2016/07/01

100年前からずっと嘉咸街に残ってるもの

三が月前に、セントラルに偶然遺跡を発見する話、

覚えてますか?


最古の古民家の遺跡地に存在してる閣麟街の隣、

嘉咸街に最古の側溝も同時に発見された模様。


最古の側溝というより、最古の配水システムです。

この三つ長方形石で並ばれてるとこです。

結志街威靈頓街に挟まれてる一段の嘉咸街以外、

さらに隣の卑利街も百メートル程度の最古側溝が発見された。 


この一枚1870年で撮った閣麟街の写真は最古という証拠です。

お分かりでしょうか?


拡大した写真の一部で、赤マークの中に注目してください。

この三つ長方形石で並び方は先ほどご紹介した嘉咸街に似ていませんか?

ちなみに、最古の古民家の遺跡地にある壁ですが、

この写真の右側の一部家から残されたものと見られています。


でも、写真のように「U」字までの形とは異なりますね。

過去の政府記録による、1924年車両に対して、

嘉咸街】、卑利街】に出入りの禁止令を公表された、

専門家の推測ですが、

当時この二本の道が車両による混み合いが相当ものだった、

時には車両の車輪がU」字の溝に陥ったことも考えれた。

この問題を対処するために、溝が平にすることもありえます。

この1897年の【皇后大道中】の写真もある程度説明してくれるよう、

側溝が既にU」字の形がなくなったね

コンクリートの水道になるのが1930年代、

そして、嘉咸街】の水道工事記録は1922年もあったため、

今、皆さんが普段見れてるこの三つ長方形石で作られてる側溝ですが、

もうすぐ100年かそれ以上の可能性もあるということがわかりまっした。 


たくさんの露店がこの細い道路の両脇に存在して100年以上もあって、

ずっと路上や側溝まで占用されて、

誰もこれが遺跡に気づいてなかっただろうか、

むしろ、見慣れてる光景であって、

特別なものとは思っていませんでしたね。


わたしの写真を取材する日も、結構露店で隠されてる部分があり、

わざわざ近づけないとこのような写真は撮れません。

今、発見した専門家がこの遺跡にめぐって、資料と写真を集め、

研究報告書まで仕上げて、

ぜひ、歴史遺跡を認定して頂くように政府関連部署に提示し、

訴えてるところです、

それによって、嘉咸街】の再開発企画がどうなるか

予想できない展開にすることも。

これも目に離れません。


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