2014/08/31

土地の占用

ビルとビルの間に、

こいう小さいな店をよく見かけない?

実際一部は勝手に作られた場所で営業してる店舗。


でも、長時間で占用したにもかかわらず、

本来の土地所持者が12年以内に訴訟を起せなかったら、

土地所有権が自動的に占用する人の手に入るという法律があるため、

このような昔から隙間で構えた店が生き続けられる。

ちなみに、

政府の土地を占用して60年であれば、

あの土地が占用する人のものになる。

有名なのがガーデン・ロードのピーク・ トラム駅の李永記花店です。

1899年からの開業らしいです。

昔ながら、

こいう土地がはっきりしない事情があるね、

今だと発生しにくい。

いらない水

いつも思うだけど、

このカップのお茶?必要かな?

熱湯でもない、

既に用意されたものだし、

おはし、フォーク、ライフを洗うためなら、

改めてもらえばいいのに、

結局形だけあって、

入れて、使うのが一般になりますね。

まさかこれを飲む人いないですね?

逆にこれいらないから、

安くしてほしいって思うよ。

2014/08/30

香港地ビール

香港の地ビールが復活!

正真正銘香港製造、

1995年から自社工場で製造し始めたようが、

経営不良で、

今年、創立者が諦めかけた時、

シンガーボールからやってきたビール専門家に助けられて、

このブランド再現することができた。

現在5つ種類のビールが販売し始め、

それぞれ香港の特徴を取られるラベルが貼り付けされ、

とてもかわいいです。

毎週5000本しか生産できないので、

きわめてプレミアムものですね。

販売されてるところも決まれてるでしょうね。

ビールの中身ですが、

ドイツとアメリカから輸入されてるものです。

しかし、

肝心な水は香港のものを使用しています。

味の方は好きな人もいれば、

そうではない人もいるようです。

でも、お土産にしたら、

喜ばせるものになるに間違いない。

ゆくゆく、ドラフトのビールも販売する予定です。

さっそく入手してみます!

2014/08/26

縁起のいい数字

昨日暗証番号の話で、

ちょっと思い出させてもらったことがある~

語呂合わせで4桁縁起のいい数字を思い出した。

それは1314、

広東語に直すと”一生一世”(この生涯ずっとみたいな意味ね。)

でも、1が5に変えると、

また変な意味になる。

5354で広東語に直すと"唔三唔四"(中途半端という意味だね。)

最後、ずっと前から思ったが、

1234の言い方により、

”いっらっしゃいません~”に聞こえる!

特に香港の日本食店で、

大体日本語わからないスタッフに、

こう教え込んでるではないかと思うぐらい。

”やっいーさんーせーい”!

2014/08/25

暗証番号

暗証番号について、

日本の暗証番号は4桁なのですが、

他国はどうなっているのでしょうか。

イタリアは5桁で、中国や香港・台湾・インドネシア・タイ・

韓国・マレーシア・フィリピン・シンガポール・ベトナムなどでは

暗証番号は6桁のようです。

4桁が世界標準ということではないようです。

香港人の身分証明書番号も6桁のため、

多く人のキャッシュカードの暗証番号は、

そのままの6桁文字を使用するらしいです。

そして、インターネットで使用暗証番号ですが、

8桁はほとんど、

生年月日でビッタリ埋め込むため、

以前よく使用されたが、

最近ごろはさすがに使えなくなるね。

日本みたいに、

1173←いい波

4649←よろしく

1151←いい恋

こいう縁起いい数字配列が香港にはないですね。

暗証番号を考えるのがちょっと工夫しないといけないね。

なぜか日本より、

香港でいっぱい暗証番号を覚えないといけなくて、

覚えられきれないから、

既に家のどかでメモしておきました。

大変!

太安樓

一昨日の雑誌で紹介されたマンション~太安樓、

西湾河にあるですが、

東区高速ハイウェイに通りかかった人は必ず見かけたはず。

1968年完成した建物ですが、

28階建て、合計1844室があって、

当時自称世界最大希望住宅団地と広告まで載せました。

確かに、団地につながってるモールで、

2つ映画館、ガソリンスタントまであった、

アジアでも最大の団地モールで認められたみたいです。

現在、このモールの中は多数のローカル食店で有名です。

ローカルの味を求める方はぜひ、行ってみてください。

ちなみに、"太興燒味餐廳"の第一号店はここで始まったです。


2014/08/23

鳳仙というアイス

このアイスを食べたことがある人いませんか?

わたしの世代にとって、

憧れのアイスでした。


バナナ+バニラ+パイナップルの組み合わせ、

”鳳仙”というネスレ社から創られた伝説なアイスですが、

先ほど既に生産終了の噂を聞いた、

本当なことなら、

かなり残念だと思います。

一つ香港の代表的な象徴がなくなるのが寂しく感じますね。

2014/08/22

境に関する話

1899年に拓展界址專條を締結し、

英国は更に新界を99年租借し、

香港の植民地の一部に組み込んだ。

でも、当時イギリス側から提示した割譲部分ですが、

図のBラインの通りでした。

”新界”に対して、知識不足のため、

適度でつけたかもしれませんね、

現在シンセンや、布吉(ブージー)までのはずだった。

もちろん最終的に中国側の”新界”という認識を沿って、

今のシンセン河を境に香港と区切られることにした。

図のAラインの通りです。

当時珍しく中国側の強気に負けたイギリスでした。

2014/08/21

南丫島

南丫島(Lamma Island)は小さい島ですが、

6000人ぐらいも住んでいる、

中には外国人も結構いますね!



なぜか外国人がそこの島に住むようになるかどういうと、

それは発電所の存在であることがきっかけでした。

そもそも発電所は”鴨脷州”にあって、

1990年代、住宅地を開拓するために、

発電所を引っ越すことになって、

かかわるエンジニアさんもそこに引っ越し、

よって、

少しずつ外国人が集まるようになった。

一番すごい時は、

60つ民族の人もこの島で集結されたそうです。

返還後、

外国人のエンジニアさんが帰国することが多く、

以前のような賑やかさがちょっと落ち着くようになったね。

ちなみに、

香港の第一台の風力発電機はここで建設された。

2014/08/13

香港を舞台にする海外映画


投稿の詳細報告された統計は、投稿の表示内容よりも遅れている可能性があります
香港を舞台にした海外の映画の一番最初は1955年でした。
ウィリアム・ホールデンから主演する『慕情』
(Love Is a Many-Splendored Thing)でした。
ちょこっと見れるはここ:


そして、香港出身の女優として、
初めて海外映画の主役を務めるのがナンシー・クワンさんです。
しかも、この映画も香港も舞台にしたラブストーリー、
”スージー・ウォンの世界”、1960年でした。
ストーリー内容はここ:

この一連の映画で、
香港の名は少しずつ世界に知らされた。
なぜか飲み屋、バーを集結する街が湾仔にあるか疑問を持つ人、
まずこれをみれば、
わかると思います。
他の見所:
1)広い港、高いビルなかった見下ろす風景
2) ナンシー・クワンさんの広東語(外国人に騙せる広東語)
3) 香港仔(Aberdeen)の漁民たちの生活ぶり
4) 大坑 (Tai Hang)まだ高級住宅区になってなかった頃
  <映画中、ナンシー・クワンさんの実家)
とにかく、香港の過去の様子を堪能したいなら、
ぜひ、これをご覧ください。
(日本はこの映画を借りれるかな?)
では、日本はお盆休みですね。
わたしも、少し休みます。
また、来週!

2014/08/07

香港道路に関する記録

香港道路に関するいろいろ記録

一番長い道路:青山公路(Castle Peak Road)56キロメートル

一番短い道路:樂葵徑 (Lok Kwai Path)12メートル

一番高い道路:大帽山道(Tai Mo Shan Road)標高:930メートル

一番最初作られた道路:荷李活道 (Hollywood Road)

一番東の道路:西貢萬宜路 (Sai Kung Man Yee Road)

一番南の道路:長洲山頂道西(Cheung Chau Peak Road West)

一番西の道路:石仔埗街(Shek Tsai Po Street)大澳にあります。

一番北の道路:蓮麻坑路 (Lin Ma Hang Road)

最長英語名の道路:康樂園第二十七街 / 大埔にあります。
          (Hong Lok Yuen Twenty-seventh Street) 

最短英語名の道路:華里 (Wa Lane) 上環にあります

2014/08/05

維他奶

香港人は、牛乳から育てられるではなく、

維他奶で育てられると言っても過言ではないですね。

我々の世帯なら、

子供の時、維他奶とは不動な存在でした。

維他奶は1940年4月3日で誕生、

最初、工場はコーズウェイベイ記利佐治街で設立された。

発売の初日は6瓶しか売れてなかった。

そもそも、何で維他奶が現れたかというと、

それは当時の牛乳価格が高くて、

1瓶で0.5香港ドルは一般市民にはあまり負担できない値段のため、

羅桂祥博士が大豆を利用して、

栄養豊富な豆乳を作られたら、

牛乳の代替品として、

庶民に手頃価格で提供できるではないかと考案した製品です。

1瓶で0.06ドルでした。

販売し始めた頃、

まったく殺菌処理はしてなかったので、

当日で飲まないと悪くなるという弱点がありました。

多くても一日1000瓶しか売れなくて、

大人気にはならなかった、

そして、1953年に高温加熱殺菌処理を行うようになって、

冷蔵しなくなっても飲めるようになると、

売り上げが急増、年間1200瓶まで伸ばした。

1975年から、今よく見かける250MLバック包装式が誕生、

1979年、”維他”のブランドで豆乳製品以外の檸檬茶同菊花茶も誕生、

今では、すっかり定番になりましたね。

我々学校の食堂や売店では、

コーラか維他奶どちらかの選択少なかった時代でしたので、

栄養ある維他奶を選ぶことが多かったですね。

ちなみに。。。。。。

羅桂祥博士は兄弟います。

弟:羅騰祥さんはファーストフードチェーン店の大家樂の創立人の一人
弟:羅芳祥さんはファーストフードチェーン店の大快活の創立人の一人

未婚男女の統計

香港統計署により、

2013年の未婚男女の数字統計ができました。

なんと30歳以上未婚女性が17万人に近く、

男性も20万に近いですね。

ますます晩婚や不婚の時代が訪れたでは?

日本もこの傾向があるでしょうね?

香港はお見合いとか、結婚相談所が最近わりとホットだね。

2014/08/04

植民地になったきっかけとなる滝

香港が植民地になるきっかけの一つの『瀑布湾』(Waterfall Bay)、
香港島の南西部にあります。
公営住宅団地の『華富邨』のすぐ近くです。
写真から見るとすごい綺麗な滝でもないと思われるかもしれないが、
1750年代の時、今以上何倍も綺麗だそうです。

 
当時、イギリスは中国と貿易が盛んできて、
特に中国の最大貿易港~広州への往復が多かった。
ある日、イギリスの貿易船隊が広州に行く途中、
偶然、この滝を発見しました。
しかも、滝の水が透き通り、美味しいそうで、
徐々に評判が広がり、
場所的に南丫島に面して、
風を交わす最適場所もあり、
船隊がここで止まったり、
休憩をしたり、給水するなどピッタリと思われた。


次第に、イギリス人が地元との交流が増えて、
香港のことを少しずつ認識してきて、
さらに、香港島の裏側に水深の深い港もあるとわかって、
今後中国との貿易がもっとスムーズ進むために、
香港を基地にした方がよいという考えが芽生えました。
そこからイギリス人が香港を占領するルーツでした。


あの頃ほどキレイではなかったが、
もし植民地になるルーツの地に訪れてみたいなら、
まずバスで『華富邨』までに来て、
降りてからこの滝により命名された道「瀑布湾道」を沿いか
団地の「華明楼」の周辺にある公園で、
下記のような変わったベンチが矢印として、
海に向ってる細い道で進んでください。


左側のブルーフェンスも重要な矢印です。


途中、階段道で降りて行きます。


最後の最後に柵が閉じ込められてるはずですが、
その時に、
右にあるかなり乗り越えた跡がたくさん残されてるフェンスが見れるはず。
覚悟ができたら、乗り越えて階段道を沿って降りてください。
一応、泳げない場所として一般市民に開放しないため、
常に通路がロックされています。
写真撮り程度なら、一般的に容認されています。
事故はもちろん個人責任です。


柵超えた後はこの程度の階段しか残っていないので、
気を付けば、大怪我になることは考えにくいです。
取材当日も結婚写真を撮るカップルと撮影隊も遭遇したし、
決して断じて立ち入り禁止の地ではありません。
ご安心ください。


滝以外、謎の建物群の遺跡も見れますが、
確認したところで、
第二次世界大戦の時に建てられた掩体壕だそうです。


夏に行く時でも涼しく感じる滝から流れ続ける水、
大きな木からの影によって、
絶好な休憩する場所となっています。
軽くピクニックや散策途中のランチなら、
おすすめします。


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2014/08/01

タウンガスの配管

香港でタウンガスの供給範囲、

配管はどのルートで回されてる、

ガスがどこで作られてる、

ガスがどこから輸入されてる、

この絵で一目瞭然。

9割以上は大埔,

残りは牛頭角。

最後は中国からの輸入です。

みんなさん、

一度認識をした方がいいと思います。

香港警察

香港警察って、よく”差人”<広東語で’ちゃいやん”>と呼ばれてるが、

映画「無間道」<インファナル・アフェア>でのトニーさんさんが、

「あいにく、俺は警官」の警官でいうことだ。

そもそも、なぜ、”差人”というですか?

香港警察が1844年5月1日正式に始動する時、

中国清代に同様の役割の”衙門差役”を引用して、

殖民地政府が”香港差役”を訳しましたことで、

一般の人が”差人”を呼ぶようになった。

もう一つ”差人”に関する説があります。

1841年、香港が植民地になったと伴い、

人口も急激増え始めた。

最初の7500人から、

1862年の12万人になった。

殖民政府が当時イギリスで支配されてるインドに募集をかけた。


それによって、

香港人以外、インド人も警察に成られた。

当時の人がインド人のこと、”摩羅”を呼んでるから、

さらに、インド人の警察が”摩羅差(叉)”を呼び始めるようになった。

結局、今香港人がインド人を全般に”阿差(叉)”を呼ぶようになった。

ちなみに、政府から物件所持者に徴収された”差餉’(間接税金の一つ)、

”差餉”の"差”は警察のことを指してる、

つまり、警察の給料の元はそこはそのうちの一つの源です。

興味ある方は、

ぜひ、警隊博物館(Police Museum)までに見に来てください。

狭いものの、とっても面白いです。

住所 : 27 Coombe Road, The Peak, Hong Kong.