まさに馬湾の一角が香港の軍艦島状態になってる、
昨日の続きで馬湾旧村のメイン通りに沿って進みます。
そもそもなんで馬湾で呼ぶようになったかどういうと、
いくつかの説があるが、その大昔に「銅錢洲」という名前は確かでした。
島が穴あき古銭の形をしてるからだそうですが、
どう見ても似てませんが、千年前なら、ありうるか?
南方面から島を眺めると、馬に見えるという説もあるが、
原住民が「天后廟」のことを「娘媽廟」で呼ぶ、
なぜか「娘媽」が「娘馬」に読むようになって(訛りのせいかな)、
相当「天后」を信じてる理由で、
敬意を払う意味で、島のことが「馬湾」を称するようになった説も聞きます。
どれか正解か今だ定論がありません。
10年前はこの辺りにまだ人が住んでいたが、
今になると見学者の喋り声、ジョギングする人達の音しか聞こえません。
あとは周辺のカメラのシャッタ押すぐらいです。
テーマパークのお化け屋敷アトラクションに遊びに行ってる、
日頃でも何か出てくるような雰囲気が不思議でした。
いつのまにか海側に近づき、歴史的な建築物が見えてきた。
まずはこの湾岸の名前を教えてくれる牌坊が目立っています。
たとえ、塗装が褪せてきて、外観が老朽化になってきても、
存在感が失っていません。
ここが「汲水門」という昔から中国と香港の間に重要な水路の一つと言われ、
かつて乱流が発生しやすい水路でも有名で、
それ以前「急水門」と名付けられました。
やはり不吉の名前を懸念して、
最終的に諧音である「汲水門」を改名しました。
牌坊のそばに取り残されてる滑り台がありますが、さみしい風景です。
但し、休日はモデル撮影、結婚写真をする人達が結構集まられています。
取材当日もそうでした、決して鳥肌を立たせる環境ではありません。
滑り台の反対側にまた何か古臭い建物が雑草に隠れてるようです、
近付けてみると、
さらに重大な発見があります。
只者ではないと感じさせてくれたのがこの石碑です。
1875年2月のマーガリー事件に端を発し、
その収拾のために締結された「烟台条約」は、
輸入鴉片に対する関税と厘金を海関において、
同時に徴収する「税厘併徴」の実施を規定した。
(★愛知教育大学名誉教授 目黒克彦さんの文書を引用)
1886年、中国輸入品に対する4ヶ所海関のうちのお一ヵ所、
その収拾のために締結された「烟台条約」は、
輸入鴉片に対する関税と厘金を海関において、
同時に徴収する「税厘併徴」の実施を規定した。
(★愛知教育大学名誉教授 目黒克彦さんの文書を引用)
1886年、中国輸入品に対する4ヶ所海関のうちのお一ヵ所、
まさにここ馬湾で「九龍関」が作られました。
当時まで新界はまだイギリスの植民地になっていないのに、
相当重大なことでしたようです。
海関から海に道を作りたいため、
イギリスから地元に土地を借りる証拠として、
隣に「九龍関借地七英尺」にも書かれて、既に100年以上歴史もあります。
石碑の裏にさらに細い道があって、とりあえず沿って歩いてみた、
鮮明ではないが「梅蔚」と刻まれてるようです。
1901年の馬湾地図にもこの地名を記載されてるみたいが、
ランタオの旧名は「梅蔚」か、
ランタオの梅窩のの旧名は「梅蔚」という説もあるが、
どちらも確実な証拠がないため、何とも言えません。
ちなみに、南宋最後の皇帝が香港の「梅蔚」で擁立された記載があります。
「梅蔚」にある道に沿って進むと、
ある石碑が海に面して建てられることが見れます。
正面は「南無阿彌陀佛」と刻まれてるが、
以前ご紹介した【路上石碑のあれこれ】とは若干違うみたいです。
先ほどの話のように、この辺りは乱流が発生しやすい水路であって、
過去に大きな水難事故があったため、
乱流を征するように地元が僧侶を託し、この石碑が作られたようです。
一連の歴史建築を見た後、
「汲水門」牌坊に戻って、そこの埠頭の端っこまで行って、
振り返って一枚を撮りました。
そういえば、深井と結びつくフェリーがここから乗船でしたが、
廃線になったのがとても残念だと思っています。
一回でこの二ヶ所を探索できるルートは貴重でしたね。
先の来た道に戻り、馬湾旧村のメイン通りに戻った、
そして、逆方向に進みます。
依然廃墟状態が続きます。
床屋、茶餐廳の看板や店名も取り残されてるようです。
途中に馬湾の地名由来のカギとなる「天后廟」に遭遇しました。
200年の歴史もあると見られ、
香港近海を根城とした海賊~張保仔の指示で建築された説もあります。
結局今でもその真相がわかりません。
「天后廟」の前には広場みたいなスペースがあって、
少し前でもよく見かける「蝦膏」(蝦ペーストを固めたもの)作り風景、
今日は見れませんでした。
実は馬湾から出産されてる「蝦膏」も有名でした、
現在たまに不特定な場所しか入手できないようです。
地元が単発で作ってるかもしれません。
もうちょっと歩いたら、また桟橋が発見します。
この辺りに結構桟橋があるので、
青馬大橋を背景にする写真が撮りたいなら、
桟橋もいい選択です。
桟橋から大澳を彷彿する棚屋がずらりと並ばれています。
大澳ほど壮大な群れではないが、
漁港の風情が多少感じ取られるでしょう。
島なら、定番のミニカーがまさかここに?
島しかないナンバープレート~VVです。
棚屋の周囲でも柵に囲まれて、
全て政府の土地になりましたよと掲示されています。
なのに、20年に経ってもなにもしないね、もったいないです。
道の番地とかも時々建物にも見られ、
あれからずっと眠ってる番地ですね。
また、途中に「無葉井」も見かけます。
大昔、村人がここから地下水を取って帰るそうです。
森に囲まれてるのに、一度も葉っぱが井戸に落ちたことないから、
一度も葉っぱが井戸に落ちたことないから命名されました。
今は同然綺麗な水が取れません。
棚屋とお別れは突然、ドラコンボードもう引退されたか。
ここから道が上り坂に変わり、
政府土地がようやく工事を始めてるところもあるみたい、
これからまた入場料必要の公園になるみたい、
元々ごく普通の森なのに、
自然と触れ合える公園に変身すると有料になるなんで、
理不尽と思うのがわたしだけ?
本来、大きな道に進むと、馬湾旧村から高級自宅地に戻れますが、
その前に、一本の細い道に惹かれ、
突入してみることにしました。
周りに何もない道を歩くこと5分、
「麒麟亭」が突然に現れます。
青馬大橋が目の前に見えるわけではなかったが、
その裏に道はまだまだ続くように見えるので、もちろん行きます。
さらに歩く1分ほど、突き当りは断崖であって、
大橋の真下の傍の位置で、
この「汲水門」の水路を利用した船たちが間近に見れます。
巨大なコンテナ船が通りかかるところがもっと迫力があると思います。
ここから見上げると、
いつも見慣れてる青馬大橋が近く見えます。
今日何回青馬大橋を背景にして写真を撮っただろう。
ここから夕陽も見たかったが、あいにく厚い雲が集結され、
有終の美を飾ることができませんでした。すいません!
しばらくここボーっとしらら、先の道で街に出るバス停に戻り、
今日の取材を終えました。
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