2018/04/27

コネある客家料理~醉瓊樓

チェーン店ではないのに、
絶頂期の時になんと50店舗まで盛んだった客家飯店。
現在もう片手しか数えられる老舗になってきます。
今回、最も歴史ある一軒を訪れて来ました。
昔ならどこでも簡単に食べれる客家料理ですが、
まるで「絶滅危惧料理」で、
しっかりその味を噛み締めて行かつもりでした。


まず『醉瓊樓』という命名ですが、
1950年代以後、
香港の客家一族の人数が急増するため、
客家料理のニーズもとも増えています。
1956年、第一号の『醉瓊樓』がコーズウェイベイで誕生しました。
当時の人気っぷりがまさに起爆剤のように、
あっちこっちもその看板が見れるほど有名店になりました。


しかし、あの50店舗まで繁殖された『醉瓊樓』ですが、
ほとんどオーナーが違った、
オーナーたちも良き仲間であって、
客家料理をもっと世の中に広めてもらえば、
『醉瓊樓』の店名の使用が容認されています。
ネーミングの著作権法が導入した以後、
それぞれの店名が微妙に弄ったため、
『〇〇醉瓊樓』、『醉瓊樓〇〇店』などもややこしくなってきます。
ただ一つ言えるのが、妙に弄ったため、
『醉瓊樓』を見かける所がまだ下町の感じが取り残されてるエリアです。


ともかく、『醉瓊樓』という看板を見れば、
本格的な客家料理を味わえながら、
レトロな雰囲気な内装も期待できます。
特に今回訪れたこの店、
この年代なら、
消えていくぱっかりロフトが備えています。


壁の色使い、懐かしいタイルがタイムスリップをさせてくれます。
メニューも開業当時からほとんど変わらないようです。


我々は約6時45分の入店ですが、
まだまだ店内がガラガラ、
写真の撮り放題の時間でした。


特別に座りたい席があれば、
事前予約して、テーブルの確保ができると思います。
当日で壁に張り付けたメニューの中で、
一人様のためのも提供されてるようで、
恐れず店内にチャレンジしてもよいかと思っています。


ここからロフトへの階段、
一人用の背もたれ椅子に多数があります。
意外とすんなり入れるはずです。


当日注文した料理ですが、
とてつもない客家料理の数々です。
まずこれ定番中の定番、
《客家釀豆腐》(客家の肉詰め豆腐)、
なぜ日本人が麻婆豆腐あんなに好きか理由がわかりませんが、
きっとこっちの方が日本人から好まれると思っています。


次は《鹽焗雞》(塩蒸し鶏)、
シンプルだから、好きです。



もちろん欠かさない《清蒸大鯇魚》(ネギ生姜添え蒸し鯇魚)、
香港人の食卓によく見かける一品です。


最後はこの客家名物の《梅菜扣肉》(豚バラ肉と梅菜の蒸し煮)、
一度食べないと、
客家料理を味わったとは言えませんほど有名な料理です。
これだけで白ごはんがたまらない日本人がやほどほいるようです。


ほかには日替わりスープを加え、全て五品、
4人セットで合計498HKドルのお得なメニューでした。
野菜炒めの単品だけ追加すれば、
もう満腹を抱え込んで帰れるはず。
どれでも超絶品とは言えませんが、
客家料理の本来魅力となる素朴さが思い存分味わえました。



また、この『醉瓊樓』の夜には80年代を彷彿させるネオン管が見れるほか、
昼顔も意外と見応えがあります。
看板の上の建物にかつて輝いた面影がまだ残されています。
しかし、
昔、『醉瓊樓』から離れた元従業員から創立した『泉章居』と比べ、
発展の道がまったく異なっています。
感慨深いものも感じられます。 


住所:佐敦西貢街7號地下
営業時間:1100~2300(年中無休) 
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2018/04/18

唯一の人力車夫~もしかして最後の

香港の最古の交通手段と言っても過言ではありません、
植民地になったばかり頃、
セダンチェアの唯一の競争相手でもあります。
実は当時現れた人力車は日本から導入されるものとのこと、
かなり長い時期に一般市民の交通手段として各地に溢れました。
しかし、
1960年代から交通機関のバスが普及し始めてから、
人力車の運命が大きく変わった。
まず、植民地政府が人力車の営業ランセンスの発行が慎重になり、
1968年が正式発行停止となった。
あの頃は取り残されてた人力車はわずか300台前後でした。


まさに、今回ご紹介した香港唯一人力車のランセンス所持者、
1968年というギリギリのタイミングでこの業界に飛び込んだ~『洪さん』、
68歳の高齢で全財産の13台人力車を抱え込んでしぶとく経営しています。
もちろん昔のように乗りたがってるお客さんが大勢わけではないため、
毎日人力車の前の待機することはありません。
乗りたい人が自ら電話や通信アプリで連絡して予約しない限り、
洪さんの姿が見れません。


また、『洪さん』の都合の日、時間帯でしか対応してくれません。
本人曰く、今ほぼ趣味として継続してる、
そして、香港にも人力車があると皆さんに知ってもらう一心でやっています。
やはり年は年で、
移動は思わず行かないこともあるだろうか、
指定時間帯の通りに来られなかったものの、
電話中でしっかり覚えてもらって、
あとどのぐらい着くまで丁寧に教えてもらいました。
サービス業の大先輩である『洪さん』がお客さんの心理を知り尽くしています。


スターフェリーターミナルがスタート点で、
セントラル第四フェリターミナルを折り返し、
スタート点に戻るという簡単なコースですが、
68歳の『洪さん』にとっては容易ではないはず、
会ったばっかり時にとってもおしゃべり好きな感じでしたが、
いざ一生懸命引いてる時に黙々となり、
最初はで小走りだったが、次第に歩くという如何に大変か伝わって来た。


昔からセントラルの海沿いは『洪さん』の営業本拠地ですが、
一時期ビクトリアピークでも人力車を引いたことあります。
結局今のスターフェリーターミナルの所に定着しました。


コース途中に外国人の観光客のみならず、
一部の香港人の若い人たちがこの引いてる人力車を見ると、
何か新しいものを発見したように騒立った。
数十年前にまだポストカードや写真で香港のシンボルとして登場してたのに、
もうまったく認知度はありません。
あの瞬間に『洪さん』の気持ちと分かち合えました。


返還前にまだ観光客だけでやっていけた収入が得れたものの、
この重要な香港トレードマークがいつの間にか放置された。
取材当日、ちょうど引いてもらった時に、
人力車観光バスが『洪さん』の背景になった、
なんか風刺的は絵にもなった。


今回わずかな距離のコースですが、
前後20分程度で、
料金は200HKドルでした。
話によると、返還前とそれほど変わりませんでした。
距離がもうちょっと長く、
コース路線の選択もあったとかもしれません。
それにしても自力で稼いだお金ですから、
『洪さん』にとって、深い意味ある収入のようです。


唯一の人力車営業ランセンス所持者とは言え、
『洪さん』は孤独ではありません、
取材当日は親戚な方がほかの管理されてる人力車をメンテナンスしてた。
将来に引き継がれるかどうか未明、
法律上は可能かどうも明言していませんでした。
とにかく、興味ある方一刻でも早く体験してみてください。


上記最初の一枚の写真でも『洪さん』の連絡先も映されています、
広東語しか対応できないですが、
現場のある表示をよく見てみると、
英語通訳のポランティアの方の連絡先でも書かれています。
広東語を話せない方はこちらの方にお願いをしてもいいはず。
どうしても日本語なら、
一度私に連絡をしてください。
時間を許す限りに手伝います。


現在『洪さん』は人力車を引くだけで生活できるわけではありません、
自ら人力車を作り出したり、
外国人にも販売しています。
かつてイギリスと日本のお客さんからの購入実績があるようです。
ほとんど手作りで、
販売価格は約2万HKドル。
ボランティアの方が公式Facebookページまでつくってあげた、
香港人力車の詳細について、
こちらのサイトでもどうぞ⇓
皆さん、香港にも人力車があることを忘れないでください。
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2018/04/03

盆菜宴会から垣間見る新界の一面

香港人すら、なかなか本格的な盆菜宴会が参加できないのに、
運がよくて、知り合いの誘いがあって参加できた。
盆菜と言えば、
新界の原住民から先代から引き継がれた伝統料理の一つです。
その由来は様々の説がありますが、
13世紀南宋末期に、
『元』の軍隊に追われた朝廷の君臣らが香港まで南下した際、
新界に通りかかった時に、
村人たちに熱く迎え入れられた。
しかし、持ってる高級食材や珍味をもてなすための入れ物が足りず、
切羽詰った村人たちが大きな木製の桶で盛り合わせて差し出した、
のちに盆菜までに進化されるという話が最も有力です。


盆菜宴会が昼でも夜でも開催されることも、
開催側になると思いますが、
今回の参加させて頂いた宴会は夕方からです。
午後5時半に新界にある囲村までに案内されたときに、
既に数えきれないほどひとたちが集まられています。
やはり囲村の住民とその親戚をはじめ、
親交のある仲良しの友人などしかこの宴会を誘わないみたいです。
それ以外、
宴会に欠かせない余興を担当するプロたちです。
囲村とは言え、
かなり本格的な機械、スピーカー、ステージまで一通り整って、
アマチュア歌手までをお願いして宴会を盛り上げってます。


盆菜宴会のスタートがバラバラなことは一般的だそうです。
とにかく、テーブルごとで定員数が集まれば、
すぐでも始まれます。
まったく知らない他人ではない、
きっとどんたの知り合い、親戚という内輪の人間だから、
相席なんで全然気にすることはありません。
当日は埋まってる席と誰もいない席しか見分けなかった。
宴会参加者が次から次へに円卓を埋めていくから、
我々のもすぐスタットを切りました。


盆菜について、
過去に【盆菜とは?】に軽く紹介しましたが、
もう少し細かく説明したら、
出来上がるまでに三日かかるという昔からの記載があります。
初日は山へ薪とり、十分な薪はないと、十分のご馳走が作れない、
二日目は新鮮な材料を揃えに買い出し、
三日目は丸一日をかけて料理するというあの時代だからの必要な工夫です。


伝統の盆菜の構成ですが、
上からそれぞれの食材で六層に重ねられます。
上の三層はガチョウ、鶏肉、エビや海の幸の干物など、
下の三層は大根、にんじん、豚皮がよく使われます。
煮汁のうまみが最上層から下の各層にしみ込み、
吸い込みやすい食材が置かれる最下層が全部を吸収し、
食べる順によって、
うまみが増していくという意図だと考えれます。


盆菜の下にあるコンロですが、
冷めないように一応火を付け続けています。
昔ではなかった現代的な発明の良さも取り入れました。
円卓の皆さんの写真時間が終わったら、
一斉に箸を差し、
好きな食べ物を拾ったり、
飲みながら、おしゃべったりし始めます。
特別なテーブルマナーが入りません。
ただし、途中アマチュア歌手の歌声や爆竹の音など、
思い寄らない音が飛び交っている、
のんぴり会話することはなかなかできません。


ちなみに、
盆菜は元々野菜がほとんど入ってない料理で、
由来からの分析ですが、
新界にどこでもありそうな野菜を朝廷の君臣に食べさせるなんで、
あまり価値のない料理を食べさせると同様の発想で、
あえて入れてなかったという説があります。


ただし、現代人の野菜不足を解消するには、
勝手に野菜を追加したりする習慣も珍しくないようです。
会場にも自らこの辺の野菜を取って洗って、
皆さんに配り、
即席に煮って食べる人もたくさんいます。
僕も含めでした。


なかなか具がありすぎて、
食べ切れない盆菜ですが、
円卓の皆さんのペースが落ちて来ます。
その時に、目を疑う光景が目撃しました。
空に舞い上がる花火がノンストップで15分も続きました。
もちろんその規模がビクトリアハーバーで行う花火大会のと比べられない、
高い建物のない広い新界の囲村の空に余計キレイに映った。


あの瞬間、金融都市の香港にいる感じがしなくなった、
かつての農村の時代にいると彷彿させられた。
爆竹、花火をするなんで、
厳密に言うと法律に反するのに、
なんでここでできるか疑問が既にあります。
そこで『新界』だからできるというモヤモヤな答えで片づけながら、
究明しようがないまま現在に至っています。
植民地になって150年以上にもかかわらず、
かわらないものはかわらない、
特に『新界』、
かわらない理由が何か今回の盆菜宴会で少し感じ取れました。
また機会があれば、ぜひ、お話をしたいです。


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