香港の最古の交通手段と言っても過言ではありません、
植民地になったばかり頃、
セダンチェアの唯一の競争相手でもあります。
実は当時現れた人力車は日本から導入されるものとのこと、
かなり長い時期に一般市民の交通手段として各地に溢れました。
しかし、
1960年代から交通機関のバスが普及し始めてから、
人力車の運命が大きく変わった。
まず、植民地政府が人力車の営業ランセンスの発行が慎重になり、
1968年が正式発行停止となった。
あの頃は取り残されてた人力車はわずか300台前後でした。
まさに、今回ご紹介した香港唯一人力車のランセンス所持者、
1968年というギリギリのタイミングでこの業界に飛び込んだ~『洪さん』、
68歳の高齢で全財産の13台人力車を抱え込んでしぶとく経営しています。
もちろん昔のように乗りたがってるお客さんが大勢わけではないため、
毎日人力車の前の待機することはありません。
乗りたい人が自ら電話や通信アプリで連絡して予約しない限り、
洪さんの姿が見れません。
また、『洪さん』の都合の日、時間帯でしか対応してくれません。
本人曰く、今ほぼ趣味として継続してる、
そして、香港にも人力車があると皆さんに知ってもらう一心でやっています。
やはり年は年で、
移動は思わず行かないこともあるだろうか、
指定時間帯の通りに来られなかったものの、
電話中でしっかり覚えてもらって、
あとどのぐらい着くまで丁寧に教えてもらいました。
サービス業の大先輩である『洪さん』がお客さんの心理を知り尽くしています。
スターフェリーターミナルがスタート点で、
セントラル第四フェリターミナルを折り返し、
スタート点に戻るという簡単なコースですが、
68歳の『洪さん』にとっては容易ではないはず、
会ったばっかり時にとってもおしゃべり好きな感じでしたが、
いざ一生懸命引いてる時に黙々となり、
最初はで小走りだったが、次第に歩くという如何に大変か伝わって来た。
昔からセントラルの海沿いは『洪さん』の営業本拠地ですが、
一時期ビクトリアピークでも人力車を引いたことあります。
結局今のスターフェリーターミナルの所に定着しました。
コース途中に外国人の観光客のみならず、
一部の香港人の若い人たちがこの引いてる人力車を見ると、
何か新しいものを発見したように騒立った。
数十年前にまだポストカードや写真で香港のシンボルとして登場してたのに、
もうまったく認知度はありません。
あの瞬間に『洪さん』の気持ちと分かち合えました。
返還前にまだ観光客だけでやっていけた収入が得れたものの、
この重要な香港トレードマークがいつの間にか放置された。
取材当日、ちょうど引いてもらった時に、
人力車観光バスが『洪さん』の背景になった、
なんか風刺的は絵にもなった。
今回わずかな距離のコースですが、
前後20分程度で、
料金は200HKドルでした。
話によると、返還前とそれほど変わりませんでした。
距離がもうちょっと長く、
コース路線の選択もあったとかもしれません。
それにしても自力で稼いだお金ですから、
『洪さん』にとって、深い意味ある収入のようです。
唯一の人力車営業ランセンス所持者とは言え、
『洪さん』は孤独ではありません、
取材当日は親戚な方がほかの管理されてる人力車をメンテナンスしてた。
将来に引き継がれるかどうか未明、
法律上は可能かどうも明言していませんでした。
とにかく、興味ある方一刻でも早く体験してみてください。
上記最初の一枚の写真でも『洪さん』の連絡先も映されています、
広東語しか対応できないですが、
現場のある表示をよく見てみると、
英語通訳のポランティアの方の連絡先でも書かれています。
広東語を話せない方はこちらの方にお願いをしてもいいはず。
どうしても日本語なら、
一度私に連絡をしてください。
時間を許す限りに手伝います。
現在『洪さん』は人力車を引くだけで生活できるわけではありません、
自ら人力車を作り出したり、
外国人にも販売しています。
かつてイギリスと日本のお客さんからの購入実績があるようです。
ほとんど手作りで、
販売価格は約2万HKドル。
ボランティアの方が公式Facebookページまでつくってあげた、
香港人力車の詳細について、
こちらのサイトでもどうぞ⇓
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