tag:blogger.com,1999:blog-26542096770488870232024-02-03T05:13:39.457+08:00香港魂hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.comBlogger879125tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-18931015032145461602021-11-22T23:20:00.007+08:002021-11-23T07:51:13.189+08:002021冬こそ命懸けの煲仔飯を食す~紹華小廚 ここの煲仔飯(ボーチャイファン/土鍋飯)がどうしても食べたかった!2021年の年始、コロナ禍の最中、21日隔離を終えて、頭に真っ先に絶対ここに行きたいと決めてた。お店は筲箕灣の市場(香港では「街市」で呼ぶ)の構内にある、実は開業10年ぐらい、老舗ではありません。オーナーの朱さんはシェフ出身で20年経歴持ち主です。特に煲仔飯が大得意のため、独立しても煲仔飯で勝負したいということだ。煲仔飯作りは習得できたのがただ二日間で、からと言って、精通するまではかなり経験を積まないといけないみたいです。朱さんによる、コツはラードの適量の使用することです。もちろん火の加減も大事です。せっかく市場なので、別のお店で新鮮なイカを買って、朱さんから調理してもらいました。香港ならの常連さん特権ですね。(常連は私ではない)最初注文をしたのが北菇滑雞(シイタケと鳥肉)です。蓋を開けた瞬間は湯けむりと香りがhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-54776680041637721792019-06-07T10:35:00.002+08:002019-06-07T10:35:51.420+08:00端っこのスタンレーに別顔~香港懲教博物館
観光客が賑わってるスタンレーに立地されてるにもかかわらず、
わりとその存在があまり知らされてない博物館、
植民時代から現在までの香港の刑務所にかかわる歴史を知る、
まさに現役最古、
なおかつ最も有名な刑務所の隣にある「香港懲教博物館」に行ってきました。
入る前に庭では日本に関係ある「壁」が展示されてます。
本来は隣のスタンレー刑務所で建てられて、
高さ18フィート、厚さ18インチの壁でしたが、
太平洋戦争で日本軍による射撃を受けたもので、
さすが60年以上も使って老朽化のため、
建て替えた後に一部がこちらの場所で展示されるようになりました。
博物館が主に9つの展示エリアに分けられています。
順路ではなくてもそれぞれ見応えがあり、
生々しい展示物が見れます。
例えば手錠でも年代によって、違います。
刑務所のhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-49381449415156771512019-05-25T16:19:00.000+08:002019-05-25T16:33:19.478+08:00最高峰のハト丸焼きを味わう瑪寶鮮海鮮酒家
ハト料理を好んでわざわざ香港まで食べに来る方なら、
知る人ぞ知る名店の何軒を挙げてもここの名前が出て来ません。
飲食評論家から教えて頂くまでに上には上があることも知らなかった。
意外にも都心部を位置して、
海鮮レストランを名乗って、
実際どんな料理でも丁寧に仕上げて頂く、
一見さんから常連客に対しても優しい温かいまなざしを持ち、
いつも予約しないとなかなか入らないということを納得しました。
店内は特に変わった様子もなく、
今どき風のレストランという感じです。
但し、最高峰のハト丸焼きを頂くためには事前に予約をしないと、
その場では基本的に食べれません。
それ以外の有名な品の数々、
特に海鮮類も事前予約をした方が確実に食べれると教えて頂きました。
まず前菜からこのレストランの腕前を試してください。
決して適当なものを出しまhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-6464073265989890612019-05-15T11:57:00.001+08:002019-05-15T12:14:08.124+08:005人乗りのタクシーが消える日
現在香港で走ってるタクシーは4人乗りもあり、
5人乗りの2種類に分けられるとご存知ですか?、
90年代最盛期ではほとんど5人乗りでしたが、
実は80年代に一時期4人乗りのタクシーを導入したこともあります。
当時車内のスペースが狭く感じられたため、
しばらくにしたら、
姿が消えてしまった。
その後、
高度経済成長期もありながら、
少子化問題まだ表れてなかったことで、
5人乗りが一つの家庭にはぴったりので、
タクシーと言えば、
5人乗れるという連想が根付き始めた。
2008年頃から変化が見えてきます。
主なタクシーが使用される車両であるトヨタのコンフォートですが
規格が4人乗りになり、
その後、ハイブリッド車も同じく4人乗りのため、
次第に主流になってきます。
途中、
日産のCEDRIC Y31が香港マーケットに復帰して、
一時5人hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-74394122751128484542019-04-23T11:25:00.000+08:002019-04-23T11:26:47.045+08:00植民地色まだ強く残されてる羅便臣道
世界一長い屋外エスカレーターを終点まで乗って、
降りて周辺までウロウロする人がどのぐらいいるだろう。
以前なら、
街中心部とそれほど差のない雰囲気も言えるが、
ここ数年で街の「再建」による、
久しぶりに終点辺り「羅便臣道」に散策してみたら、
あの忘れさせられた植民地色の匂いが依然漂い、
ひょっとして、
昔の香港に戻れる旅ができるようなタイムスリップした感じがあるから、
消える前に記録しておきたかったです。
元々香港には二本の「羅便臣道」があった、
こちら以外、
九龍の「彌敦道」(ネイザンロード)も「羅便臣道」と命名された。
それぞれも植民地総督ロビンソン氏の功績を称えるためでしたが、
ロビンソン違いでした。
任期の違うロビンソン総督でした。
混乱を避けるために『彌敦道』をより広くする、
より整備できた植民地hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-47371896774463307562019-04-08T10:05:00.001+08:002019-04-08T10:05:49.688+08:00魚丸ごとをお粥にする老舗~新興棧食家
食材の鮮度を売りにするお粥と言えば、
広東省発祥の「生滾粥」であり、
香港の有名な「生滾粥」老舗と言えば、
都心部にある【新興棧食家】をぜひ知って頂きたいです。
この辺りに50年歴史もあり、
まさしく知る人ぞ知る存在大御所です。
創業当初は露店の形で経営してたが、
夜になると、
創業者の寝る場所としても使われてた。
ようやく経営が軌道に乗せた後に今の店舗に移動したそうです。
老舗とは言え、
内装が一度が行ったことによって、
わりと明るく清潔感があり、
地元をはじめ、
世界中からの観光客でも気軽に入れるような店内になっています。
多くのお客さんの目当てはここの「魚」お粥です。
正確に言うと、
魚を丸ごと食べるがこの老舗の自慢のこだわりです。
ひげからしっぽまでそれぞれが具hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-6625019035264581072019-03-31T10:33:00.000+08:002019-03-31T10:33:01.629+08:00香港の運命を左右する石の群れ
大昔から語り継がれている都市伝説として有名であり、
なぜか近年に聞かなくなった。
一つ石の行方によって、
香港の運命が大きく変わるという話です。
この石はまさに香港を象徴するピクトリアピークに位置しています。
(四年前の香港)
正確な場所ですが、
知る人ぞ知る山の中腹のハイキングコースの一部である【盧吉道】、
ビクトリアハーバー側に沿って徒歩20分程度、
道から距離わずか数十メートルの下に発見できるはず。
下記の写真に赤いマークの所は『亀石』と称される石の群れですが、
戦前からの一人の道士が重陽という節句にピクトリアピークを登った時に、
指差しながら香港の運勢について語られた。
それを記録した人がいて、
1941年出版された【香港百年】という書籍に最もこの話の記載となった。
(インターネットからの引用)
hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-49410316330504284562019-03-16T11:49:00.004+08:002019-03-16T11:49:54.021+08:00ガイドブッでは教えてくれない鹿鳴春の珍味
誰でも知り尽くされてるつもりである有名店では、
定番料理以外、
実はメニューには隠されてる数々のおいしいものがある、
香港人の私すら普段から平気に見逃した、
日本人もきっとガイドブックに記載されるものしかわからないだろう。
同じ思いを持つ香港では有名な美食評論家からの提案で、
今どきには貴重となる老舗である「鹿鳴春」を映像で記録しながら、
ぜひ後世にも残しておきたい伝統の北京料理を紹介する番組を参加しました。
当然ここの北京ダックは外せないですが、
本物の北京料理はこれだけではありません。
①鹽爆管廷
②炒木須肉実
③鍋燒元蹄
④炸春段
⑤酒糟雞肝
以上もそれぞれの特徴がありながら世の中に忘れかけられています。
紹介されてないから誰も注目してないせいか、
もしそのまま食べる人がなくなっhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-13591801705665712982019-03-08T12:12:00.000+08:002019-03-08T12:12:05.664+08:00グリーンが満ち溢れてた香港
気づいてる方もいるだろうと思いますが、
香港の至る場所がなぜかこの「グリーン」を目に入る、
思い出してみてください。
街端にはみ出る屋台、露店から、
シンボル的な存在のスターフェリー、路面電車、
約30年前で使用してたピークトラムの車体まで
すべてがこの「グリーン」をテーマ色にした。
実はある理由で専門家からの分析でわかりました。
一般な視点としては、
この色が目立ちながら、耐用性があるという理由で使用し続けた。
一方、
屋台や露店の運営規制に関して、
外貌の色の指定など特にルールあるわけではありません。
基本的に色使いは自由です。
香港大学の副教授の李浩然氏が有力の説明による、
1945年戦後、
香港の経済発展がそれほど著しくなく、
社会的な消費風潮がどちらからというと保守的、
とにかく実用性を重視し、
単価hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-77398531678473369392019-02-18T11:36:00.001+08:002019-02-18T11:42:26.094+08:00基礎を教えてくれる老舗~蛇王業
蛇料理と言えば、
間近で蛇の陣から囲まれてる店内で食べるイメージが強いですが、
地元の若い人すら対抗があるのに、
土地勘のない観光客にとって
入店するハードルも高いと思われます。
今回ご紹介したいのが蛇の初心者でも手頃の価格で安心味わえる老舗、
約70年歴史ある~「蛇王業」です。
3代目から引き継がれてから、
たくさんの籠に蛇を納める店内風景を一変して、
シンプルな内装で誰でも入りやすい雰囲気になっています。
また、このお店の蛇料理の特徴として、
できるだけ漢方薬を入れないように調理されることです。
急に突然寒くなり、
体調を崩しやすい時期に香港人が蛇料理で滋養を取る話をよく聞きますが、
実際蛇より調理する時入れた漢方が効いてることも否定できません。
香港のあらゆる蛇料理がお店の手法によって、
味がかけ離れていることもあり、hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-52354637792627617302019-02-10T00:18:00.000+08:002019-02-10T00:30:04.078+08:00スリルの道は百年前から傑作
香港の繁華街にそろそろ制覇して、
郊外の様子を見てみようと思って、
大体皆さんが最初に思いついた場所はスタンレーでしょうか?
そして、
スタンレー行きバスの途中にダムの上に走る細い道を覚えていますか?
実は辺りは100年歴史もある法定遺跡群です。
全体の貯水湖群が4つに分けられて、
最も施工が早かった箇所が1883年からだそうです。
1917年、最後に完成された貯水湖である「大潭篤」ですが、
当時「アジアの第一ダム」と称賛されました。
今でも落成後まもない建てられた記念碑が健在です。
その横からダムの下への道があります。
ダムの下にはBBQ施設があり、
休日には賑わって談笑の音が途絶えることもなかった。
ダムの建築はコンクリートと花崗岩を併用して、
スタンレーと都心部に結ぶ道を支えて作られた。
本来は海まで面する設計だっhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-2103244723610970152018-12-10T11:41:00.000+08:002018-12-10T11:41:32.959+08:00具材を最優先にする火鍋屋~潮牛莊
肌寒く感じる季節になると、
無償に火鍋を食べたくなりませんか?
香港の王道火鍋はもちろん牛を中心するものですが、
実はよく食べられてる牛、むしろ香港人よく「肥牛」と呼ばれるところ、
主な牛バラという部分で、
食感と脂っこさもベストではないです。
今回ご紹介したいのが香港にわずかお店で仕入れできる部位、
最高峰の牛でゆっくりに火鍋を堪能できるお店です。
皆さんのイメージとは違って、
一人ぞれぞれの座る場所の前に個人用の鍋が注文できます。
辛いトムヤムクンから体にいい漢方スープの鍋スープベースも注文できます。
一人様で気楽で自由のように食べれます。
肝心な鍋ようの具材ですが、
当然牛になります。
その中で3種類のものが絶対見逃さないでほしいです。
まずは「挽手」です。
バラに直結する胸の肉であります。
一頭の牛には0.5hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-55521182351341158862018-12-06T13:42:00.000+08:002018-12-06T14:01:04.279+08:00【後編】香港唯一の校内ヘリテージトレイル
本篇は中学聖士提反書院(セントステファン中学)の歴史について、
簡単にご紹介したいと思います。
地元の子供たちへの英語教育を進みたい一心で、
1903年、香港のカイタック空港の産み親の一人~何啓氏を含め、
合わせた8人の商人や学者が植民政府に学校建設の提案をした末、
現在の香港大学の敷地に立地された校舎が建てられた。
1930年、今の場所に移転した以来、
ずっとスタンレーのシンボルの一つになっています。
土地は植民政府から提供されたが、
校舎自体がいろな方々や銀行までの募金で建てることができた。
「書院大楼」内にも当時のそれぞれ投じた金額の記載が残っています。
校内最も先に建てられた「書院大楼」ですが、
ほとんど花崗岩を使用し、
巨大な柱が立ち並ぶでできた回廊が植民スタイルに見える作りですが、
屋根は中国風の瓦が使用された、
hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-21455339441984760922018-12-05T13:34:00.002+08:002018-12-05T13:34:59.574+08:00【前編】聖士提反書院のブラッククリスマス
念願の建物を見学させて頂いたことができました。
香港の最もの辛いクリスマスがここにあった、
まさか学校で大虐殺が行われたとは誰も考えていなかった。
創立115年になって今年も12月に入ると、
どうしてもこの歴史が甦られ、
過去香港を防衛するための犠牲者たちに敬意を払いながら、
スタンレーを見守り続いた【聖士提反書院】をご紹介したいと思います。
(聖士提反書院➡セントステファン中学)
香港内に最も校舎敷地の面積が広い中学ですが、
それぞれの建物が歴史建築物と認定されます。
その上、
学校の玄関口にこのプレートに書かれてるように、
日本に占領された時にが収容所として山ほど民間人捕虜が拘束された。
微かな環境に立地された私立中学に一体何かあったでしょうか。
広々とした校内にこの高台からの眺めはとても印象的でした。
スタンレー湾が一望できhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-1189162419907578392018-11-29T12:06:00.000+08:002018-11-29T12:09:19.562+08:00蓮香という飲茶文化を背負ってる看板
今年ちょうど100年目に迎い、
知る人ぞ知るの香港の飲茶屋さん、
まさにこれまでの香港の変化を見守り続けてくれる中、
来年あたまから皆さんもお馴染みの立地から去ってくとなります。
そのために、
恐らく日本人の中に知り尽くされてる方々が大勢と思いながら、
個人なりに「蓮香楼」に対する思い出や感想を書き綴っておきます。
お店の元は1899年広州で創業した、
【月餅】の餡子になる蓮の実を定着させた「連香樓」というパン屋さんです。
1910年に陳如岳氏(皇帝直属の秘書室の方)さんがこの店を食べて、
そのおいしさにびっくりされ、
店の名前「連香樓」の「連」を「蓮」にすると提案した末、
お店は今の名前「蓮香樓」になりました。
改名した年に広州の「茶楼大王」である譚新義氏に買収された。
その後、10店舗まで展開できた繁盛店になった。
hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-9465543065054353412018-11-12T12:18:00.000+08:002018-11-12T12:22:50.530+08:00夢のソフトクリームの移動販売トラック
街ぶらり途中、
もしかして見たことがあるこの可愛らしいトラックですが、
実は我々香港人にとっては子供からの憧れ、
遠くから流されてる世界の名曲『美しく青きドナウ』はまさに合言葉です。
ソフトクリームの移動販売をしてるよと周辺の皆さんをお知らせようです。
現在はわずか14台のみ取り残されてるのだそうで、
この14台も1978年に政府が移動屋台ライセンスの発行を廃止した、
新しく参入できなくなったからの貴重なもので、
減って行く一方に違いません。
香港でソフトクリームの移動販売トラックが現れたのが1970年だそうです。
一人の香港人~唐學元氏と仲間が1969年にイギリスへ旅行する時に、
路上で見て面白がってた勢いで、
アメリカである本社に特許権を取得しに行った。
そして、香港の初めてのソフトクリームの移動販売トラックが荃灣で行ったhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-74787227860981136912018-10-12T11:25:00.000+08:002018-10-12T11:26:13.440+08:00地元の食生活が垣間見える一軒~坤記腸粉
ミシュランガイドに載せられた香港B級グルメのお店、
腸粉を売りにする「合益泰小食」がきっかけで、
うるち米を原材料とした固形物を蒸して仕上げたという地元食が一躍有名に、
香港人だけではなく、
わざわざ食べに来る外国人も増えてるそうです。
子供の頃におやつや朝ごはんの存在としたものですが、
世界の舞台に立つようになるなんで夢にも思えいませんでした。
今回地元をはじめ、
香港人でも認められてるもう一軒の名店をご紹介したいと思います。
店の構えはまさに古き良き時代を象徴する小売店と変わらない、
目立つ看板もなければ、
店内は座れる場所も限られています。
看板メニューの【坤記腸粉】以外、
ひょっとして飲茶にもよく食べられる料理も提供されています。
当然腸粉を食べずに帰るわけには行きません。
4本で10HKドル、6本で12ドルというhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-75036047736807862762018-09-29T00:12:00.001+08:002018-09-29T00:20:07.895+08:00庶民食に潜まれてる贅沢さ~手拉麵小廚
いつかここに開業したかまったく情報はなく、
知ってるのが地元をはじめ、
わざわざ遠くからのファンもたくさんいることです。
外観もごく普通、
まさに噂を頼っただけの取材でした。
店内に入ると、
レトロ感ゼロでありながら、
茶餐廳と麺家が合体される感じの内装、
狭いですが、
とにかく明るく、清潔感があるお店です。
お昼12時半から2時の間はお店のピークだそうで、
いつも満員状態だから、
早めに行ったおかげ、
すんなりと座れた。
お店の看板料理はラムの麺と小籠包です。
一人の男で食べ切れるかどうか不安で、
とりあえず注文しました。
価格ですが、
以前より値上げたそうで、
注文した【羊肉搶湯拉麵】は50HKドルで、
小籠包に合わせても100HKドルもしないことはお値打ちだと思います。
&hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-77896422828118887102018-09-21T11:51:00.000+08:002018-09-21T11:52:35.872+08:00廣彩ゆかりの地~道風山基督教叢林
話がすべては80年前から、
ノルウェーのキリスト教の牧師Karl Ludvig Reichelt氏が香港に移り住む、
この地に教会を設立され、
デンマークの建築家Johannes Prip-Moller氏を招いて、
この道風山基督教叢林の建築群を設計して頂くことによって、
沙田の山中に中国風の教会建築群が密やかに作り上げられた。
詳しくの紹介は仲間である香港+上海さんぽ☆快快楽楽さんの記事へどうぞ!
こちら➡http://hongkongkisaragi.blog.fc2.com/blog-entry-662.html
とても詳しくご紹介して頂いたので、
この記事があえて補充する程度に過ぎません。
今回訪れたきっかけはこちらに駐在する廣彩の職人のご招待があったから、
彼の話による、hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-87866219947181048122018-09-03T09:25:00.000+08:002018-09-03T09:25:21.866+08:00お化け屋敷と豪邸の間
ビクトリアピークで世界にも超有名な散歩コース、
抜群の眺めを擁しながら、
混雑とは無縁でのんびりジョギングできる「盧吉道」ですが、
普段は爽やかな散歩道のイメージが強かった一方、
沿道にいろな貴重な建物や豪邸が存在してることをご存知ですか?
数多く植民地になって初期から建てられたもので、
歴史建築が認定された所もただあります。
今回ご紹介するのが香港<最高>のお化け屋敷と言われる廃墟化した豪邸、
現在立ち入り禁止の地となり、
取材の敢行する日にたまたま運がよく、
管理の担当スタッフと交渉した末に入れさせて頂きました。
かつて撮影目的で不法侵入する人も少なくなかったため、
敢えて住所と豪邸の名を公開しません。
この記事で建物の雰囲気を堪能してください。
「盧吉道」に沿って徒歩30分に経たないぐらいに目に入るこの建物ですが、
hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-12346989488998474392018-08-27T09:38:00.000+08:002018-08-27T09:38:43.844+08:00点心が正真正銘の香港製造~新興食家
今風の飲茶屋さんや点心のチェーン店が日頃からに賑わってる中、
食べられてるものが香港製造かどうか気にしてるだろうか疑問ですが、
あえてわたしは気にしています。
美味しさ以外に追求するのが新鮮さのため、
目の前の厨房があって、間近で手作りの風景が丸見えなお店こそ、
香港製造しかできないと思って、ここをおすすめしたいと思います。
店舗の外観は目立たない上、
飲茶できるところと思われないが、
知る人ぞ知る、
特に地元がその存在を知らない人いないぐらい愛されています。
こう見ても50年に近い歴史を持つ老舗、
九龍の楽富から創業して、
30年前から今の場所に落ち着いたが、
結局家賃との闘いのために
3回に渡った移転もした堅実な一軒です。
セルフサービスに近いので、
はじめの方は最初から戸惑うかもしれないhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-35783764739762618382018-08-23T12:02:00.000+08:002018-08-23T12:02:52.210+08:00都会中に少数のビルで作られた客家村
街づくり、施設の建設による、
原住民がやむを得ずに移動させることがここ数年からではなく、
植民時代からも既に行われてるものです。
その中に、
一村落が丸ごとで都会に移植させて、
まったく違和感のないように潜んでることは香港内には珍しいです。
ご紹介したいのがここ荃灣にある【石碧新村】です。
広東語をマスターした方なら、
この村の源がどこにあるかわかるはず。
英語は【Shek Pik New Village】です。
もうお分かりでしょうか?
そうです。ランタオ島にある【石壁ダム】の場所に拠点をする客家村です。
1950~60年頃、香港の高速発展と伴い、
水不足の問題も浮上してきます。
そこで植民地政府が当時ほぼ未開発のランタウ島の石壁谷を目に付け、
この辺りの【石壁郷】を証する場所にダムをhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-74401063297855493492018-08-07T14:17:00.001+08:002018-08-07T14:17:08.106+08:00謎に包まれた未開拓の地~洪水橋
ますます香港魂のディープへの世界へようこそ!
今回ご紹介したいエリアは屯門と元朗の間にある「洪水橋」です。
近年高速発展の高級住宅地に挟まれてる地区に、
なぜか密集するような団地や開発計画はなかったと不思議がっていません?
そこから様々な諸説をはじめ、
確実な証言のない謎に包まれてるそうです。
そもそも、なぜ「洪水橋」に命名されたかどういうと、
洪水発生しやすい地区ためではなく、
いろな説の中に、
近辺にある「紅水山」から「紅水河」の下流に位置することであり、
屯門と元朗の間に走る道路の橋が「紅水橋」という命名からだそうです。
1948年香港の新聞にもこの地区の歴史を「紅水橋」として紹介された。
しかし、血のような水が川に流れたり、
その他の血につながる噂話によって、
やむをえず「洪水橋」に改名したらしいです。hongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-29576709955293342872018-07-23T08:22:00.000+08:002018-07-23T08:22:25.181+08:00百年続きますように~珍香園
この地区に60年に近い、
ちゃんとしたお店を構えたまで路上販売時期も含めたら、
実は100年超えの老舗です。
世代交代あまりうまくできてない香港の現状の中、
この看板を背負う4代目がしっかり引き継がれてるようです。
香港の下町に必ず一軒か二軒地元に愛される豆腐屋さんがあります。
こちらのお店は一度廃業危機に訪れた時期があった、
それは3代目に引き継いでもらう時に海外まで逃げ出した、
体力の限界を感じた2代目から悟ったシナリオでした。
移民した3代目が海外にいた頃によって、
豆腐の存在が改めて考えさせられた、
外国人が一つのことに研究熱心の姿を見て、
生れた故郷のソウルフードに再び精力を注ぐことになって、
香港に戻って先代からのバトンを受け取ると決めました。
店内のメニューでも3代目の研究による、
開発されたhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2654209677048887023.post-45885862040710251982018-07-19T01:18:00.000+08:002018-07-19T01:18:28.685+08:00柵から騎樓の話
記事にするきっかけは読者からの質問です。
ガイドしながら、香港の古き良きエリアをご案内する際に、
「建物の壁や柱の近くに半円形の柵のようなものは何?」
まさに今まで気づいてなかった、
当たり前にありながら、
存在の意味をはじめ、
呼び名すら知りませんでした。
しかし、
かなり時間を掛けて探ってみたが、
この「物体」はいつから、どうのような経緯で、
あらゆる場所で取り付けるようになったか正解が今一つわかりません。
鉄職人から「太陽花(ひまわり)欄桿」と呼ぶらしい、
そして、世間に【風水】のためで取り付ける説を一蹴して、
実際は防犯用の柵であることと明かした。
古い建物をはじめ、特に戦前の唐楼の外壁によく見かけます。
確かあの時代は高くても三、四階建て、
密集して立ち並ぶと、
「騎樓」という特徴を持つ建物が非常に犯行しやhongkongsoulhttp://www.blogger.com/profile/15954487962382414463noreply@blogger.com0