2018/07/19

柵から騎樓の話

記事にするきっかけは読者からの質問です。
ガイドしながら、香港の古き良きエリアをご案内する際に、
「建物の壁や柱の近くに半円形の柵のようなものは何?」
まさに今まで気づいてなかった、
当たり前にありながら、
存在の意味をはじめ、
呼び名すら知りませんでした。


しかし、
かなり時間を掛けて探ってみたが、
この「物体」はいつから、どうのような経緯で、
あらゆる場所で取り付けるようになったか正解が今一つわかりません。
鉄職人から「太陽花(ひまわり)欄桿」と呼ぶらしい、
そして、世間に【風水】のためで取り付ける説を一蹴して、
実際は防犯用の柵であることと明かした


古い建物をはじめ、特に戦前の唐楼の外壁によく見かけます。
確かあの時代は高くても三、四階建て、
密集して立ち並ぶと、
「騎樓」という特徴を持つ建物が非常に犯行しやすくと思われます。


「騎樓」とは歩道に突き出るように柱が建てられて、
その上部が住居用の空間が作られた。
歩道の上に跨るような部屋ということで、
「騎樓」と称されるようになった。
発祥地はインドの説が最も有力です。
イギリスの植民地になってから多くの官僚が現地に移り住み、
気候の暑い土地にエアコンがまだなかった頃、
耐え難い理由で、
できるだけ歩道が直射日光を遮るような建て方に「開発」した


「騎樓」ある建築が増えていくことによって、
歩道回りの温度を抑えることができた上、
住居空間が最大限に拡大できることもなかなかのメリットです。
19世紀末からこの特徴ある建築が香港にやってきて、
1960年代の全盛期に向い、
その後、広州まで広めました。


実は当時建てられた「騎樓」ある建築が全て香港の建築条例に反した、
歩道までに指定された範囲に建てられないといけませんのに、
メリットを先行にして
条例を無視して強行建ち続けた。
ちょうど20世紀に入り、内陸から難民が香港に大量に押し寄せて来たため、
収容場所に困ってる香港政府がこのような条例違反で作られた空間に対して、
容認する姿勢に変わって来た。
許される条件の一つは「騎樓」の部分が密封しないことです。
今でも街中で外から中へ覗ける「騎樓」がたまに見れます。


そして、密封されてないからこそ、
地面に柱から登り上がるか隣から乗り越えてくる窃盗犯が現れやすくなり、
盗難を防ぐために、
冒頭から話した「太陽花欄桿」を取り付けるようになった原因と思われます。
それ以後、
他の建物も盗難設備として追加するのようになったかもしれません。


また、来港する難民人数が引き続き増えて行く一方によって、
本来「密封」しないという条件を破り大家が相次ぎ、
「騎樓」を「密封」して部屋にして、
人を貸し利益を得るとニーズを応じた。
1955年、政府もその収容力の実績を認め、
最終的に「密封」しない条件を取り消しました。
だから、
皆さんが現在街中で様々なタイプの「騎樓」ある建築物がみれます。
今の香港には「騎樓」ある建築物は100棟しか取り残されていません、
減って行くしかないと予想されてるので、
一刻も早く見ておいた方がいいと思っています。

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