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2019/05/15

5人乗りのタクシーが消える日

現在香港で走ってるタクシーは4人乗りもあり、
5人乗りの2種類に分けられるとご存知ですか?、
90年代最盛期ではほとんど5人乗りでしたが、
実は80年代に一時期4人乗りのタクシーを導入したこともあります。
当時車内のスペースが狭く感じられたため、
しばらくにしたら、
姿が消えてしまった。
その後、
高度経済成長期もありながら、
少子化問題まだ表れてなかったことで、
5人乗りが一つの家庭にはぴったりので、
タクシーと言えば、
5人乗れるという連想が根付き始めた。


2008年頃から変化が見えてきます。
主なタクシーが使用される車両であるトヨタのコンフォートですが
規格が4人乗りになり、
その後、ハイブリッド車も同じく4人乗りのため、
次第に主流になってきます。
途中、
日産のCEDRIC Y31が香港マーケットに復帰して、
一時5人乗りの時代が戻ってくるではないかと思わせた。
残念なことで数年後生産停止となり、
変わりにNV200の車両を使用するものの、
既に4人乗り規格になってしまった。
ほかの外車であるフォードのタクシーでも4人乗りでした。


香港のタクシーがトヨタのコンフォートで独占されてることで、
5人乗り規格の新車を売り出さないと、
街に取り残されてるものが現役引退をすれば、
見えなくなるに違いないです。
つまり、「5 Seats」のこの表示も貴重品になってきます。
うわさによる、
中国製造の5人乗りタクシーの導入を検討してるみたいが、
個人的はあまり期待できません。


そもそも5人乗りはどういう風に乗るという疑問を持つ日本人がいるみたい、
前列がドライバーと並びに二人を乗り、
後列はそのまま3人で乗るのが一般的の乗り方です。
そして、
最近になるとタクシーの初乗り料金設定が低すぎて、
悪いサービスにつながる指摘が騒いでいます。
確かにほかの国に比べると、
特に日本とは対照的、
香港のタクシーは誰でもどんな時にも気軽に利用する存在です。
今思い出せば、
大昔の写真ではタクシーを使用してた車両はベンツなどの高級外車でした。


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2019/03/08

グリーンが満ち溢れてた香港

気づいてる方もいるだろうと思いますが、
香港の至る場所がなぜかこの「グリーン」を目に入る、
思い出してみてください。
街端にはみ出る屋台、露店から、
シンボル的な存在のスターフェリー、路面電車、
約30年前で使用してたピークトラムの車体まで
すべてがこの「グリーン」をテーマ色にした。
実はある理由で専門家からの分析でわかりました。


一般な視点としては、
この色が目立ちながら、耐用性があるという理由で使用し続けた。
一方、
屋台や露店の運営規制に関して、
外貌の色の指定など特にルールあるわけではありません。
基本的に色使いは自由です。


香港大学の副教授の李浩然氏が有力の説明による、
1945年戦後、
香港の経済発展がそれほど著しくなく、
社会的な消費風潮がどちらからというと保守的、
とにかく実用性を重視し、
単価が安いものを選ぶスタイルでした。
香港植民地政府もうそうでした。


この「グリーン」は第二次世界大戦で軍用車両など設備で使用してた色です。
戦後と伴い、
大量「グリーン」と軍艦で使用された「灰色」のペイントが残された。
在庫あまりにも莫大のため、
低価格で政府機関から民営事業までにさばくのが消耗する一番の近道。
まさに当時のニーズにビッタリです。


そして、この色が「緑」であることで、
ちょうど広東語の「禄」の発音が同じで、
福禄寿の「禄」の意味でも取られて、
縁起のよいことで一般市民まで受けられやすい説もあります。


さらに、
戦後まもない頃に、
物資不足の原因もあり、
建物などでも白や灰色の塗装がほとんど、
「グリーン」を使用すると、
目立つことで商売などにも有利ではないかと思われています。


大きなものから小さいなところまで、
この「グリーン」の存在が必ず気づいてると思います。
今もうあまり見れない石油ストーブ(広東語は「火水爐」)、
唐楼の窓枠、かつて公園などでも見れるベンチもこの色です。


しかしながら、
高度経済成長とともに生活も豊かになり、
使用できる物資も簡単に手に入れ、
色使いの選択肢も増えて来ます。
そのきっかけでこの香港の貧しい時代を象徴する色が見れなくなり、
逆に街の中で見つかると、
なぜか親しく写真を撮りたがる存在のテーマ色になっています。


ちなみに、
湾仔にある有名な「ブルーハウス」ですが、
青くになるのがペイントにまつわる偶然だそうです。
返還を機に古くなってる外壁を一新するという発想で、
最終的に取り壊す予定だった「ブルーハウス」を青くした。
なぜ「ブルー」を選んだかというと、
当時政府には最も在庫が多かったペイントは「水務署」だからです。


あまりにも奇抜な色がついてる建物で、
次第に有名になり、
多くの見物する人達まで呼び寄せる魅力にかわり、
政府が心機一転か一級歴史建築物を認定した上、
取り壊しの運命から逃れることができた。

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2018/11/12

夢のソフトクリームの移動販売トラック

街ぶらり途中、
もしかして見たことがあるこの可愛らしいトラックですが、
実は我々香港人にとっては子供からの憧れ、
遠くから流されてる世界の名曲『美しく青きドナウ』はまさに合言葉です。
ソフトクリームの移動販売をしてるよと周辺の皆さんをお知らせようです。
現在はわずか14台のみ取り残されてるのだそうで、


この14台も1978年に政府が移動屋台ライセンスの発行を廃止した、
新しく参入できなくなったからの貴重なもので、
減って行く一方に違いません。


香港でソフトクリームの移動販売トラックが現れたのが1970年だそうです。
一人の香港人~唐學元氏と仲間が1969年にイギリスへ旅行する時に、
路上で見て面白がってた勢いで、
アメリカである本社に特許権を取得しに行った。
そして、香港の初めてのソフトクリームの移動販売トラックが荃灣で行った。
当時初日は1時間で約1600本も売れた逸話もありました。


香港の本社は火炭であり、
社名ですが、
2010年に「Ng Enterprises Ltd.,」から「 Mobile Softee」に変更されました。
昔、たまたまそのトラックだらけの本社に通りかかったことがあって、
本当に全部ここに集結されていますね。


衛生条例で定められた通り、
それぞれのトラックはアイスクリームの機械とシンク、
二つの冷蔵庫が搭載されています。
つまりワンマンで移動から販売まで担当されています。
運転手もアイスクリーム作りができないと勤められないそうです。


一日のワークフローですが、
運転手が毎朝火炭までにトラックとソフトクリームの素材をもらいに行く、
本社が事前から制定された勤務場所シフト表を従って外に出ます。
基本的に完売できたら、勤務終了となります。
また、用事がある時に、
別の担当に変わってもらってもよいと自由な体制だそうです。


そこで皆さんも疑問とされると思いますが、
勤務場所は繁華街か閑散の地が偉く違いため、
本社ができるだけそれぞれ運転手に平等にシフトを制定されるそうです。


では、果たして香港ではどこかでこのトラックの姿が見れるでしょうか、
資料による以下の場所は全て各の運転手でローテーションで回っています。
尖沙咀天星碼頭
尖沙咀海防道
中環天星碼頭
灣仔金紫荊廣場
灣仔愛群道
港鐵灣仔站莊士敦道A3出口
銅鑼灣希慎廣場蘋果零售店側
港鐵銅鑼灣站E出口(SOGO正門對開)
維多利亞公園停車場
旺角朗豪坊附近
赤柱赤柱大街
港鐵大學站
港鐵九龍塘站
港鐵大圍站
港鐵沙田站下層小巴站
港鐵荃灣西站外
屯門恆福花園(鄰近三聖公共運輸交匯處/輕鐵三聖站)
屯門大興邨
屯門置樂花園
輕鐵銀座站對出
西貢墟西貢公共碼頭外
將軍澳圖書館外
港鐵沙田圍站
港鐵將軍澳站
沙田禾輋村附近
馬鞍山頌安邨附近
上水清河村門外
西環第三街廣豐臺外
西環正街正街街市
鴨脷洲海怡半島第四期近第三十一座外
大角咀詩歌舞街附近


平日は学校エリア付近、休日は観光客の多い場所に出没するだそうです。
ぜひこのコツを把握してチェックしてみてください。
オクトパスカードまで使えるので、気軽でも一杯は如何でしょうか?


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2018/04/03

盆菜宴会から垣間見る新界の一面

香港人すら、なかなか本格的な盆菜宴会が参加できないのに、
運がよくて、知り合いの誘いがあって参加できた。
盆菜と言えば、
新界の原住民から先代から引き継がれた伝統料理の一つです。
その由来は様々の説がありますが、
13世紀南宋末期に、
『元』の軍隊に追われた朝廷の君臣らが香港まで南下した際、
新界に通りかかった時に、
村人たちに熱く迎え入れられた。
しかし、持ってる高級食材や珍味をもてなすための入れ物が足りず、
切羽詰った村人たちが大きな木製の桶で盛り合わせて差し出した、
のちに盆菜までに進化されるという話が最も有力です。


盆菜宴会が昼でも夜でも開催されることも、
開催側になると思いますが、
今回の参加させて頂いた宴会は夕方からです。
午後5時半に新界にある囲村までに案内されたときに、
既に数えきれないほどひとたちが集まられています。
やはり囲村の住民とその親戚をはじめ、
親交のある仲良しの友人などしかこの宴会を誘わないみたいです。
それ以外、
宴会に欠かせない余興を担当するプロたちです。
囲村とは言え、
かなり本格的な機械、スピーカー、ステージまで一通り整って、
アマチュア歌手までをお願いして宴会を盛り上げってます。


盆菜宴会のスタートがバラバラなことは一般的だそうです。
とにかく、テーブルごとで定員数が集まれば、
すぐでも始まれます。
まったく知らない他人ではない、
きっとどんたの知り合い、親戚という内輪の人間だから、
相席なんで全然気にすることはありません。
当日は埋まってる席と誰もいない席しか見分けなかった。
宴会参加者が次から次へに円卓を埋めていくから、
我々のもすぐスタットを切りました。


盆菜について、
過去に【盆菜とは?】に軽く紹介しましたが、
もう少し細かく説明したら、
出来上がるまでに三日かかるという昔からの記載があります。
初日は山へ薪とり、十分な薪はないと、十分のご馳走が作れない、
二日目は新鮮な材料を揃えに買い出し、
三日目は丸一日をかけて料理するというあの時代だからの必要な工夫です。


伝統の盆菜の構成ですが、
上からそれぞれの食材で六層に重ねられます。
上の三層はガチョウ、鶏肉、エビや海の幸の干物など、
下の三層は大根、にんじん、豚皮がよく使われます。
煮汁のうまみが最上層から下の各層にしみ込み、
吸い込みやすい食材が置かれる最下層が全部を吸収し、
食べる順によって、
うまみが増していくという意図だと考えれます。


盆菜の下にあるコンロですが、
冷めないように一応火を付け続けています。
昔ではなかった現代的な発明の良さも取り入れました。
円卓の皆さんの写真時間が終わったら、
一斉に箸を差し、
好きな食べ物を拾ったり、
飲みながら、おしゃべったりし始めます。
特別なテーブルマナーが入りません。
ただし、途中アマチュア歌手の歌声や爆竹の音など、
思い寄らない音が飛び交っている、
のんぴり会話することはなかなかできません。


ちなみに、
盆菜は元々野菜がほとんど入ってない料理で、
由来からの分析ですが、
新界にどこでもありそうな野菜を朝廷の君臣に食べさせるなんで、
あまり価値のない料理を食べさせると同様の発想で、
あえて入れてなかったという説があります。


ただし、現代人の野菜不足を解消するには、
勝手に野菜を追加したりする習慣も珍しくないようです。
会場にも自らこの辺の野菜を取って洗って、
皆さんに配り、
即席に煮って食べる人もたくさんいます。
僕も含めでした。


なかなか具がありすぎて、
食べ切れない盆菜ですが、
円卓の皆さんのペースが落ちて来ます。
その時に、目を疑う光景が目撃しました。
空に舞い上がる花火がノンストップで15分も続きました。
もちろんその規模がビクトリアハーバーで行う花火大会のと比べられない、
高い建物のない広い新界の囲村の空に余計キレイに映った。


あの瞬間、金融都市の香港にいる感じがしなくなった、
かつての農村の時代にいると彷彿させられた。
爆竹、花火をするなんで、
厳密に言うと法律に反するのに、
なんでここでできるか疑問が既にあります。
そこで『新界』だからできるというモヤモヤな答えで片づけながら、
究明しようがないまま現在に至っています。
植民地になって150年以上にもかかわらず、
かわらないものはかわらない、
特に『新界』、
かわらない理由が何か今回の盆菜宴会で少し感じ取れました。
また機会があれば、ぜひ、お話をしたいです。


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2018/01/22

日差しで削れた建物たち

ぶらりしてる時に、
見上げると、
屋根付近から階段のような斜面になってる建物がたまに発見しませんか?
しかもなんとなく似たような角度で、
不思議と思いませんか?
実は過去の一つの法律によって、
こういうふうに建てなければなりませんでした。
それは1969年に『建築物条例』に「街影法」の追加することで、
香港に有数のビルが既定な形にさせられた。


まさに唐楼から現代化に進む象徴になる「法律」です。
それまでに4~7階が一般的でしたが、
次第に建物が15階建てが許されるようになりました。
さらに進化していくと、
20階に達するビルも現れました。
道の大半が増え続ける高い建物からの影で被られるではないか懸念され、
当時の植民地政府があらゆる専門家の意見を考慮した結果、
道の真ん中から屋根までの仰角は71.5度にすれば、
最大範囲の日差しが路上に当たるという計算で法律を制定しました。


空気の流通と日差しの確保が衛生面には欠かせない要素であり、
当時の道がまだそれほどキレイではなかったため、
極力に負担掛けないような建設が望ましかった。
「街影法」の導入を受けた建物が今は一目瞭然になっています。
間違いなく1969年から1987年までの間で建てられたものです。


しかし、理想の環境はあっという間に泡に、
90年代は建物が20階以上に建てなければならない時代に突入し、
30階、40階をはじめ、
今まで考えてなかった超高層ビルの建設ラッシュも展開され、
まさしく香港の高度経済成長期の真っ最中、
「街影法」はもう時代遅れの法律と見られ、
1987年より廃止されました。


その後、皆さんの公共空間の日差し、空気流通は誰も気にしなくなった。
カイタック空港の移転によって、
建物の高さ制限、形がやりたい放題の時代に、
いつのまにか壁のようなタワーマンション群が落成したり、
紅一点になる建築物も増えてきます。
とにかく、今はノーマークだから、
最大利益を追求する作りの仕上しかありません。
香港人にとって、
空気と日差しは貴重品になっています。


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2017/12/18

香港に二番古い~旧香港仔警署の現在

スタンレーの次、香港の最も古い警察署として知られ、
現在はNPOの支援を受けながら、
若い者の才能を発揮させる舞台となるティーンエイジャークラブに変身し、
ライブが行われたり、
落書きの練習場所になったり、
劇場になり、稽古の空間にも提供されたします。
わりと隠れてるような場所にあるので、
普段香港仔までに出掛けられる方があっさり通り過ごしてもおかしくない、
実は両側に様々な神様が置かれてる場所が入口です。
神様たちの存在もこの二級歴史建築の背景に関係するかもしれません。


坂道を沿いながら、本当の入口までは数分もかからなかった。
途中に分岐道の階段に切り替えても、
建物の裏側の入口に辿り着けます。
決して難しく、険しく道ではありません。
ご安心ください。


常識の範囲に閉めてるところに無断の立ち入りをしなければ、
一般的な外来者からの見学が歓迎されています。


1891年に海沿いの近隣にある丘という立地で建てられた警察署ですが、
日本からの占領される次期に攻撃の目標となり、
かなり破壊された上、
日本軍による、臨時の刑場にもさせられたこともあり、
数えきれないほどの命が落とされた。
同時に、幽霊が出る噂があの頃から途絶えることもなかった。
そのため、丘にある出入り場所がこんな神様が置かれたとのことです。


赤レンガで作られた警察署が主な三つ部分が分けられます。
本館は二階建て、
下の階は受付、牢屋、事務所に設定された、
二階は長官の宿舎になります。
寝室だけではなく、リビングルームなども備えられ、
二人でも住めれる立派な寮です。


本館より下に位置する一階建ての部分ですが、
かつては食堂とランドリールームだったらしい、
日本の言い方で「寄棟造の屋根」が特徴です。


取材当日、玄関口の前に大きな『舞火龍』用の本体が飾られています。
近くにある博扶林村の毎年で行われる時に使用されるものかどうか不明、
この距離で見るも迫力を感じます。


玄関口に入ってからすぐ階段が見え、
そして、目立つの落書きもあっちこっちみるようになります。
こちらも『火龍』を意味する絵でしょう。


二階から下へ眺めると、
『火龍』以外、階段こそ主役です。
今どきではなかなか見れない年代的なものです。
昔時代の風景が甦れそうです。


二階に広々とした回廊が一番見所です。
そこから「鴨脷洲」と挟まれる水域がはっきり見れます。
大昔、海賊などを監視するには絶好の場所に違いないです。
今はテーブルが立ち並ばれて、
飲み物を味わいながら、
この景色を眺めるなんで最高の贅沢になる場所になっています。


部屋に入れないものの、
窓越しで中の様子を伺うことができます。
何もありません。
何かの稽古場になってるでしょうね。


こちらの部屋は落書きが目立ってるが、
実際は地味に物置になってるようです。


再び一階に戻り、
カフェのような部屋を発見しました。
人の気配はまったく感じませんので、
写真を撮っただけ後にしました。
なんかのイベントが行われる時にしか営業しないだろう。


ここが警察署として利用されたのが1969年まででした。
当時香港仔の人口が急上昇し、
署内のスペースが足りなくなり、
出入りの車両が多くなることによって、
入口の坂道が窮屈になり、
次第に不便と感じられ、
現在の新香港仔警察署が完成されたとともに、
役割が変わってきます。
海洋警察の訓練学校や探偵の訓練学校などにもなってたが、
1994年から完全開き状態になり、
翌年に現在建物の所持者のNPOが破格な安さで入手できた後、
全面の手入れを終えてから、
今の姿になりました。


いくつの時代を超え、
この伝統的なイギリスの建築の味が褪せません。
取材するタイミングがよかったかどうかわからないが、
敷地内にあまり人に出会わなかった、
おかげでわりとゆっくり観覧することができました。


帰り道も昔風の道が見送ってくれるようです。
タイムスリップがこの道を抜けてからおしまいです。
わずかな時間ですが、
十分癒されました。


場所:香港仔大道116號 
営業時間:月、水、土(1000~1800)、火、木、金(1000~1000)

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