2018/12/10

具材を最優先にする火鍋屋~潮牛莊

肌寒く感じる季節になると、
無償に火鍋を食べたくなりませんか?
香港の王道火鍋はもちろん牛を中心するものですが、
実はよく食べられてる牛、むしろ香港人よく「肥牛」と呼ばれるところ、
主な牛バラという部分で、
食感と脂っこさもベストではないです。


今回ご紹介したいのが香港にわずかお店で仕入れできる部位、
最高峰の牛でゆっくりに火鍋を堪能できるお店です。
皆さんのイメージとは違って、
一人ぞれぞれの座る場所の前に個人用の鍋が注文できます。
辛いトムヤムクンから体にいい漢方スープの鍋スープベースも注文できます。
一人様で気楽で自由のように食べれます。


肝心な鍋ようの具材ですが、
当然牛になります。
その中で3種類のものが絶対見逃さないでほしいです。
まずは「挽手」です。
バラに直結する胸の肉であります。
一頭の牛には0.5キロもない貴重な部位でもあります。
最も脂っこさがあって、
3秒~5秒ぐらい鍋に入れたら、食べれます。
すぐ口に溶けるこはなく、しっかり歯ごたえでした。
肉ではなく、刺身を彷彿させた食感の絶品です。


次に「腰咀」です。
頸椎と頭の間わずかな部位で、
牛の香りが茹でた後に思いっきり発散されます。
油が乗ってるものの、
喉越しは非常によかった。


最後は「爪邊」です。
つまり肋骨に最も脂肪がついてる部位です。
ほどよい食感と濃厚な味が特徴で、
牛の大好きな人なら、
絶対飽きません。


しかし、
以上の3種類が品切れ時もあります。
なぜなら、
この店のこだわりのひとつとして、
わずか香港で調達できる「騸牯牛」しか使用しないからです。
(※「騸牯牛」とは以前⇓この記事でご紹介しました。)
https://hongkongsoul.blogspot.com/2017/07/blog-post_1.html

お早目の時間帯の入店か先に予約した方が食べれる確率が高いです。あります。


牛以外、
香港の火鍋を熟知してる人なら、
外さないも結構何点もありますが、
「響鈴」という湯葉を素揚げにしたものがかなり愛されるはす。
お客さんが注文してから揚げるもお店のこだわりの一つ、
だからこのアツアツ、サクサクの食感がここしか味わえません。
体によくないとわかっていてもついつい食べてしまった。


もし牛が苦手の人なら、
ここでも新鮮な魚介類から豊富な品種のワンタンや肉団子も揃われてる、
とにかく、一人から大勢も楽しめる設定されるメニューがあるので、
初めて香港で火鍋を楽しみたい、
屋台や超ローカルのお店に入りつらいであれば、
ぜひ、気軽に入店してみてください。


ちなみに、
お店には個室があって、
噂による芸能人もお忍びで通っているらしいです。
また、昼では昼らしいメニューもあります。
牛バラ麺を愛する人達に必見と言いたいところが、
僕はまだ試したことないので、
超おすすめと正々堂々に言えません。


夜の火鍋なら、
このロケーションと具材の品質では優れたコストパフォーマンスの一軒です。

住所:尖沙咀金馬倫道23號金馬倫廣場2樓A號舖
営業時間:月~日(12:00 - 16:00/17:30 - 01:00)

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2018/12/06

【後編】香港唯一の校内ヘリテージトレイル

本篇は中学聖士提反書院(セントステファン中学)の歴史について、
簡単にご紹介したいと思います。
地元の子供たちへの英語教育を進みたい一心で、
1903年、香港のカイタック空港の産み親の一人~何啓氏を含め、
合わせた8人の商人や学者が植民政府に学校建設の提案をした末、
現在の香港大学の敷地に立地された校舎が建てられた。
1930年、今の場所に移転した以来、
ずっとスタンレーのシンボルの一つになっています。


土地は植民政府から提供されたが、
校舎自体がいろな方々や銀行までの募金で建てることができた。
「書院大楼」内にも当時のそれぞれ投じた金額の記載が残っています。


校内最も先に建てられた「書院大楼」ですが、
ほとんど花崗岩を使用し、
巨大な柱が立ち並ぶでできた回廊が植民スタイルに見える作りですが、
屋根は中国風の瓦が使用された、
香港の気候を考慮した作りでしたが
現在はコンクリートになってしまった。


H型となる2階建ての建物ですが、
前編の話のように今は学生と教員の宿舎や書斎、教員室になっています。


ブラッククリスマスの舞台になったホールですが、
二階に合わせて8000平方メートルの場所で、
蔵書冊数約60,000冊の図書館になっています。
残念なことで、
一般な方が入りません。



全校生徒900人が全体面積約15ヘクタールもある敷地で授業を行います。
香港に珍しい寄宿学校でもあり、
公立ではなく、私立でもない、
多少政府の援助を受けながら、自主性が失わない中学です。
創立当時が男子校だったが、
60年代以後は男女とも入学することができました。


校内の建築群がそれぞれ歴史建築に認定されて、
2008年、香港の唯一校内でできたヘリテージトレイルが設けられた。
一般な方のため、生徒自らガイドになり、
前編もご紹介した「文物展示館」などをご案内して頂きます。


確かにこの広さの敷地内に土地勘がわからない人ではなかなか苦戦です。
いつのまにか生徒の食堂あたりに連れてもらった。
一箇所ではなく、
食堂は数ヶ所も点在されています。
取材当日は日曜日のため、
あまり生徒の姿が見れません。


食堂の隣は「書院大楼」と同じぐらい歴史ある「馬田宿舍」です。
過去の校長先生を記念して命名した建物ですが、
こちらも生徒の教員の宿舎になっています。
食堂とランドリー部屋なども併設されています。
基本的に外に出ずにも生活できます。
宿舎に面するバスケットボール場やテニスコートがあり、
創立当時とあまり変わらないと伺っています。


次は敷地内最も高い場所である教会を案内してもらった。
1950年、日本占領時期を記念するために建てられた。
大虐殺の場所にもあり、
敷地内で幽霊に遭遇する話をしばしば聞いたため、
この教会を立った一説も生徒内にあれから流れています。



教会内になんと言ってもこのステンドグラスです。
収容所になった頃に飢えきった捕虜たちの生活ぶりが描かれています。
想像ではなく、
本当の写真の元に再現されたものです。


こちらは「北屋」、
1952年落成されて、2005年にリフォームされた。
今は女性生徒や教員戦用の宿舎になっています。
目の間にバスケットボール場、テニスコートやバーベキューも完備されます。


とにかく興味深い学校であって、
ところどころからの歴史のみならず、
学校生活の垣間見える生徒による解説がとても役に立ちます。


この二編の記事ではほんのわずかな学校のことをしか紹介できません。
実はこの学校が多く香港の映画でロケされたことがある、
日本人でも知られる作品は下記:
【歲月神偷】、【セーラ】(雛妓)、【空手道】、
【青春の光と影】 (失業生)など、
香港映画が好きな方もぜひ一度訪れてほしい場所です。


一人でもガイド付きでこのヘリテージトレイルツアーが参加できます。
ただし、英語と広東語の解説しか提供しないようです。
下記のサイトで事前に申し込めば、
返事次第にご参加することができます。
https://www.ssc.edu.hk/ssctrail/chi/index.html


ぜひとも、スタンレーの海沿い景色を堪能しに行く以外、
もう一つスタンレーの歴史も知って戴ければ、幸いです。

住所:香港島南區赤柱東頭灣道22號

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2018/12/05

【前編】聖士提反書院のブラッククリスマス

念願の建物を見学させて頂いたことができました。
香港の最もの辛いクリスマスがここにあった、
まさか学校で大虐殺が行われたとは誰も考えていなかった。
創立115年になって今年も12月に入ると、
どうしてもこの歴史が甦られ、
過去香港を防衛するための犠牲者たちに敬意を払いながら、
スタンレーを見守り続いた【聖士提反書院】をご紹介したいと思います。
(聖士提反書院➡セントステファン中学)


香港内に最も校舎敷地の面積が広い中学ですが、
それぞれの建物が歴史建築物と認定されます。
その上、
学校の玄関口にこのプレートに書かれてるように、
日本に占領された時にが収容所として山ほど民間人捕虜が拘束された。
微かな環境に立地された私立中学に一体何かあったでしょうか。


広々とした校内にこの高台からの眺めはとても印象的でした。
スタンレー湾が一望できながら、
香港には珍しい学校内の運動場も納めることができた。
それで読者も敷地のスケールを大体把握できるではないかと思います。


建築スタイルと役割について、
次の記事にまとめてやります。
今回はご紹介したいのが学校内で「書院大楼」という建物です。
敷地内一番古く(1930年)から建てられた、
男女生徒や教員の宿所、書斎、印刷室、教室など多様化に使用されています。


何と言ってもこの建物にも図書館があります。
その前には学校のホールとして使用された。


冒頭からお話をした大虐殺がこの玄関から入る場所に起きた。
取材当日から受けた説明による、
まさに下記写真の4つ柱の真ん中に起きた、
柱はあの当時のままで何もかわりませんでした。


1941年12月25日、
太平洋戦争による香港侵略が終焉に迎い、
植民政府のマーク・アイチソン・ヤング香港総督が日本に降伏した。
しかし、
最後まで守りの堅いスタンレーに布陣していた英軍と民間の志願兵ですが、
日本側に多数の死傷者が続出させたため、
クリスマスの日に学校を占領して、
まさしく当時が野戦病院が設営されているホールを発見した。
赤十字マークの掲示が見れながらも約60名傷病兵を銃剣で刺し殺した。


生き残られた牧師から目撃した証言による、
兵士以外、看護婦をはじめ、
病院付添人、医師、担架運搬手など約100名を別の一室に押し込んで、
その日の午後から深夜にかけて、
残酷な手段によって虐殺された。
また、宿舎にいる学生たちを守る教員の譚長萱氏もこの日に殺された。


虐殺後、近隣にある刑務所の守衛が専用する寮舎も含め、
校舎まで収容所にさせられた。
校舎だけで1000人の捕虜が拘束されて、
この「書院大楼」に370人も占められた。
終戦後、日本軍が校内の貴重品を盗み出し、
拘束された捕虜が燃料にして、
多くの場所も燃やされて破壊させた。
学校が最終的に修復できて再開したのが1947年でした。


学校敷地内から直結する道で「赤柱軍人墳場」(墓地)にも行ってみた。
当時虐殺された方々、
香港防衛戦争の犠牲者もここに埋葬されたと説明して頂きました。
先ほど話した学生のために犠牲になった教員『譚長萱氏』のお墓も見れます。


大人だけではなく、
生後間もない赤ちゃんのお墓もただただあります。
そして、外国人兵士以外、
名前すらはっきりわからない地元の方もここに埋葬されたようです。
「AH FONG、 AH FOOK。。」とは日本語で言うと〇〇ちゃん、〇〇ちゃん、
呼び方が同じであれば、入隊番号で付けられて分けるようにされます。


実は名前がわからないままで埋められた方も22名がいます。
壮絶な戦争の舞台になった学校とは切っても切れない墓地ですが、
学校経由で辿り着ける以外、
正面の入口から入ることができます。
毎日0800~1700一般公開されています。


墓地から再び学校敷地内に戻り、
もう一箇所が日本軍による破壊された場所をご案内されます。
一見ごく普通の建物ですが、
屋根が爆撃されたため、
終戦後の修復工事を加えて今の様子になった。
この二級歴史建築物の屋根以外、
ほぼ1930年落成された時とほぼ変わらないそうです。
現在は「文物展示館」として使用されています。


卒業生から寄付された多くの展示品で、
学校創立当時の模様、学校生活のあれこれがわかります。


日本占領された時期で収容所の歴史も触れ合うことができます。


捕虜から書かれた日記、手描き誕生日カード、刺繍入り枕、
などなどとんでもないものも見ることができます。
日本側に関連するものもあります。


また、収容所内で食糧不足による飢えきった痩せた人々の生活ぶりの紹介、
衣服もなかった時の代用品の展示もある中、
苦しい拘束生活で楽しく過ごツールも少なくありません。
狭い空間で博物館に匹敵する品の数々が点在されます。
わたしとしてはとても見応えがあります。


ブラッククリスマスに関わる部分はこれだけではないですが、
次に別の校舎内の建物をご紹介する際にまた触れると思います。
もちろん私以外にも一般の方でもこの校舎でじっくり歩き回れます。
しかもガイド付きで、
ぜひ、後編もご覧ください。


住所:香港島南區赤柱東頭灣道22號

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2018/11/29

蓮香という飲茶文化を背負ってる看板

今年ちょうど100年目に迎い、
知る人ぞ知るの香港の飲茶屋さん、
まさにこれまでの香港の変化を見守り続けてくれる中、
来年あたまから皆さんもお馴染みの立地から去ってくとなります。
そのために、
恐らく日本人の中に知り尽くされてる方々が大勢と思いながら、
個人なりに「蓮香楼」に対する思い出や感想を書き綴っておきます。


お店の元は1899年広州で創業した、
【月餅】の餡子になる蓮の実を定着させた「連香樓」というパン屋さんです。
1910年に陳如岳氏(皇帝直属の秘書室の方)さんがこの店を食べて、
そのおいしさにびっくりされ、
店の名前「連香樓」の「連」を「蓮」にすると提案した末、
お店は今の名前「蓮香樓」になりました。


改名した年に広州の「茶楼大王」である譚新義氏に買収された。
その後、10店舗まで展開できた繁盛店になった。
1918年,香港商人が香港で支店の開業を要請すると広州まで訪れたみたい、
同年広州から派遣された管理層の元に香港の第一号店が開業されました。
店の名前「連香樓」の「連」を「蓮」にすると提案した末、
お店は今の名前「蓮香樓」になりました。


1949年、広州の本店は中華人民共和国成立後より政府に接収され、
そのまま国営になってしまった。
あれから広州の本店とはまったくつながりのなくなった二店舗になった。


最盛期の時は香港に3ヶ所に出店ができた、
その後、10店舗まで展開できた繁盛店になった。
香港島以外、モンコックもあったそうです。
現在上環に残ってる店舗の場所も本来の立地ではないです。


また、家族の内紛による数年間に渡って争った後、
西環にある「蓮香居」は正式に姉妹店と認められたが、
実は一回も行ったことないので、
コメントできません。 


2019年より「蓮香樓」を構えてる建物が取り壊す予定がわかって、
賃貸契約が終了とともに、
閉店するという惜しむ声が相次いでいる中、
今年新たな姉妹店が荃灣で開業されると聞いて、
どのぐらい雰囲気が引き継がれてるか確認しに来ました。


まず「蓮香棧」の看板はこちらです。
見慣れてる書体と色使いでまずひと安心、
上環より若干狭い店内ですが、
全体明るくてお客さんがびっしりでにぎやかでした。
これぞ本来飲茶の文化というものがこれまで再現できた。


メニューと価格設定も本来のままです。


やはりまだ開業1年に経ってないので、
以前より清潔感があります。
日曜日のお昼でも席探しにあまり苦はなかった。


最も肝心となる点心を乗せるワゴンと「香港 蓮香」が書かれてる食器、
すべて健在です。


よく見てみたら、
細かい所までこの姉妹店まで持って来られます。
そして、点心を乗せるワゴンを出待ちお客さんの群れもしばしばです。
はっきり言って、
味より雰囲気を味わう目当ての人がほとんどでしょうが、
日に日に飲茶で食べれる点心の種類が激減してる中、
伝統の数々のものを提供し続けてくれる「蓮香楼」の存在に感謝の気持ちで、
応援して駆け付けてくれる方々も多いだろう。


「炸芋角」(さといものコロッケ)、「大包」(大きな肉まん)など、
いつのまにか貴重品になった、
お金があっても食べれない庶民食になっていまって、
我々が食べに行くことによって、
点心職人が作り甲斐と感じ取れてからこそ、
手間を惜しまずにこだわりを思って作り続けてくれた。
好きなものを二品でお茶飲みながら、
ゆっくりと時間を掛けて味わうという飲茶文化が知らずに消えないように、
できるだけいろな飲茶屋さんに通って行きたいですね。


蓮香棧住所:荃灣蕙荃路22-66號綠楊坊L1樓P9-9A號舖
営業時間:0600~2200(年中無休)

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