昨日の続き、単純な道も続いているが、
同時に島巡りもいよいよフィナーレです。
今度はこの隣の【滘西洲】につながる「玉帶橋」に着きました。
島内はまだ農業を営む時代だった頃、最適な田んぼはあまりなく、
隣の島の【滘西洲】までに勤めに行く人が多かったが、
海に浸かながら、渡るしかなかった。
周囲は干潟のため、
潮満ち溢れることで溺れて死んだ人も少なくなかった。
1950年代、それ以上の被害が出ないように、
あの『カドゥーリー農場』のカドゥーリーさんから建材を提供して頂く、
「玉帶橋」を作りました。
二回にわたる増設もしたことで、今でも橋の底部分でその跡がみれます。
「玉帶橋」と別れ、次の目的地の「塩田」を目指し、再び歩き出した。
途中の所々道の表面に特別なマークが見れます、
そして、「1964」という数字も書かれています。
島内の唯一のきれいな道が1964年大学生社会貢献チームによる、
建てられたことを意味します。
徐々に下り坂に沿って行くと、
マングローブエリアに突入し、そこから塩田を見学してる人々を覗けます。
マングローブをスルーするわけにはいかない、
なぜなら、ここで間近にムツゴロウとシオマネキがバッチリ見れます。
話による、【香港ウェットランド・パーク】より臨場感があり、
現場を見ると、子供たちが一番喜ばれていますね。
しかも大量ということで、見つからない方が難しいです。
いよいよ最終目的地の塩田、ちょうどボランティアがいて、
少し話を伺うことができました。
100年以上眠ってた塩田を復旧させたのが元原住民だった村長と、
先祖が原住民のボランティアたちでした。
ここは流下式塩田だそうです。
簡単に説明すると、潮の干満を利用する方法です。
遠浅の干潟を干拓し、その砂地を平坦にする。
満潮の時に海水を塩田の潮まわしと溝渠に入れ、砂の間隙に浸潤させる。
日光と風力で水分を蒸発させ、その一方でひとがくわで砂を反転させ、
十分に着塩させ、2、3日間天日にさらす。
着塩した散砂を沼井(ぬい)に入れ、海水の5~6倍の濃度のかん水を得る。
(wikipediaより)
塩田それぞれ段差を付けさせて、日にちをかけて流させ、
塩分の一番高い部分が最終的にこの小さい容器を集結させます。
残される作業は異物を排除するだけで、
作り出した塩がここで保管するようになります。
かつで西貢の全体住民の使用量を支えてた塩の産地ですが、
今はこの皆さんも忘れかけてる歴史をよみがえらせるために、
この塩田見学が行われてるとのことです。
塩田で有名だけではなく、
ここは香港のカトリック教の発祥地と言われることが有名です。
1841年、レゴリウス15世はローマ教皇が伝道者を香港へ派遣し、
1864年、一部の伝道者が鹽田梓までにやって来ました。
1866年、先住民の30人が洗礼を受けることを決意しました。
1875年、島の全部住民も受洗しました。
1890年、今でも健在してる【聖若瑟小堂】が完成されました。
最初に入れなかった聖堂が夕方ぐらいに入れました。
聖堂の外観がシンプルで、中に豪華な作りもありません。
真ん中は聖壇、中国の特徴の色合いが取り入れてることもわかります。
1948年、1962年、二回も修繕が行われたが、
1990年代以後、住民が島から離れることによって、
聖堂まで廃墟状態になっていました。
2004年、島の活性化活動を開始するとともに、
三回目の修繕工程も展開するようになった。
今、日頃にもカトリック教徒の聖地巡礼で訪ねて来る姿がいます。
ちなみに、聖堂が既に三級歴史建築物として認定されています。
【聖若瑟小堂】を一通りに回ってきたところで、
島一周の散策がここで終わります。
スタート点の【鹽田梓村公所】に戻り、
西貢埠頭に戻る船の到着を待ちます。
おまけに、鹽田梓を一周するルートの公式地図も付けます。
懸命な活性化活動の成果が今回の見学を通して、
物凄く感じ取られます。
既に放棄された島に対する思い、情熱が人の心を動かす、
気持ちよく島を一周して、その歴史を知る、
土地と産業を実感するというアドベンチャーパークのような島に仕上げて、
とても感心します。
香港をテーマとするアドベンチャーパークはきっといつか作ってほしいです。
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