2015/10/23

都会中の村落~茶果嶺村

街中の古い村落ですが、

以前ご紹介した衙前圍村牛池灣村よりさらに東へ、

聞いたことある名前でありながら、

実際行ったことない「茶果嶺村」に行って来ました。



19世紀から中国広東省の惠州客家の移民がここに移り住み、

現在およそ2000人も住んでいる村です。

1922年頃、この辺りの英語名前は「Rocky Hill」と言う、

当時の地図での標高の表記は151メートルもある山でした。


しかも、花崗岩が採取できる山もあり、

この周辺まで働きに来てる人も増えて行ったそうです。

そのおかけで、当時の山が今の丘になりました。

では、なんで「茶果嶺」に命名されたかどういう、

山中にたくさんオオバギの木(広東語は「茶果樹」)があるからです。



現在の村にはほとんど年寄、新移民しか取り残されていません。

普通に村の細い通りに歩いても、

決して賑わってる様子ではなかったが、

意外と小さいなお店があっちこっち点在されています。


綺麗な看板はない、特別なものを売ってるわけでもない、

ただ、ただ村人が暇つぶし的な感じでやっています。

話を聞くと、自前の物件とは言え、

商売する以外、それほど価値はありません。



石なり、鉄板なりで作られた家が散らかってるように見えるが、

それでも空間をうまく利用されて、

村落で取りまとめられています。


その中で、

一番目立つのが下記写真の右側の家、

100年以上も建てられた「羅氏大屋」は一番有名、

最盛期は200人も中に住んでいました。


     

「茶果嶺村」の天后廟も外せません。

清代の時、この茶果嶺山での花崗岩で建てられ天后廟ですが

毎年の天后誕になる、数多くの旗を立て、

仮設ステージを設け、

粵曲などの催しが行われたそうです。

年中最も盛り上がった日で、

普段の物凄く静かさとはかなり対照的です。



天后廟がここで建てられてるは元々海沿いということです。

確かに大きいな通りに渡れば、

既に西灣河、太古を眺める海に辿り着きます。


50年代、政府が觀塘を発展することによって、

今までちゃんと道一本もなかった茶果嶺村の目の前に、

広い「茶果嶺道」ができました。

海との距離が少し離れるようになったものの、

車や大きいな建設が増えることはなく、

現在まで至ります。 


政府の都会再建計画ではこの村も目を付けられるが、

なかなか住民が提示される条件を飲みません。

しばらく膠着状態になり、

静かな日々はまだいつも通りに送っています。


実は村落に面する大通りに抜けたら、

埠頭のような場所では夕日を見る絶好のロケーションとしてよく知らされて、

釣り好きな人も何人いました、

こんなプレミアムな場所、

あの日までわたしは全然知りませんでした。



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