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2018/03/25

新界の誕生

イギリス植民地になるの前に、
「新界」という場所本来は存在していませんでした。
1842年、南京条約で清から「香港島」がイギリスに割譲した後、
1860年、北京条約で「九龍半島」も割譲しました。
のちに「新界」になる上記以外の領域、
1898年の展拓香港界址専条によって、
イギリスに99年間の期限で租借された。
つまり、九龍半島を東西に横切る【界限街】以北、
深圳河以南とそのほか233個の島を含めた領域です。
1937年、界限街以北~ライオンロック以南という新興市街地ですが、
イギリス植民地政府から「新九龍」と称するようになりました。
下記の当時植民地政府から発行した地図もこの名称で記載されています。


「香港島」、「九龍半島」、「新九龍」以外の領域に関して、
「新しい領土」を意味する英語「New Territories」で総称されまた。
広東語を訳すると、
「新界」という皆さんも聞き慣れてる香港地域の名称です。
そして、
そもそも「新界」にいる原住民ですが、
中国を統一した秦王時代の生活逸話が歴史書籍に記載されてるそうです。


今でも「新界」のいろな「囲村」に歴史的な遺跡、
当時君主からの贈り物などの記念物もみつかるはずです。
たとえば、この「元朗橫洲」に立地する「二聖宮」というお寺に、
清の康熙帝時代(1718年)に鋳造した大きな鐘が展示されることによって、
この辺りの原住民の歴史を証明する有力の裏付けになります。


「新界」に行くと、
下記写真のような三階建て家屋が多く見られるでしょうか?
香港では「丁屋」と呼ばれます。
実は生みの親は植民地政府でした、
1972年、「新界」で大規模な開拓を決行したものの、
原住民の協力を得ないと成し遂げないと痛感した結果、
年末に「新界小型屋宇政策」を実施した、
1890年代に父方が原住民と認められた人々の18歳以上の男子の子供には、
決められた土地内に一棟三階建て、
各層は700平方ftを超えない「丁屋」の建築権利が与えられます。
一生に一度のみですが、申請すれば、許可を下りてくれるようです。


この「新界」の原住民ならの「特権」に巡って、
政府とデベロッパーの間で近年に争議が起きているほか、
「新界」の原住民の「特権」が社会問題にもなっています。
なぜなら、
「新界」の原住民がいるほか、
「九龍半島」、「香港島」にもそれなりに原住民がいるのに、
なぜ「特権」はないかという素朴な疑問を持ってる人もいます。


返還前の植民地による解釈ですが、
1842年、1860年に結んだ条約では、
「九龍半島」、「香港島」をイギリスに割譲する形で、
租借とは違い、
原住民が自分の土地を強制に徴用したことに対しても反抗できない、
場所が分散されることと数少ない人数によって、
反抗しようがなかったことも考えられます。
「新界」の原住民が如何にイギリス植民政府を反抗したか、
過去元朗の錦田「吉慶圍」に関する記事でも多少把握できるはず。
まさにこの違いによって、
「新界」の「特権」が生まれて、
ゆくに「新界」のあらゆる風習が保たれたり、
香港の多様性が見られる理由になったかもしれません。

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2017/11/14

離島から陸地の典型例~元洲仔

昨日ご紹介した植民政府の新界行政を担当する役員の官邸ですが、
立地の選定はきっと十分の考慮をして、
あれだけ優れた場所であることだから決めたと思われます。
元々離島であって、
高台になる小山もあって、
しかも、吐露港を一望できるなんで、
一般人にそう簡単に近寄れないながら、アクセス便利と景色最高、
まさに理想なロケーションです。
100年後、遠くから眺めると、
変哲もない森のように見えますね。


下記約50年前の写真をご覧頂けるとわかると思いますが、
まさしく丸い島でした。
陸地からはわずかの盛土に頼ってつないでいます。
ちなみに、
歴史をさかのぼって振り返ると、
1000年前の【南漢】時代に、
この周辺は真珠を採集する聖地でしたそうです。
500年の【明】時代まではずっと盛んだとのことです。

(ネットから引用)

そして、完全に今のような陸地になったのが1970年代、
植民政府が大埔ニュータウンの開拓計画による、
埋立地工事が行われた後です。
現在海沿いの数々の公園も埋立地からもたらしたものです。


新しいできた建設があれば、
以前から変わらない建設もあります。
元洲仔に法定古跡の『自然保護の研究センター』以外、
この『大王爺廟』もなかなか目立ちます。
先ほどの話にもこの辺りが真珠採集の聖地の延長になりますが、
「鶴佬人」と呼ばれる潮州人系の漁民が多く海の周囲に生活してるため、
彼らが祀る水神~「大王爺」に対して、特に篤信します。
【清】の晩期に元洲仔に在住五大氏族より集金したで、
ここの『大王爺廟』が建てられました。


二回にわたった再建で今の外貌になった。
決して古き良きお寺の雰囲気が漂ってるわけではありませんが、
案外に見所が結構あります。
外壁にこの大きいな壁絵が見れます。
素朴な作りにこういう豪華な作りが隠れています。


一般のお寺のように、
普段は管理者がお寺の内部のメンテナンスが清掃が執行されます。


「大王爺」の席はここです。
厳粛で静かな空間そのものです。
写真を撮るのが自由ですが、
管理者が映されたくないため、
自ら退席しました。


神様以外、
元洲仔の過去の歴史写真が地元から提供されて、
寺内の壁に張り付けられています。
感慨深いものばっかりです。


壁絵は一箇所だけではなく、
お寺の奥行きにこのステキな一面があります。
この絵も案外に見所が結構あります。
外壁にこの大きいな壁絵が見れます。
素朴な作りにこういう豪華な作りが隠れています。


壁絵は一箇所だけではなく、
お寺の奥行きにこのステキな一面があります。
ちょうど迎い側にもう一個神様がいます。
漁民なら、絶対祀る対象となる「天后」様も設置されています。
当然、両方もお願いしても批判対象になりません。



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2017/08/28

冰なし極冷レモンティー~其記

え大澳と言えば、

海産物や蝦醤という一般観光客も知り尽くされてる名物がたくさん、

通になれば、

炭焼きの「雞蛋仔」(ベビーカステラ)が外せないと断言できます。

それ以外、最近すっかり週末食べ歩きパラダイスになってる大澳ですが、

まだまだ未開拓の領域が山ほどあります。

今回ご紹介したいのが香港唯一と言っても過言ではない、

冰を使わず、ギンギンに冷やしてありながら、

どこにも負けない濃さのレモンティーを提供する老舗。


実はこう見ても大澳に根ざした40年以上、

知る人ぞ知る地元の名店です。

レトログリーンのテーマカラーが目印です。

基本的に家族全体でお店を支えてる、

余計な店員さんが一切ありません。


ちょうど歩き回ったおかげ、

体感温度がMAXになっています。

ミルクティーの愛好者の私でも躊躇なしに、

アイスレモンティーをお願いしました。


じっくり観察した結果、

このまぼろしアイスレモンティーの作り方が簡単そうです。

まず常に冷えやしてるコップを取り出す、

冷蔵庫から事前に用意してある専用「茶」を投入した、

最後にレモン汁も注ぎ、かき混ぜたら、完成するようです。

作り方が丸裸にみせてるように堂々店頭に作られています。


果たして、そのお味は如何かというと、

かなり冷えてる凍檸茶(レモンティー)そのもの、

いつもなら、冰が溶けてくると、味が薄くなったり、

スライスレモンをつぶす手間の必要もなくなります。

そのかわり、変わった見た目で一瞬にこれは何という驚きがあります。

はっきり言って、香港レモンティーが大好きな人なら、

きっとこの濃厚な一杯もすぐ受け入れてくれます。


ほかのメニューですが、

基本的に軽食ものばっかり、

サンドイッチや麺類ものを中心になっています。

せっかくだから、

香港人がティータイムでよく食べる【餐肉煎蛋出前一丁】を食べてみた。

つまり、ランチョンミートと目玉焼きを出前一丁に乗せという感じです。


おそらくご主人の奥さんですが、

毎回注文を受けた後、そのまま出前一丁が箱から取り出し、

家で調理してるかように作り始めました、

こちらも堂々と見せたりして、

正真正銘に【出前一丁】を使ってるよとアピールしように見えます。

建前【公仔麺】(インスタント麺)のメニューでも、

【出前一丁】を使用するなら、別料金がいるろころが少ない、

香港の場合、【出前一丁】はあれだけの貴重品がわかって来るはずです。



出来具合はこんな感じです。

日本なら、これぐらい仕上げる状態は当たり前が、

なぜか香港で味わうと、

特別的な味になります。


風情の違いによって、

喉越しの感じも変わってくるだろう。

また、素朴さがつまってるところでも先入観があり、

案外にお手柔らかにした可能性もなくもないでは?


飾らない店頭、

まるで風景に溶け込んでる食パンたち、

愛嬌たっぷりです。


香港の屋台だけ許してしまう汚さ、

さりげなくアピールしてくるレトロ感、

普通のメニューでも普通の時間を作ってくれます。

大澳に新しい思い出作りには立ち寄るべきだと思いますよ。


住所:大澳吉慶街8號 
営業時間:0630~1630(平日)、0630~1700(土日)

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2017/08/07

青衣の発展に貢献した人達の村~涌尾村

40年前まだ孤島のような青衣ですが、(大昔は『春花落』と称されてる島)

船以外の交通手段は皆無でした。

そして、漁港から世界へアクセスするための通過点になり、

二十万人も密集されてる町になってるのが原住民の協力のおかげでした。

島内に重要な土地を拠点するいくつの村落が政府の説得を受け、

大移転を承諾したことによって、

ついに皆さんのご存知のような青衣に生まれ変わり始めました。


今回訪れたのが山腹にある「涌尾村」です。

囲村ではないので、

どこからでも入れそうな村作りで、

いきなりこの村を紹介するような壁絵で歓迎されます。


少しずつ進んでみると、

飲食店の裏に見える作業場が現れます。

よそ者にあまり警戒されていないようで、

まず一安心、さらに進もうと足が早まった。


すぐにも商店街のような通りの手前についたようです。

萌え萌えの看板だけでもそそられます。


わくわくしながら、ここのお店から入ってみます。

午後3時半すぎ、

地元だけの世間話の会しか行われてないみたい、

閑散としている店員さんまでその会を参加しています。


一杯でも飲んでみようと思ったが、

黒い雲が追われてるため、ゆっくりすることをやめて、

さらに道を進みます。

しかし、人の気配がどんどん感じなくなり、

平日の午後とは言え、

あまり元気なさそうな雰囲気が少し殺風景ですね、

普段の昼過ぎが大体こんな感じと下調べてわかったので、想定内でした。


村人に遭遇する前に、

鳥さんたちに出会ってしまった。

飼い主が見渡した限りいなかったため、

とりあえず、ご挨拶ぐらいしておきました。


途中、この村の役場のような建物にも見ました。

こちらもドアが閉まっています。


村の敷地内にグルグル回るうちにやっと空いてる売店を発見しました。

乾物屋さんのようです。


この閉まってる店の前の二つまな板が相当歴史あるだろう。

肉屋さんのものでしょうかね。


ここで村から少し脱出して、

300年以上歴史を持つ【天后廟】が近くに建てられてると聞いたから、

3分もかからない、別の村の中に、

小さいな【天后廟】が潜まれてると見つかった。

存在は300年以上があるが、二回に渡った移動、

三回の建て替えが行われたことによって、今の顔になった。

そこにある小さい池が必見、旅の疲れが癒されるかもしれません。


【天后廟】と別れた後に、

山の向い側に別のお寺を発見しました。

「伯公爺」を祀っているお寺、これまたしても規模小さくありません。

ちなみに、「伯公爺」とは土地神ような神様です。

寺巡りが好きな方なら、きっとこの山腹だけでも満足できると思います。


再び【涌尾村】に戻ったら、

目の前に村を創立する先祖様の「陳氏」の祖堂が二棟も建てられています。

こちらも扉がしっかり閉めてる、

祖堂はそう簡単に入る場所ではないですね。

話による、祖堂は【涌尾村】が大移転する前の模様のままで、

今の場所で再建された。


大移転の話ですが、

政府が当初【涌尾村】の住民の住んでた家の面積を応じて賠償したほか、

今皆さんがご覧になってる規格の三階建ての住宅も提供して、

住民以外、移転前に既にお店を経営されてる人に対しても、

同様の条件で説得しました。

結局、地元の人はもちろん、

かつて村人から愛されてるお店でも大移転できました。


史上の一番成功したと言われる大移転のおかげ、

老舗が老舗のままでしぶとく生息されるところで、

その美味しさの重鎮が今でも味わえることが幸せでいっぱいです。

その詳細は明日続きます。二十万人も密集されてる町になってるのが原住民の協力のおかげでした。

島内に重要な土地を拠点するいくつの村落が政府の説得を受け、◎◎

大移転を承諾したことによって、

ついに皆さんのご存知のような青衣に生まれ変わり始めました。


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2017/05/29

梅窩を知るための序の口~涌口村

かつてはランタオと言えば、『梅窩』しか結びつかなかった。

この香港一大きいな離島の中心部が『梅窩』という時代がありました。

過去の歴史書籍【史典】による、

千年前からこの地に塩作りの盛んな時代があった、

まさに皆さんのご存知するシルバーマインベイビーチの近くに、

たくさん塩田がありました。



実は昔の『梅窩』が今の『大澳』に並ぶ、大規模な漁村でしたが、

1862年、鉱産資源が発見されてから、

銀の採掘もするようになり、

19世紀に入る前の30数年間も掘り続けました。

銀山の洞窟の跡は今でも残っていますが、

今回そこまで行かなかった。(別の日に詳しく探索したいです。)


銀の採掘に従事した6つの村を含め、

『梅窩』の全体は12つの村があります。

400年歴史の村も存在してる中、

今回散策した『涌口村』もかなり古き良きな村で、

ぜひ、皆さんにご紹介したいです。


戦後、ランタオ内唯一香港島へのフェリーが開通したおかげもあるが、

石壁ダムの建設や大澳への道路建設の影響もあり、

『梅窩』の人口が増えていく一方です。

最盛期は二万人も及ぶ時期もありました。

この『涌口村』も結構賑わってた,

朝から路面のあらゆる店が営業し始め、

集まって来る人たちによって、

村の活気も満ち溢れてた。

あの【青馬大橋】の開通までには。




『涌口村』内にある【洪聖古廟】が170年前から建てられた、

清時代に流行した「二進、三開間」という建築です。


『梅窩』をはじめ、この周辺の村も【青馬大橋】の開通により、

巨大な変化をもたらした。

一時期、漁業や採鉱を依存するから脱却しようとし、

観光業に力を入れてたが、

最終的に漁村の小屋が撤去されて、

中途半端に繁盛だった村しか取り残されました。

取材当日にあの頃に地元に愛されてたお店の姿が覗いでみに行き、

そうすると、今どき風な島の風情が漂う店ばっかりに見れました。



木材屋、まるで映画のセットです。


雑貨屋に様々な香港のオリジナティーを表す商品が発見できた、

手ぶらで来る人はきっと後悔しますので、

エコバックぐらい持参した方が賢明だと思います。

お気に入りの雑貨がここで格安の価格で入手できるかもしれないからです。


茶餐廳やレストランを含め、それほどお店の数は多くありませんが、

お食事をしてからの散策をしたとしても、半日しかかかりません。

もちろん、『梅窩』はこの村だけではありません、

海沿いとかビーチまでのんぴりしたいなら、1日でも余裕に過ごせます。


元も残念なことは、『梅窩』の中でも有名な二級歴史建築物、

1920~40年に建設された【袁氏大屋】が間近で見ることができなかった。

『涌口村』から5分ほど離れてるところですが、

この橋は目印です。


ついたときに、既にこの無残な姿です。

この周辺に公共団地を建つために、

この住民が海賊の攻撃から身を守るために作った見張り台をはじめ、

ほぼ全体も取り壊す勢いで解体するようです。

話による、建物の一部が取り残す予定ですが、

どうなっていくだろう。


歴史な建築物から公共団地に変えるというナンセンスは絶句です。

しかも、この悲劇な漁村に大量他所な市民を住ませるという不惑、

果たして誰得と今でも頭の中に抱えています。


【青馬大橋】の開通により、一時期人口激減、

孤立な町と思われる『梅窩』ですが、

最近、政府から大型な町づくり計画をアピールするようになり、

人口島を作り、

東ランタオを新しい商業都会にするという夢の発展企画を実現したら、

2030年に『梅窩』の人口が30万~70万になる見込みと言われます。


あと13年、わずかな島の風情が味わえるうちに、

この素朴さを触れ合ってみてはいかがでしょうか?

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