2016/11/29

香港のカトリック教の発祥地~西貢鹽田梓村

昨日の続き、単純な道も続いているが、

同時に島巡りもいよいよフィナーレです。


今度はこの隣の【滘西洲】につながる「玉帶橋」に着きました。

島内はまだ農業を営む時代だった頃、最適な田んぼはあまりなく、

隣の島の【滘西洲】までに勤めに行く人が多かったが、

海に浸かながら、渡るしかなかった。

周囲は干潟のため、

潮満ち溢れることで溺れて死んだ人も少なくなかった。

1950年代、それ以上の被害が出ないように、

あの『カドゥーリー農場』のカドゥーリーさんから建材を提供して頂く、

「玉帶橋」を作りました。

二回にわたる増設もしたことで、今でも橋の底部分でその跡がみれます。


「玉帶橋」と別れ、次の目的地の「塩田」を目指し、再び歩き出した。

途中の所々道の表面に特別なマークが見れます、

そして、「1964」という数字も書かれています。

島内の唯一のきれいな道が1964年大学生社会貢献チームによる、

建てられたことを意味します。



徐々に下り坂に沿って行くと、

マングローブエリアに突入し、そこから塩田を見学してる人々を覗けます。


マングローブをスルーするわけにはいかない、

なぜなら、ここで間近にムツゴロウとシオマネキがバッチリ見れます。

話による、【香港ウェットランド・パーク】より臨場感があり、

現場を見ると、子供たちが一番喜ばれていますね。

しかも大量ということで、見つからない方が難しいです。



いよいよ最終目的地の塩田、ちょうどボランティアがいて、

少し話を伺うことができました。

100年以上眠ってた塩田を復旧させたのが元原住民だった村長と、

先祖が原住民のボランティアたちでした。


ここは流下式塩田だそうです。

簡単に説明すると、潮の干満を利用する方法です。

遠浅の干潟を干拓し、その砂地を平坦にする。
満潮の時に海水を塩田の潮まわしと溝渠に入れ、砂の間隙に浸潤させる。 
日光と風力で水分を蒸発させ、その一方でひとがくわで砂を反転させ、
十分に着塩させ、2、3日間天日にさらす。 
着塩した散砂を沼井(ぬい)に入れ、海水の5~6倍の濃度のかん水を得る。
(wikipediaより)


塩田それぞれ段差を付けさせて、日にちをかけて流させ、

塩分の一番高い部分が最終的にこの小さい容器を集結させます。


残される作業は異物を排除するだけで、

作り出した塩がここで保管するようになります。

かつで西貢の全体住民の使用量を支えてた塩の産地ですが、

今はこの皆さんも忘れかけてる歴史をよみがえらせるために、

この塩田見学が行われてるとのことです。


塩田で有名だけではなく、

ここは香港のカトリック教の発祥地と言われることが有名です。

1841年、レゴリウス15世はローマ教皇が伝道者を香港へ派遣し、

1864年、一部の伝道者が鹽田梓までにやって来ました。

1866年、先住民の30人が洗礼を受けることを決意しました。

1875年、島の全部住民も受洗しました。

1890年、今でも健在してる【聖若瑟小堂】が完成されました。


最初に入れなかった聖堂が夕方ぐらいに入れました。

聖堂の外観がシンプルで、中に豪華な作りもありません。

真ん中は聖壇、中国の特徴の色合いが取り入れてることもわかります。




1948年、1962年、二回も修繕が行われたが、

1990年代以後、住民が島から離れることによって、

聖堂まで廃墟状態になっていました。

2004年、島の活性化活動を開始するとともに、

三回目の修繕工程も展開するようになった。

今、日頃にもカトリック教徒の聖地巡礼で訪ねて来る姿がいます。

ちなみに、聖堂が既に三級歴史建築物として認定されています。


【聖若瑟小堂】を一通りに回ってきたところで、

島一周の散策がここで終わります。

スタート点の【鹽田梓村公所】に戻り、

西貢埠頭に戻る船の到着を待ちます。


おまけに、鹽田梓を一周するルートの公式地図も付けます。

懸命な活性化活動の成果が今回の見学を通して、

物凄く感じ取られます。

既に放棄された島に対する思い、情熱が人の心を動かす、

気持ちよく島を一周して、その歴史を知る、

土地と産業を実感するというアドベンチャーパークのような島に仕上げて、

とても感心します。

香港をテーマとするアドベンチャーパークはきっといつか作ってほしいです。


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