20年以上廃村になってる小さい島ですが、
2013年、元住民たちからのボランティア的な活性化活動により、
今は歴史的な島が『アドベンチャーパーク』のように生まれ変わりました。
若い者をはじめ、いろな世代の見学者も訪れるようになってきます。
ちょいブーム的な存在でもあるみたいので、
遂にこの間にブームを乗って、行って参りました。
2013年、元住民たちからのボランティア的な活性化活動により、
今は歴史的な島が『アドベンチャーパーク』のように生まれ変わりました。
若い者をはじめ、いろな世代の見学者も訪れるようになってきます。
ちょいブーム的な存在でもあるみたいので、
遂にこの間にブームを乗って、行って参りました。
西貢埠頭の西に位置する【鹽田梓】、また【鹽田仔】を称する島ですが、
原住民は1700年代から中国内陸からから移り住み、
天日製塩の技術まで持ってきて、この島から塩作りを始めて、
次第に塩作りの規模が島の全体まで広がり、
一時期、香港最大の塩産地になったため、
名付けられるようになった説があります。
西貢埠頭から小さい船で10分ほどの距離ですが、
あっという間につきました。
平日はほとんど人いませんが、
土日になると、見学者がたくさん押し寄せてきます。
島に着いた時に撮った一枚写真にあまり人の気配いないものの、
実際、本当に多かったです。
島を上陸したら、少し歩いたら、【鹽田梓村公所】が見れます。
ようするに「村役場」でしたが、
今は綺麗にして、屋外の食事処になっています。
待ち合わせ場所や最終の集合場所として、よく利用されているようです。
ちなみに、【鹽田梓村公所】の目の前にある大木も百年樹齢があります。
ちゃんと舗装された道を沿って歩けば、
まず、廃墟化されてる建物がずらりと立ち並ばれています。
最盛期の鹽田梓村が1200人の住民もいたが、
1960年代末から、出稼ぎのために、島から離れ、
また一部、イギリスなどに移住しに出て、
1990年頃、島内に最後の一軒の住民も島から出てきました。
それ以後、完全な無人島になりました。
今回見学した時に、数多くあの時からの姿の家が見れますが
単なる廃墟だけではなく、屋内にタイムスリップされたまま様もあるし、
建物の扉、窓もあの時代の深みを感じ取られます。
アーティストから仕掛けた窓もあっちこっちも目立ちされています。
道がさらに奥へ、高台から下に見下ろすと、
既に復活させた塩田を一望できます。
間近に見学や体験することも可能で、
とりあえず、あとで行きます。
その反対側に階段を登ってみると、
1846年創立し、島内に唯一の学校~【澄波學校】がみつかります。
もう廃校になったから、鹽田梓村の「ヘリテージギャラリー」にしました。
4つテーマを仕分けて、
農業、産業、日常生活や教室に関する展示品が並ばれています。
なぜか懐かしく感じます。
学校からの階段があって、登り詰めたら、
鹽田梓村を代表する教会がありますが、
ちょうどミサが行われてるので、後回しことにします。
廃墟化の建物がまだまだしばらく続きます。
次に、最もこの島にすごい影響を与える人物、
(その背景は別の記事で説明します。)
「St. Joseph Freinademetz神父」(聖若瑟神父)の旧居遺跡です。
独特な雰囲気で、まるで映画のセットみたいです。
道は細くなりますが、指示の表示がきちんと見やすいところにあり、
島内に唯一の井戸まで導かされています。
60年代から、隣の島にダムができたことによって、
水不足の問題が少し解消されました。
90年代、政府から貯水池を増設してから、
この井戸に頼ることもなくなりました。
井戸を後にしたら、山登りのような道が続いています。
緩い坂道で、歩きやすく、年寄り、子供でも苦になりません。
途中に、東屋のような休憩する場所も設けている、
まさか、BBQできる施設もある、
少人数から大勢でも楽しめる島としみじみわかるようになりました。
山頂に近いところに、隣の島まで見れるようになり、
まったく違う雰囲気の島、あの一面な整ってる芝、
賽馬會滘西洲公眾高爾夫球場の顔になっています。
(カウ・サイ・チャウ・パブリックGC)
ゴルフ場が素朴な島のすぐ隣にあることで不思議ですね。
平日に限り誰でも一般市民でも予約して、プレー出来ますが、
これから行くチャンスがあるだろうか。
つづき
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