かつてはランタオと言えば、『梅窩』しか結びつかなかった。
この香港一大きいな離島の中心部が『梅窩』という時代がありました。
過去の歴史書籍【史典】による、
千年前からこの地に塩作りの盛んな時代があった、
まさに皆さんのご存知するシルバーマインベイビーチの近くに、
たくさん塩田がありました。
実は昔の『梅窩』が今の『大澳』に並ぶ、大規模な漁村でしたが、
1862年、鉱産資源が発見されてから、
銀の採掘もするようになり、
19世紀に入る前の30数年間も掘り続けました。
銀山の洞窟の跡は今でも残っていますが、
今回そこまで行かなかった。(別の日に詳しく探索したいです。)
銀の採掘に従事した6つの村を含め、
『梅窩』の全体は12つの村があります。
400年歴史の村も存在してる中、
今回散策した『涌口村』もかなり古き良きな村で、
ぜひ、皆さんにご紹介したいです。
戦後、ランタオ内唯一香港島へのフェリーが開通したおかげもあるが、
石壁ダムの建設や大澳への道路建設の影響もあり、
『梅窩』の人口が増えていく一方です。
最盛期は二万人も及ぶ時期もありました。
この『涌口村』も結構賑わってた,
朝から路面のあらゆる店が営業し始め、
集まって来る人たちによって、
村の活気も満ち溢れてた。
あの【青馬大橋】の開通までには。
『涌口村』内にある【洪聖古廟】が170年前から建てられた、
清時代に流行した「二進、三開間」という建築です。
『梅窩』をはじめ、この周辺の村も【青馬大橋】の開通により、
巨大な変化をもたらした。
一時期、漁業や採鉱を依存するから脱却しようとし、
観光業に力を入れてたが、
最終的に漁村の小屋が撤去されて、
中途半端に繁盛だった村しか取り残されました。
取材当日にあの頃に地元に愛されてたお店の姿が覗いでみに行き、
そうすると、今どき風な島の風情が漂う店ばっかりに見れました。
木材屋、まるで映画のセットです。
雑貨屋に様々な香港のオリジナティーを表す商品が発見できた、
手ぶらで来る人はきっと後悔しますので、
エコバックぐらい持参した方が賢明だと思います。
お気に入りの雑貨がここで格安の価格で入手できるかもしれないからです。
茶餐廳やレストランを含め、それほどお店の数は多くありませんが、
お食事をしてからの散策をしたとしても、半日しかかかりません。
もちろん、『梅窩』はこの村だけではありません、
海沿いとかビーチまでのんぴりしたいなら、1日でも余裕に過ごせます。
元も残念なことは、『梅窩』の中でも有名な二級歴史建築物、
1920~40年に建設された【袁氏大屋】が間近で見ることができなかった。
『涌口村』から5分ほど離れてるところですが、
この橋は目印です。
ついたときに、既にこの無残な姿です。
この周辺に公共団地を建つために、
この住民が海賊の攻撃から身を守るために作った見張り台をはじめ、
ほぼ全体も取り壊す勢いで解体するようです。
話による、建物の一部が取り残す予定ですが、
どうなっていくだろう。
歴史な建築物から公共団地に変えるというナンセンスは絶句です。
しかも、この悲劇な漁村に大量他所な市民を住ませるという不惑、
果たして誰得と今でも頭の中に抱えています。
【青馬大橋】の開通により、一時期人口激減、
孤立な町と思われる『梅窩』ですが、
最近、政府から大型な町づくり計画をアピールするようになり、
人口島を作り、
東ランタオを新しい商業都会にするという夢の発展企画を実現したら、
2030年に『梅窩』の人口が30万~70万になる見込みと言われます。
あと13年、わずかな島の風情が味わえるうちに、
この素朴さを触れ合ってみてはいかがでしょうか?
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