2021/11/22

2021冬こそ命懸けの煲仔飯を食す~紹華小廚

 

ここの煲仔飯(ボーチャイファン/土鍋飯)がどうしても食べたかった!



2021年の年始、

コロナ禍の最中、

21日隔離を終えて、

頭に真っ先に絶対ここに行きたいと決めてた。



お店は筲箕灣の市場(香港では「街市」で呼ぶ)の構内にある、

実は開業10年ぐらい、

老舗ではありません。

オーナーの朱さんはシェフ出身で20年経歴持ち主です。

特に煲仔飯が大得意のため、

独立しても煲仔飯で勝負したいということだ。



煲仔飯作りは習得できたのがただ二日間で、

からと言って、

精通するまではかなり経験を積まないといけないみたいです。

朱さんによる、

コツはラードの適量の使用することです。

もちろん火の加減も大事です。


せっかく市場なので、

別のお店で新鮮なイカを買って、

朱さんから調理してもらいました。

香港ならの常連さん特権ですね。(常連は私ではない)



最初注文をしたのが北菇滑雞(シイタケと鳥肉)です。

蓋を開けた瞬間は湯けむりと香りが同時に噴出してきた、

食欲そそる具材の色を加え、

熱々も忘れず早速食べてしまう勢いで頂き始めようとし、

いざ、本物の味を嚙み締めるではないかと!



常連の友達が最初注文したのが臘腸排骨(広東サラミと排骨)です、

定番中の定番ですね。

さらに正確な食べ方を教えてもらった。

好み分量の醤油を入れた後、

よくかきまぜて、掘り返すをしっかりやることです。

下記のような写真の状態こそ最高の仕上がり、

今こそ頂けるぞ!



ここは最初ガスで煲仔飯を焼く(調理する)ですが、

どうしても炭火から焼いたもののでないと、

独特な香りが出せないため、

最終的に炭火に定着使用するようになった。

しかし、この炭火焼の営業許可はなかなか取りにくいもので、

香港ではこの手で煲仔飯作りをするお店は減る一方に違いないです。



我々二人であっという間に完食したにもかかわらず、

まさか一品追加で、拳句の果てに二人シェアすることになった。

最終的に咸蛋肉餅(塩卵入豚ミンチ)にしました。

お腹の満杯を知らず、

焦げも歯に残らないひたすら食べる二人で土鍋をきれいにした。



訪れた日は大満足しながら、

心配することもあります。

すべて煲仔飯が朱さんから炭火の前に一個一個を見守り、

作り上げた作品と言っても過言ではないが、

本人も自覚されると思います。

日頃の鼻くそも黒かったりするぐらい量の炭火の煙を吸い込んだわけです。

毎日あんなに間近にこの環境に置かれること、

決して体によいものではないと思うので、

いつまで命懸けの調理を続けて行くだろう。



またいつか再び訪れた日を願っています。

この絶品煲仔飯は毎年が冬の期間限定で提供されるので、

ある意味貴重な品で、

一度味わってみれば、

本物の煲仔飯はどんなものかわかります。

朱さんのこだわりとこの一杯の極意が絶対脳内に焼き付けると思います。

ぜひ!早めのうちに!(2021年の煲仔飯は始まったようです。)

場所:筲箕灣愛東邨熟食中心CF3舖
開放時間:07:00 - 22:30(不定休)
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2019/06/07

端っこのスタンレーに別顔~香港懲教博物館

観光客が賑わってるスタンレーに立地されてるにもかかわらず、
わりとその存在があまり知らされてない博物館、
植民時代から現在までの香港の刑務所にかかわる歴史を知る、
まさに現役最古、
なおかつ最も有名な刑務所の隣にある「香港懲教博物館」に行ってきました。


入る前に庭では日本に関係ある「壁」が展示されてます。
本来は隣のスタンレー刑務所で建てられて、
高さ18フィート、厚さ18インチの壁でしたが、
太平洋戦争で日本軍による射撃を受けたもので、
さすが60年以上も使って老朽化のため、
建て替えた後に一部がこちらの場所で展示されるようになりました。


博物館が主に9つの展示エリアに分けられています。
順路ではなくてもそれぞれ見応えがあり、
生々しい展示物が見れます。
例えば手錠でも年代によって、違います。


刑務所の歴史などの紹介から、
最高責任者から職員制服までも丸ごとでわかりやすく展示されています。
大昔で死刑が行われて、
執行された後が映されてる写真もあり、
苦手な人は要注意です。


戦乱の中で刑務所と関係になる話でもその中で一部記載されながら、
実物も展示されています。
刑務所が日本軍に占領されて、
住民に軍票の強制両替など、
普段でもあまり語られてない占領時代の様子ですが、
ここである程度伺えることができます。



日本以外、
刑務関連と言ったら、
ベトナム難民も相当に悩まされていた。
70年代に入り、
政治不安による香港まで避難してくるベトナム人が急増して、
イギリス政府が香港を第一収容港として無条件で受け入れた。
人数もあまり多く、
言葉、文化も違えば、生活習慣、価値観も違う、
やむをえず難民キャンプ及び拘留センターを入れさせて隔離しながら、
身分を確認してから対処を決めて行くという取り決めにした。


選別した後、
非難民の強制送還による暴動が当時の香港に衝撃を与えて、
いつでも戦うように拘留中でも様々な武器を手作りしてたり、
衝突のニュースがよく耳にしてた頃がまさに社会問題になりました。
博物館でも精巧な細工が間近に見れます。
映画の道具ではなく、
本物です。


刑具は当然ここの最大の見所です。
我々が実際受けることもない、考えたこともない刑具が結構並んでいます。
まずこの1990年から廃止された体罰の刑具
その隣に未成年者用のもあります。


こちらは1993年から廃止された絞首刑の刑具です。
写真の下部にはレバーが見れます。
さらにその下は開けてる状態です。
やはり迫力あるコーナーで鳥肌が立ちます。



絞首刑を行うにはロープの長さがどう決めるか、
死刑犯の体重で決めたと壁では詳細な説明があります。


刑務所の部屋の様子も展示されていますが、
ここ以外に何ヶ所も拘留所や監獄の部屋の展示が見れますので、
特に大きいな変わりはなく、驚きと新鮮さもあまりないです。
ただし、部屋の中での細かい設備や容器などなら、
たしかにここが一番リアルです。


刑務所の中の生活が垣間みれる展示品も結構あります。
監禁されて支給されたたばご、
娯楽用のラジオ、かみそりもここで見つかります。


社会復帰のため更正施設で犯人たちから作られてるものも紹介されています。
実は街角でも彼らの汗、集中、気持ちを込めた製品だらけです。
ここに来なければ、知らないかもしれません。


二階建て、ざっくり一周にしても15分かからないこじんまりスケールで、
じっくり見たいなら、興味深い歴史が掘り出せる博物館になると思います。
せっかくスタンレーに来たら、
ひと味違うの場所に立ち寄ってみてはいかがでしょうか?


場所:香港赤柱東頭灣道四十五號
開放時間:1000~1700(定休日:水曜日)
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2019/05/25

最高峰のハト丸焼きを味わう瑪寶鮮海鮮酒家

ハト料理を好んでわざわざ香港まで食べに来る方なら、
知る人ぞ知る名店の何軒を挙げてもここの名前が出て来ません。
飲食評論家から教えて頂くまでに上には上があることも知らなかった。
意外にも都心部を位置して、
海鮮レストランを名乗って、
実際どんな料理でも丁寧に仕上げて頂く、
一見さんから常連客に対しても優しい温かいまなざしを持ち、
いつも予約しないとなかなか入らないということを納得しました。


店内は特に変わった様子もなく、
今どき風のレストランという感じです。
但し、最高峰のハト丸焼きを頂くためには事前に予約をしないと、
その場では基本的に食べれません。
それ以外の有名な品の数々、
特に海鮮類も事前予約をした方が確実に食べれると教えて頂きました。


まず前菜からこのレストランの腕前を試してください。
決して適当なものを出しません感がプンプン、
漏れなく召し上がってください。


遂に待ちに待ったハトの丸焼きの登場です。
一羽で4つにわけられています。
一人の男の大人なら一羽を食べ切れるはず、
少食派か女性の場合は半分でも満腹になるかもしれません。
予約する際に見計らってから注文した方が無駄になりません。


仕上がった状態から見って、匂うと、
申し分がありません、完璧に近いです。
香ばしく、油濃さはなく、
皮のサクサク感が出来栄えだけで伝わってきます。


余分の油がなかったから、
噛み応えが抜群で、
肉汁まで堪能できます。
今まで他所で食べてきたハトとの差別がこの瞬間でわかるはず、
調理方法について、何かコツがあるというわけではなく、
とにかく気持ちをこめることだそうです。


次も予約しないと食べれない一品です。
「古法龍躉翅」(タマカイというハタ系の魚の古法蒸し)です。
高級の魚だけではなく、
蒸す以前は焼く手間なども相当掛けないといけないから、
現在一般のレストランではなかなか味わえない一品です。
柔かさ以外も焼いた部分の食感を交えて、
ご飯も進みます。
コラーゲンも十分含まれて、
女性にはうれしく病みつきになります。


ほかにもいろいろな絶品料理が一度味わう価値があります。
この「百花炸釀鮮蟹鉗」(カニの揚げ物)
見た目と食感は子ともにも愛されます。


こちらも看板メニューの一つ、
「蟹肉粉絲煲」(カニ肉と春雨の煮込み)です。
先にカニを調理して、
その後、春雨に胡椒を入れたり炒める、
汁はほぼ蒸発してから仕上げます。
さっぱりしながら、
ちょっと辛みが入っています、
完食したら、
ほかの炭水化物はいりません。


隠れメニューのような存在の一品です。
「金沙龍躉皮」(タマカイの皮厚揚げ)です。
せっかくの高級の魚をさばくなら、
残さずすべて調理するも香港流です。
お酒のあてにはぴったり、
なかなか注文できるお客さんがいなかったみたい、
食通ぶりを装ってお願いしてみてはいかがでしょうか?


本当食べた料理はまだまだあるが、
やはり普段あまり紹介されてない絶品、
今どき手間を省く風潮の中で、
まだこだわりを持ち、
珍味を提供し続けるレストランのものを中心におすすめしたいです。


チャーシュー、鶏の丸焼き、チャーハンなどなど、
すべて高水準のもので、
ここであまり有名ではない北京ダックもかなりハイレベルです。
立地を考えると、
妥当の値段で提供されています。
ちなみに、ワインなどの持ち込みは自由で、
ここまでお客さん目線で考えて接してくれるお店、
ぜひ、応援したくブログでも多くの日本人を紹介したいです。


住所:尖沙咀寶勒巷6-8號盈豐大廈3樓
営業時間:11:00 - 22:30(年中無休)

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2019/05/15

5人乗りのタクシーが消える日

現在香港で走ってるタクシーは4人乗りもあり、
5人乗りの2種類に分けられるとご存知ですか?、
90年代最盛期ではほとんど5人乗りでしたが、
実は80年代に一時期4人乗りのタクシーを導入したこともあります。
当時車内のスペースが狭く感じられたため、
しばらくにしたら、
姿が消えてしまった。
その後、
高度経済成長期もありながら、
少子化問題まだ表れてなかったことで、
5人乗りが一つの家庭にはぴったりので、
タクシーと言えば、
5人乗れるという連想が根付き始めた。


2008年頃から変化が見えてきます。
主なタクシーが使用される車両であるトヨタのコンフォートですが
規格が4人乗りになり、
その後、ハイブリッド車も同じく4人乗りのため、
次第に主流になってきます。
途中、
日産のCEDRIC Y31が香港マーケットに復帰して、
一時5人乗りの時代が戻ってくるではないかと思わせた。
残念なことで数年後生産停止となり、
変わりにNV200の車両を使用するものの、
既に4人乗り規格になってしまった。
ほかの外車であるフォードのタクシーでも4人乗りでした。


香港のタクシーがトヨタのコンフォートで独占されてることで、
5人乗り規格の新車を売り出さないと、
街に取り残されてるものが現役引退をすれば、
見えなくなるに違いないです。
つまり、「5 Seats」のこの表示も貴重品になってきます。
うわさによる、
中国製造の5人乗りタクシーの導入を検討してるみたいが、
個人的はあまり期待できません。


そもそも5人乗りはどういう風に乗るという疑問を持つ日本人がいるみたい、
前列がドライバーと並びに二人を乗り、
後列はそのまま3人で乗るのが一般的の乗り方です。
そして、
最近になるとタクシーの初乗り料金設定が低すぎて、
悪いサービスにつながる指摘が騒いでいます。
確かにほかの国に比べると、
特に日本とは対照的、
香港のタクシーは誰でもどんな時にも気軽に利用する存在です。
今思い出せば、
大昔の写真ではタクシーを使用してた車両はベンツなどの高級外車でした。


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2019/04/23

植民地色まだ強く残されてる羅便臣道

世界一長い屋外エスカレーターを終点まで乗って、
降りて周辺までウロウロする人がどのぐらいいるだろう。
以前なら、
街中心部とそれほど差のない雰囲気も言えるが、
ここ数年で街の「再建」による、
久しぶりに終点辺り「羅便臣道」に散策してみたら、
あの忘れさせられた植民地色の匂いが依然漂い、
ひょっとして、
昔の香港に戻れる旅ができるようなタイムスリップした感じがあるから、
消える前に記録しておきたかったです。


元々香港には二本の「羅便臣道」があった、
こちら以外、
九龍の「彌敦道」(ネイザンロード)も「羅便臣道」と命名された。
それぞれも植民地総督ロビンソン氏の功績を称えるためでしたが、
ロビンソン違いでした。
任期の違うロビンソン総督でした。
混乱を避けるために『彌敦道』をより広くする、
より整備できた植民地総督Nathan氏の名前に変えました。


歴史長いのも今香港島ミッドレベルの「羅便臣道」の方です。
1870年頃既に完成した部分が今でも一部その跡が見れます。
道沿いに石積みような低フェンス壁こそ当時から建てられたものです。
ここが150年前から装備された道を想像できますか?


歩きながら、
煩わしい騒音は聞こえず、
人影も程よく、
突然に別世界に飛び入ったと思われる空間が今どきとしては貴重です。


この「羅便臣道」は昔から今でも著名人に愛される道、
お住まいになってる方々が数多いです。
それより、
世の中によく知らされてる歴史建築物ではないが、
相当する植民地色な建設が点在することが魅力です。
しかし、
香港の「再建設」ラッシュの勢いは衰えません。
既に目の前に来ています。
80号が既に高層マンションになっていますが、
実はその隣に二級歴史建築物が取り残されています。


ロンドン伝道協会が1893年に建てられて、
1939年より高層マンション敷地の元である病院の看護師の寮舎になり、
新の寮舎が落成した1950年以後、
ずっと廃墟状態のまま半世紀に過ぎ、
デベロッパーが2000年に病院の敷地を購入した後に、
この歴史建築が取り壊せないと知り、
外観だけ保留し、
内面を読書室、美容サロン、卓球室などクラブハウスにし、
マンション住民専用するような施設を決めたようですが、
あれから19年、
まだこの様子でどこまで進んでるかわかりませんが、
住民ではないわたしが外からしか伺うことできませんでした。


建物のほか、
バス停でも昔の仕様のものが取り残されています。
やはり以前の作りがシンプルで頑丈でしっくり来ます。


道に進み、すぐのどころにまた気になる建物が現れた。
香港映画での昔話にも出て来そうな感じな素朴さ、
地下では広々とした車庫、
どんな人達に住んでるだろうと想像し始まります。


しばらく眺めながら、
誰か有名人が出てこないかなと立ってたが、
残念ながら、
雨のせいか誰も遭遇しませんでした。
待ちながら、この辺の建物の情報を調べてみると、
なんと隣この50年以上の建物がもうすぐ中国資本から買収されるそうです。


ミッドレベルもますます植民地色が褪せていくだろう。
だからこのタイミングで散策してよかったと思えた。
もしかして、
この味ある階段が見れるのも最後かもしれません。


その世界一長い屋外エスカレーターの終点から最も近い見所、
まさしく15号にある「李星衢氏邸宅」です。
油麻地フェリーの創立者の一人として紹介されるとわかりやすいはず、
彼も80年代まで存在してた「華年銀行」の創立者ですが、
お亡くなり半世紀以上の今日はこの邸宅に住んでるのが遺族です。


現代とかけ離れてる外観がこの辺りの風景とはミスマッチです。
イギリス風の一軒家が窓や玄関口でもその作りを確認できます。
ガレージがちょうど空いてたので、
中の模様も撮影できました。


窓の柵を越しては多少中の様子を覗くことができるが、
さすがに人がまだ住んでいるので、
それ以上お邪魔することを控えます。
こちらの一族ですが、
香港のお金持ちの遺族宿命から逃れることができないみたい、
数年前から遺産紛争が勃発されています。
その中でこの邸宅が売却かしないも裁判を起こしてるようです。
果たしてどんな結果になるだろう。


「羅便臣道」にはこれだけではありません。
思ったより長くゆっくり散歩できる道です。
山頂や地面も人混みの世界から脱出したいなら、
この山腹辺りに現実逃避してもいいと思っています。
それより本当に植民地色がまだ何年持つかわからないから、
今のうちがおすすめです。

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