです。


あまりにも奇抜な色がついてる建物で、
次第に有名になり、
多くの見物する人達まで呼び寄せる魅力にかわり、
政府が心機一転か一級歴史建築物を認定した上、
取り壊しの運命から逃れることができた。

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2019/02/10

スリルの道は百年前から傑作

香港の繁華街にそろそろ制覇して、
郊外の様子を見てみようと思って、
大体皆さんが最初に思いついた場所はスタンレーでしょうか?
そして、
スタンレー行きバスの途中にダムの上に走る細い道を覚えていますか?
実は辺りは100年歴史もある法定遺跡群です。


全体の貯水湖群が4つに分けられて、
最も施工が早かった箇所が1883年からだそうです。
1917年、最後に完成された貯水湖である「大潭篤」ですが、
当時「アジアの第一ダム」と称賛されました。
今でも落成後まもない建てられた記念碑が健在です。
その横からダムの下への道があります。


ダムの下にはBBQ施設があり、
休日には賑わって談笑の音が途絶えることもなかった。
ダムの建築はコンクリートと花崗岩を併用して、
スタンレーと都心部に結ぶ道を支えて作られた。
本来は海まで面する設計だったが、
波の衝撃に耐えられない恐れがあったから、
今の場所に定められた。
この貯水湖の建設によって、
底に位置する村落「大潭篤村」が沈んだまま消えてしまった。


ちなみに、ダムの下にも取水ポンプ場や管理職員の寮まで建てられて、
香港映画「コールド・ウォー 香港警察 堕ちた正義」のロケ地にもなった。
別に映画ファンでもこの下り道でダムの迫力が十分感じられます。
若い人にとっては永遠のインスタ映えスポットにもなってるので、
決して危険な場所ではありません。
※できれば、付き添い友達と同行するのがベストです。


貯水湖群の21カ所の関連建築を巡るためのヘリテージトレイルがあります。
「大潭篤」貯水湖の反対方向に登って行けば、
大量の植民地時代の美学が目の当たりすることができます。
最初は平坦な道路、
水一本だけでも気軽にハイキングの気分を味わいます。


特に秋、冬の晴れる日に家族連れの人がゆっくり歩きながら、
風景を見たり、写真を撮ったりします。
途中でもピクニックやBBQできる場所が設けられています。
休日になると、
さらに混み合い、事前に場所を確保しておく必要があります。


貯水湖群の奥、トレイルのスタート点にある山中まで歩くには弱1時間、
しかも、坂道になっていくため、
体力に自信ない方が無理しないようにしてください。
めったり歴史建築に囲まれながら、
自然風景と生態も触れることができて、
さらにゆっくり散歩感覚で進めば、
きっと満喫できると思います。
このトレイルに秘められてるウンチク話や逸話はまだまだある、
貯水湖の建設チーフエンジニア【Daniel Jaffe】さんですが、
建設完了一年後壊血病を治療するために帰国、
その二年後に病死、享年46でした。
生前の貢献を記念するために、
湾仔にある道「謝斐道(Jaffe Road)」を命名した。


トレイルのスタート点にはもう一つ重要な歴史遺跡があります。
「群帶路里程碑」というひょっとしたら170年を超え、
道の名前か人を記念するためか地名の記載など諸説が紛らわしく、
当初「阿群」という香港人が瀑布湾に上陸したイギリス軍のため
地元しか知らない道で香港島の北岸までに案内してくれたことを記念して、
建てられた説が有力だった。


植民地警察のバッジや過去HSBC紋章のデザインもこの説をモチーフにした。
ビクトリアハーバーを背景にして、
西洋人らしき人物の二人と立ち並ぶ香港人らしきの「阿群」が絵となり、
上記の説を立証するように見え、
世間に「阿群帶路圖」と呼びます。

(インターネットから引用写真)

(インターネットから引用写真)

しかし、
1967年アバディーンの道端で「群帶路里程碑」が発見されたことによって、
今まで有力と言われる説を覆すようになった。
現在ほぼ真実が明らかに、
「群帶路」とは清の時代の歴史書類に記載された地名、
「群大路」という発音ほぼ「群帶路」と一致する場所ですが、
今のコーズウェイベイの辺りを指し、
植民地になった間もない頃に人口統計を行った時、
わずか50人の漁村でした。


発見された「群帶路里程碑」が現在香港歴史博物館に展示されていますが、
その後、ここにもう一個「群帶路里程碑」も発見されて、
表面に「Victoria 5 miles」、中文で「群帶路十八里」が刻まれ、
裏に「STANLEY 1 miles」、中文で「赤柱十四里」の文字がまだはっきり、
その後、薄扶林ダムにさらにもう一基同類の石碑が発見されたため、
道標的な役割として建てられたに違いない、
そして、「群帶路」という場所は当時植民地政府が香港島の北岸に、
作られた「ビットリア シティー」を指すことと確信されました。
その証拠となった歴史的な石碑が実際まだ触れれるものがここのみです。

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2018/12/06

【後編】香港唯一の校内ヘリテージトレイル

本篇は中学聖士提反書院(セントステファン中学)の歴史について、
簡単にご紹介したいと思います。
地元の子供たちへの英語教育を進みたい一心で、
1903年、香港のカイタック空港の産み親の一人~何啓氏を含め、
合わせた8人の商人や学者が植民政府に学校建設の提案をした末、
現在の香港大学の敷地に立地された校舎が建てられた。
1930年、今の場所に移転した以来、
ずっとスタンレーのシンボルの一つになっています。


土地は植民政府から提供されたが、
校舎自体がいろな方々や銀行までの募金で建てることができた。
「書院大楼」内にも当時のそれぞれ投じた金額の記載が残っています。


校内最も先に建てられた「書院大楼」ですが、
ほとんど花崗岩を使用し、
巨大な柱が立ち並ぶでできた回廊が植民スタイルに見える作りですが、
屋根は中国風の瓦が使用された、
香港の気候を考慮した作りでしたが
現在はコンクリートになってしまった。


H型となる2階建ての建物ですが、
前編の話のように今は学生と教員の宿舎や書斎、教員室になっています。


ブラッククリスマスの舞台になったホールですが、
二階に合わせて8000平方メートルの場所で、
蔵書冊数約60,000冊の図書館になっています。
残念なことで、
一般な方が入りません。



全校生徒900人が全体面積約15ヘクタールもある敷地で授業を行います。
香港に珍しい寄宿学校でもあり、
公立ではなく、私立でもない、
多少政府の援助を受けながら、自主性が失わない中学です。
創立当時が男子校だったが、
60年代以後は男女とも入学することができました。


校内の建築群がそれぞれ歴史建築に認定されて、
2008年、香港の唯一校内でできたヘリテージトレイルが設けられた。
一般な方のため、生徒自らガイドになり、
前編もご紹介した「文物展示館」などをご案内して頂きます。


確かにこの広さの敷地内に土地勘がわからない人ではなかなか苦戦です。
いつのまにか生徒の食堂あたりに連れてもらった。
一箇所ではなく、
食堂は数ヶ所も点在されています。
取材当日は日曜日のため、
あまり生徒の姿が見れません。


食堂の隣は「書院大楼」と同じぐらい歴史ある「馬田宿舍」です。
過去の校長先生を記念して命名した建物ですが、
こちらも生徒の教員の宿舎になっています。
食堂とランドリー部屋なども併設されています。
基本的に外に出ずにも生活できます。
宿舎に面するバスケットボール場やテニスコートがあり、
創立当時とあまり変わらないと伺っています。


次は敷地内最も高い場所である教会を案内してもらった。
1950年、日本占領時期を記念するために建てられた。
大虐殺の場所にもあり、
敷地内で幽霊に遭遇する話をしばしば聞いたため、
この教会を立った一説も生徒内にあれから流れています。



教会内になんと言ってもこのステンドグラスです。
収容所になった頃に飢えきった捕虜たちの生活ぶりが描かれています。
想像ではなく、
本当の写真の元に再現されたものです。


こちらは「北屋」、
1952年落成されて、2005年にリフォームされた。
今は女性生徒や教員戦用の宿舎になっています。
目の間にバスケットボール場、テニスコートやバーベキューも完備されます。


とにかく興味深い学校であって、
ところどころからの歴史のみならず、
学校生活の垣間見える生徒による解説がとても役に立ちます。


この二編の記事ではほんのわずかな学校のことをしか紹介できません。
実はこの学校が多く香港の映画でロケされたことがある、
日本人でも知られる作品は下記:
【歲月神偷】、【セーラ】(雛妓)、【空手道】、
【青春の光と影】 (失業生)など、
香港映画が好きな方もぜひ一度訪れてほしい場所です。


一人でもガイド付きでこのヘリテージトレイルツアーが参加できます。
ただし、英語と広東語の解説しか提供しないようです。
下記のサイトで事前に申し込めば、
返事次第にご参加することができます。
https://www.ssc.edu.hk/ssctrail/chi/index.html


ぜひとも、スタンレーの海沿い景色を堪能しに行く以外、
もう一つスタンレーの歴史も知って戴ければ、幸いです。

住所:香港島南區赤柱東頭灣道22號

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