2018/08/07

謎に包まれた未開拓の地~洪水橋

ますます香港魂のディープへの世界へようこそ!
今回ご紹介したいエリアは屯門と元朗の間にある「洪水橋」です。
近年高速発展の高級住宅地に挟まれてる地区に、
なぜか密集するような団地や開発計画はなかったと不思議がっていません?
そこから様々な諸説をはじめ、
確実な証言のない謎に包まれてるそうです。


そもそも、なぜ「洪水橋」に命名されたかどういうと、
洪水発生しやすい地区ためではなく、
いろな説の中に、
近辺にある「紅水山」から「紅水河」の下流に位置することであり、
屯門と元朗の間に走る道路の橋が「紅水橋」という命名からだそうです。
1948年香港の新聞にもこの地区の歴史を「紅水橋」として紹介された。
しかし、血のような水が川に流れたり、
その他の血につながる噂話によって、
やむをえず「洪水橋」に改名したらしいです。


その噂話の中で、
この地区に最も有名な村「丹柱村路」に関連しています。
日本に占領された時代に「丹柱村」の前になる場所で、
大量抗日の人々が殺害されて、
川に流されたり、土地に埋められたり過去によって、
今でも時々不可解なことが起きたり、交通事故が多発したりします。


だから道端でもよくこのような鎮魂碑や供養碑が見れます。
以前も多少ご紹介したと思います。
詳しくは➡【路上石碑のあれこれ】をご覧ください。
また、昔から土地開発に携わる人物の話による、
工事現場から掘り出した土壌に骸骨のようなものが発見されたようです。
それらの一連の本当かどうか噂話があるために、
地元の意志を尊重しながら、急激な発展を緩めてると勝手に解釈しています。


まさに噂話のおかげで、
この地区が今だ古き良き時代の面影がまだ残されいます。
閑散されてる街風景があっちこっちにも見かけます。
取材当日は平日でもあって、
行き来する人が村人ぐらいしかいませんでした。



昔の香港の村落のような店が「丹柱村路」に沿いに立ち並んでいます。
店内の人の気配もあまり感じませんでした。
時にはマージャンと笑い声が聞こえる程度で、
怖い話と対照的にのんびりしてる村です。


実は当日の取材目的はこの「永興士多」でした。
一見ごく普通の売店ですが、
情報による、茶餐廳もやられて、店内に漂うレトロな感もよさそうで、
一度訪ねてみたかったが、
まさかの休みです。
こういうお店の定休日はなかなか読めません。


道に進み、
雰囲気も少しずつ変わっていく、
お店から家の庭みたいな広々とした敷地が多くなり
それでも鳥肌が立つような暗闇の様子ではありません。


分岐道は多数があり、
行き当たりばったりのぶらぶらの散策にちょうどいいスケール、
途中に香港製造の調味料工場も発見した。
いきなりの見学は無理そうですが、
玄関口に販売コーナーがあって、
思わずなお土産をゲットするチャンスになるかもしれません。


村落の道だらけではなく、
時折大きな一本道に来たら、
綺麗な外貌を持つ小学の校舎が見れる、
香港有数の貴族住宅地「九龍塘」の学校と変わらない立派です。


ちゃんとした舗装された道の優雅さがまるで高級自宅地にいます。
一人でも十分安心歩けます。



再び細い道に入ると、
今度は廃墟状態になってる邸宅の姿が現れます。
こう見ても既に80年歴史があり、
地元警察の王灼氏から建てられたものです。


昔の地元の生活っぷりが垣間見える建築物ですが、
やっと三級歴史建築と認定されたものの、
現在のオーナーが再建計画を敢行すると決めて、
玄関だけでも独特な魅力を感じる建物が取り壊されるのが時間の問題です。
ぜひ見たい方はこちら⇓
住所:元朗洪水橋丹桂村338號(汽車修理場の近く)


取材したわずか数時間の中、
普段まったく注目してなかった香港の一角ですが、
思った以上深い歴史があって、
現代化に迫ってくる中にも本来の素朴さが失われてなく、
地元がいつも通りに生活してるところがまさに最大な見所です。


間違えなく香港を愛する人々の開拓余地ある場所、
地元食などまだ手に出してない悔いがあるので、
近いうちに再度訪れたい所にメモしました。
香港を知り尽くした方々、
ぜひ、ここまで制覇してみてください。



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