2014/07/31

まずいレストランを紹介する本

最近、この本が出たらしい!

ミシュランレストランガイドブックかと思ったら、

よ~く見てみたら、

う◎こを食べてるや!

香港のまずいレストラン、料理を紹介する本でした。


店員態度悪い、場所汚いといった採点内容もありました。

まずい、態度悪いとかレストランであれば、

すぐつぶれるだろうと思われるでしょう?

しかし、香港は結構面白くて、

意外とつぶれないこともあります。

美食天国といわれるほど有名な香港ですが、

一般市民が食に対して、

両極化になってるが今の現状ですね。

味を追求するために、

お金をかける時と、

腹さえいっぱいさせれば、

全然かけたくない時もあります。

時間をかけて並んで食べに行くと、

早く食べればよしという2種類もいます。

レストラン経営者と料理人とか、

家賃高騰と両極化のお客様は、

まさに今毎日悩まされてる、

香港で飲食ビジネスをする人たちに、

私の心から尊敬しています。

この本を読めば、きっと香港人の食文化がもっとわかるはず。

建物のあだ名

建物のあだ名って、存在するのが知ってる?

有名なあだ名は下記:





太空館(スペースミュージアム) ⇒ 菠蘿包(ポーローパーウ)

匯豐銀行大廈(HSBC本店ビル) ⇒ 機械人(意味:ロボット)

西港城(ウェスタンマーケット) ⇒ 紅街市(意味:赤い市場)

またまたたくさんあだ名を持つ建物があります。

①油麻地水果批發市場(Yau Ma Tei Wholesale Fruit Market)
⇒果欄(広東省珠三角地区の人々が水果批發市場のことを俗称にしたら、”果欄”というらしい。)



②西區警署(Western Police Station)
⇒七號差館(当時香港島での警察署は1から9まで名づけられた、
西區警署は7つ目だったためです。)




③土瓜灣市政大廈(To Kwa Wan Market)
⇒紅蘋果(”赤いりんご”という、外見であのりんごからでしょうね!)



④前高街精神病院 (High Street旧精神病院)
⇒高街鬼屋(高街の幽霊屋敷と呼ばれた。度々不思議なうわさが立つったからということです。現在、この病院はすでになく、建物は改装されて西営盤社区総合大楼となっている。)





⑤中央警署(旧中央 警察署)
⇒大館(香港島で一番希望が大きいからというですね!)

2014/07/30

999年期の土地年期の物件

ここはどこでしょうか?

見覚えがありますか?

こんな静かなところでしたっけ?

右側の上に注目!!!

999年期の土地年期の物件だぞ!

2014/07/29

卵入りミルクリッチなカスタードの作り方

卵入りミルクリッチなカスタードの作り方<鮮奶燉蛋白 >

1.)牛乳1パック(香港のdaily farm 236mlでも結構です),
卵1つ、練乳少々(好みにもよりますが、今回は大さじを入れた。)

2.)卵を割る

3.)よくかき混ぜる

4.)牛乳を入れる

5.)またかき混ぜる

6.)練乳入れる(泡を立たないように気をつけてください。)

7.)小さい茶碗に入れる

8.)既にお湯が沸騰されてる鍋の中に入れる

9.)5分ぐらい蒸したら、完成です。

               (shared from Joan Kwong [Joan入廚])

生姜汁を入れてもよさそうですね。

ぜひ、試してみてください。

山に軍隊の徽章

スコットランドの軍隊の証が残ってる。


香港と中国の界の”大石磨山”で、
(古洞の近く)

去年年末の山火事によって、

写真のような徽章がみれるようになった。

専門家を究明した結果、

スコットランドの軍隊の徽章という。

実際歴史を調べたら、

この場所は、

確か1926年~1928年の間に、

スコットランドの軍隊が駐屯地として使われてたよう。

また、 粉嶺新圍の辺りの山で、

昔、少なくでも6つ徽章があったはず、

別の写真で見ればわかると思います。

つまり、あの頃は、

あっちこっちもたくさんの軍隊が駐屯されたことがわかった。

さぁ、果たして、

今、香港政府がこの徽章をどう処理するでしょうか?

2014/07/28

植民地に残された郵便ポスト

この郵便ポストは見たことないですか?

よく見てみると、

下の部分は”王冠とEⅡR”の模様がみられるでしょ?

(EⅡR=女王陛下エリザベスII)

これはイギリス植民地に残された郵便ポストです。

以前は赤色だったが、

現在この色で塗り替えられた。

1952年~1997年主流で使われてるものです。

今だと、香港には60個もないほど珍しいもので、

写真は油麻地上海街にあるポストです。(西貢街の近く)

残りは香港島の2個、九龍の15個、

新界の8個、離の3個という割合で分散されてる。

ちなみに、香港の全て郵便ポストは1200個に近くあります。

2014/07/25

香港のネパール人

ネパール大地震のことで、

昔、香港にネパール人のグルカ兵がいたことを思い出した。

by wiki
++++++++++++++++++++++
19世紀、
ネパールとイギリス東インド会社軍との
3度にわたる戦争(英・ネパール戦争)の停戦条約が締結される際に、
ネパール山岳民族特有の尚武の気性と白兵戦能力、
宗教的な制約が小さい点(ヒンドゥー教徒のインド人は
宗教的な制約が多いため近代戦の兵士に向かず、
運用に不自由をきたしていた)に目をつけたイギリス東インド会社は、
グルカ兵が傭兵として同社の軍に志願することをネパールに認めさせた。
++++++++++++++++++++++

最初グルカ兵が香港に移り込んだ頃、

主な任務は香港と中国の国境警備、

中国からの密入国者の取り締まりに貢献した。

国境警備の任務は92年で終わって、

この仕事はそのまま香港警察に。

90年代の初め、

香港にはグルカ兵が5,000人もいたが、

96年の年末より、

イギリス軍の本格的な撤退と伴い、

グルカ兵も1,000人までに減った。

返還後、イギリス軍、グルカ兵の姿も同時に香港から消えた。

現役は在英のグルカ部隊に合流したり、

退役してネパールに帰る者もいる、

香港に残った者の多くは警備員として雇われた。

みなさん、たまにみかけるでしょうね?

2014/07/24

道路標識について

道路標識について、

現在みなさんがよく見かける標識ですが、

大体は長方形です。

しかし、

1961年前、

ほとんどT型式でした。

T型式の中また4種類に分けられた。

1】旧式T型
特徴★上は英語で左から、下は漢字で右から。それぞれでフレームに囲まれた。
例★下亞厘畢道
      
      

2】旧式コンクリートT型
特徴★上は英語で左から、下は漢字で右から。若干漢字が小さめ。それぞれでコンクリートのフレームに囲まれた。
例★石山街
      


3】外フレーム付きT型
特徴★上は英語で左から、下は漢字で右から。二組の文字が一つの外フレームに囲まれた。
例★荔枝角道
 

       

4】外フレームなしT型
特徴★上は英語で左から、下は漢字で右から、でも、たまに右からものもある。二組の文字が一つのフレームに囲まれた。
例★棉花路
       

4つの中、3】タイプの標識は一番見つかりやすいです。

とはいえ、現在香港の中、80個ぐらいしかありません。

セントラル、西環、湾仔、深水埗はほとんど占められてる。

そして、現在長方形の標識ですが、

中身もいろいろな変化が見られる、

漢字が上になる、

時には漢字が右に寄ったり、

左に寄ったり、

センターすることも、

珍しいのが漢字だけ黒ではなく、

赤にした標識もあります。

みんなさんが歩き回る時、

もし珍しい標識が見つかったら、

ぜひ、写真を撮っておきてください。

どんどんなくなりますからね。


2014/07/23

香港仔( アバディーン)の話の続き

香港仔(Aberdeen / アバディーン)の話の続き。

台風シェルターあたりの歴史について、

話したいと思います。

漁業一番盛んだのが70年代、

数万台漁船がここで泊まってた、

夜の時はとても綺麗でした。

しかし、何回も大火事が発生したこと、

魚業に不況になることをきっかけで、

漁船に暮らしてた人たちが付近の住宅に移るようになった。

現在香港仔で1500台の漁船しか残っていません。

まだ、香港の3分1はここに集結しています。

ここで有名なレストランー”ジャンボ”の由来ですが、

遡って、1920年代から、

ここで暮らしてる誰か水上レストランを開業した。



その後、大人気によって、

たくさん水上レストランができるようになった。

漁民たちの結婚式、葬式など、

全部ここで行うようになった。

最盛期は10台の水上レストランもありました。

数十年に渡って、

買収と合併がたくさん発生した末、

現在の”ジャンボ・キングダム”に残された。

高級レストラン以外、

ここで発祥した”艇仔粉”(サンパン麺)、

最初は漁民向けの食べ物ですが、

漁民なら、普段あまり食べれないロースト肉を具にして、

安い魚を煮込んだスープベースに麺を入れたものです。

今だと、夕方になると、

香港仔台風シェルターの周辺で、

キッチン付きのサンパンが出没して、

一般お客様向けで営業してる、

ちょっと並んでるぐらい行列をみたら、

間違えなくそこだ!

ぜひ、試してみてください。

2014/07/22

蒸し魚の作り方

炒め物より蒸す料理、

香港人は炒め物が結構食べるというイメージがあるが、

実際、家庭料理の中で、

蒸す方法で調理するのが少なくない。

特に魚を丸ごと蒸した料理。

野菜炒めといい勝負ぐらいポピュラー。

基本的に市場に売られてる魚が全部この調理方で適用する。

蒸し魚のこつは新鮮な魚を選ぶこと。

そして、十分に蒸気の上がった蒸し器に入れ、

うまみが逃げないよう一気に蒸すこと。

蒸し皿と魚の間にしょうがの薄切りを敷いたり、

魚の上に乗せたり、

蒸気が魚全体に回るようにするのが大事だ。


出来上がる直前に、

さらにせん切りを上乗せ、

しょうゆをかけて、

最後沸騰したピーナッツ油を全体にかけたた、完成!!

ねぎとしょうがを使った蒸し魚は定番ですが、

今回私が使うのが"豆鼓"(salted black beans)です。

それ以外”陳皮”(みかんの干した皮)も使ってもよい。

蒸す料理のいいところがビタミンBとCの流失率はただの15%です。

実は牛乳プリンも蒸す調理方で作られます。

今度でもレシピを公開してみたいと思います。

では、蒸す魚を挑戦してみては如何でしょうか?

2014/07/20

香港仔(アバディーン)

香港仔(Aberdeen / アバディーン)は”香港”の原点?

ここは香港で一番古い漁港と言われましたが、

本来の名前は”石排湾”という、

湾岸の沿いは岩石だらけだから。

中国の明代(1368年~1644年)頃の書籍で、

既に”香港”という名と地図を記載された。

当時、広東省の南部で”Aquilaria sinensis”(広東語:莞香)が豊富にあるようです。

特に、沙田、ランタオ島。

伐採された後、ほとんど香港仔に取り集め、

広州、中国の中部あたりへ輸送します。

この莞香の匂いがすごく漂うため、

漁民たちがこのエリアが”香港”を言い始めるようになった。

1842年、イギリスの植民地になってから、

香港島の全体が”香港”と称して、

Heong Kongは一番最初の英語名ですが、

殖民政府が2回目の件方からの官報でHong Kongに省略しました。

また、混乱しないように、

本来の香港の後ろに”仔”を付けるようにした。

小さい香港の意味でもあります。

英語名ですが、

1842年、香港の主権を受取る植民地秘書長Aberdeenさんを記念に、

命名した。

色使いについて

色について

香港にで中国式な建築の色使いはほとんど緑と赤です。

みんなもよく目にしますよね?

これは伝統的な組み合わせだからです。

赤→吉祥
緑→長寿

香港なら、建築物以外でも、

大量この色の組み合わせのものを見かけるでしょう?

そのほか、

なぜか色付けが最初思いついたのがこの2つ色、

たぶん気づいてると思いますが、

ミニバス、なぜか赤、緑、

タクシーで赤、緑。

でも、絶対男の友達に、緑の帽子にプレゼントするよ。

我々は絶対被りたくないからね。笑!

なぜなら、

緑帽子を被る(広東語:帯緑帽)とは妻に浮気されたというから。

もうちょっと知っておきたい香港での色使い情報ですが、

★黄色看板やピンクネオン=とにかく怪しいサービスを行う店
★金色の看板=信頼できる店(上環の乾物屋通りがよくある)
★結婚式に、白いか黒い服を着ないこと

2014/07/18

サービス精神

注文したミルクティーがこんな感じで来たら、どう思いますか?

溢れ出した量はそこそこ、

しかもオーダーを記入した紙そのままついた。

これこそ香港だぞって感じ?

日本にはありえないサービスですが、

香港にはありありですね。

サービスに対する意識が結構違うと思いますね。

もう一つですが、

よくレストランでも、

お客様が結構詰まってる時間帯でも、

掃除のおばあちゃんが平気に床のごみを掃除したり、

拭いたりしますね?

衛生面はもちろん、

食事のお客様の気持ちがまったく考慮してないも香港サービスだね。

やっぱりなれるしかないかね?

みなさんどんな感想かお聞きしたいですね。

セント・ジョンズ教会

聖約翰座堂(St John's Cathedral)<セント・ジョンズ教会>

1847年に建設が始まり、

1849年3月11日に最初の礼拝が行われました。



13世紀イギリスのゴシック式建築を模倣して、

建てられたものです。

香港で1番目に古い教会建築物であること、

現在、法定遺跡として認められています。

実はこの教会の土地ですが、

永久契約の土地です。

つまり契約延長必要ありません、

香港唯一です。

なぜなら、

当時イギリス王室所属土地として使用するため、

この永久契約を生み出した。

教会の中、イギリス王室のロゴが入ってる座席があって、

殖民時代に、王室が香港に来られる際に、

特定席として座らせるというです。


今だと、一般市民でも入れるので、

興味ある方、ぜひ、お越し見てはいかがでしょうか?

2014/07/16

香港人も知らない地名の変化

香港の若い世代がまったく知らなくてもおかしくない、

まさかこの名前でしたかの地名の変化をご紹介します。

大埔(現在)←大歩(以前) 
★以前この地区に虎の出没した。
 通り掛る人が誰も素早く大きく歩いて去るからという。


牛池灣(現在)←牛屎灣(以前)
★以前は牛を放牧する地区でしたからで名づけられた。


 
旺角(現在)←芒角(以前)
★周辺もミスカンサス(広東語で芒草という)を植えられたからだ。
 途中”望角”にしました、当時の英語名は”Mong Kok”か
 MongkoK”になったが、旺角になったとしても変えなかった。


藍田(現在)←鹹田(以前)
★そこの粘土に塩分が高かったからで名づけられた。

欣澳(現在)←陰澳(以前)
★ディズニーランドの明るいイメージに合わせて、改名した。

荃灣(現在)←淺灣(以前)
★浅いという意味が不吉のため、改名した。


荔枝角(現在)←孺地腳(以前)
★孺地腳は客家語で、”息子が砂場で残された足跡”という意味、
 その後、理由が不明で、改名した。

粉嶺(現在)←粉壁嶺(以前)
★名前を省略しただけです。


秀茂坪(現在)←蘇茅坪(以前
★高い山に蘇茅という草類がたくさん植えられたからだ。
蘇茅の発音は広東語の”掃墓”に聞こえてきて、
あまり不吉で、最後”秀茂”にしました。

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2014/07/15

飲食に関するカルチャーショック

カルチャーショックの話、

日本にいた頃、

レモンティーを注文したら、

スライスレモンが1,2枚程度乗せてるところを見て、

衝撃でした。

これはまったくレモンティーじゃないでしょうと思ってた。

その後、

日本の友人が香港でレモンティーを注文したら、

全てレモンを除けて飲むも同様衝撃でした。

香港人にとって、レモンティーとは甘い飲み物。

日本人にとっては口直しみたいな飲み物かな?!

そして、

日本語でラーメンセットのメニューをみたら、

びっくりすることで、

ラーメン、チャーハン、餃子は全て含まれてることだ。

香港人にとって、

澱粉質はサブ的な存在です。

一食の中、澱粉質一点しか食べない。

こんな食べたら、おなか膨らんで、

‘具’を楽しむ食欲をなくすんじゃないという考え方ですね。

個人の見解ですが、

日本人が、ご飯や、餃子でも、うどんでも、

全てがこだわって工夫してお客様に差し上げるつもりため、

それなりのおいしさがある。

みながおいしく頂けるでしょうね。

違和感まったくないだろうね。

今のわたしでも、

チャーハン、ラーメンは一緒食べれない。

ラーメン、餃子はやっと一緒に食べれるようになった。

2014/07/14

悲劇の地からの変身~ハッピーバレー

ハッピーバレーは実はハッピーではなかった過去がありました。

本来の地名は”黃泥涌谷”でしたが、
(名前の通り、黄色泥沼の場所でした。)

香港島の一番広い平野のため、

1840年、殖民政府がそこで軍営を敷くことになりました

兵士が多数集まれてる中、

ある日、熱病が突然広まれて、

死者がたくさん出ていたせいかわかりませんが、

処理に追われながら、その場で埋葬するという手段を取りました。

最終的にあまりにも多く死者が多すぎで、

やむをえずに軍営が撤退の選択を下しました。

その後、墓地公園に建て替えましたが

ひきずってる暗いイメージを取り除くために、

皆さんも心機一転するような名付けて、『ハッピーバレー』にしました。


そして、数年後の1844年、墓地公園の隣の場所を利用して、

競馬場を建築しました。

同年12月香港の初めての競馬レースが行われました。

当時は1年で1回のみのレースしか行わなかった、

また、ギャンブル要素はまったくありませんでした。

ちなみに、正式にギャンブルを容認してもらえるのが1891年からです。

今だと香港一般市民に欠かせない娯楽の一つになっていますね。

昔にははまったことがありましたが、

現在はさっぱりですよ。

競馬場でビールを飲みながら、

レースを鑑賞するぐらいで十分楽しめますよ。

(写真:ネット上より)

モノクロ写真は1873年の”ハッピーバレー”です。

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2014/07/13

竹を利用する建築技術

フォーシーズンズホテルを建築されてる最中写真をご覧ください。

この竹を利用する建築技術に関する話をしたいと思います。



元々この技術は”有巣氏”からだそうです。

有巣氏とは古代中国の伝説上の聖人。

鳥が巣を営むのを見て初めて人類に家を造ることを教え、

禽獣の害を避けさせたという。

この建築技術ですが、

工学と力学の合体です。

現在は建物と建築や、作業員の足場作り、

伝統的な祭りで祝う用な舞台を作ったりする時使われてる技術です。

現在香港の主流技術ですが、

最初は台湾から流入したそうです、

60年代から高速発展により、

建築ラッシュの始まりと伴い、

大工の需要が発生しました。

その時、ほとんど大工は広東省の肇慶からで、

同郷や仲間の紹介でしかこの業界に入らないそうです。

技術の習得は3年にかかり、

現場の管理者から働かせなから教えてもい、

また、住まいと食事まで面倒をみてくれるようです。

1977年、政府から”建造業訓練局”を設立し、

安全建築と管理の内容を提唱する以外、

業界向きの技術を習得する授業を提供するようになった。

大工のライセンス制度の導入によって、

以前の弟子入り制度がなくなりました。

90年代に入り、

建築ラッシュが一旦収め、

仕事不足により、

この業界から離れる人が多くなった。

最近また大型建築多く展開してる中、

技術者不足が明らかに、

残念なことで、

例え給与が非常によくしても、

習得したい若い人が圧倒的少ないことは深刻な問題になり、

海外から大工を輸入することが政府から提案してるですが、

またモメ状態になってるです。

これからどうなっていくでしょかね。