2017/11/27

大坑の歴史建築物巡り

100年前の大昔、ここがビクトリアハーバーに面して、
変哲もない客家一族の小さい村だったですが、
村の背後に『畢拿山』があって、
山の上流から大きな坑道で雨水などを港までに流れて行きます。
そのため、『大坑』と命名されたわけです。
今でも坑道の痕跡がみつかるはず。
客家村から雰囲気ある小さい町に変身された、
立地の便利さによって、
今後また再開発の目前に一度訪ねてみて、
過去の歴史を振り替えながら、
散策してみました。


まず「書局街」12号の建物です。
この場所に1909年から建てられたフリースクールがありました。
貧困の子供たちに無償で授業を受けさせる学校で、
道の名も「School Street」に付けられました。
日本から占領された時に、学校が壊されたため、
1949年に今の建物が建て替えられました。
既に三級歴史歴史建築と認定されて、
現在は『火龍文化館』として再利用しています。
言わなければ、普通に素通りしますね。


次に「書局街」4号の建物です、
パッと見ではどこの領事館に見えるかもしれませんですが、
実は普通の一軒家、
オーストラリアの夫、
タイの妻がこの1933年に建てられた建築に一目惚れをしたため、
自ら購入して住み着きました。


その隣の「書局街」3号はヘアサロンになっています。
外国人夫婦とは関係あるかどうかわかりません。


そして、ここ「施弼街」8号の建物です。
大坑のブルーハウスと言われます。
一階と二階ともそれぞれの家族が生活しています。
どちらも先代から引き継がれて住み続くとのことです。
情報によると、
建物が1930年代に建築されたものです。


確かに外貌がアール・デコ風ですが、
なぜか香港映画の【歳月神偷】のシーンが思い出された。
香港の世代後代を象徴する旧宅です。


こちら最も目立てる建物が1933年に落成された。
一階のところで美容に関連するお店になっているためか、
客を呼ぶ手段として壁をピンクに塗り替えました。
数年まらからも三級歴史建築に認定されたものの、
とても歴史建築にふさわしくないと不評が今でも相次いでいます。


歴史あるところに老舗も欠かせないです。
「新村士多」こそ地元に知る人ぞ知る売店です。
以前、ご主人が店の前に椅子を並ばせ、
通りかかる地元たちに声をかけたり、
世間話を誘ったりする道具になりました。
残念なことは再建計画を決めたとともに、
一連の買収による、
お店を閉め、取り残されたのが椅子だけです。
かつてはにこやかな光景も見れなくなりました。


大坑に最古の建築物と言えば、
こちら「新村街」30~31号です。
今はカフェやワークショップになっていますが、
1894年の清代の末期に既に存在してるそうです。


三角形の屋根と舗装された瓦を注目して頂ければ、
このエリア内に特別な存在感が伺わせることができます。
今まで大坑の変化を見守ってきた唯一の一軒に違いないです。
不思議なのが今だ歴史建築に認定されていません。
おかしくありませんか?


なんだか寂しい感じの街巡りです、
タイムリミットがわかってる中に生活してる皆さん、
今どんな思いで過ごしてるだろう。


庶民エリアから少し離れ、
高級住宅地となった山麓へ進んでみます。
登り上がるにはまず「浣紗街」に沿って行かないと辿り着きません。
ちなみに、かつて村人がこの坑道の水で洗濯したため、
洗濯を意味する「浣紗」が道の名前にしました。


急な坂道ではないので、
それほど気力かかりません。
右側の遊園地が目印で、
そこから入口があります。


遊園地の迎い側にも風味がある建物があります。
調べたら、香港に過去存在してた公務員たちだけにローンを組ませ、
割安な土地代で建たせるマンションの一つ「融苑」です。
売り出す、借り出すも許されてない条件もあるため、
ここの16部屋の住民がこれまでの50年もずっと住んでいます。


遊園地の裏にこの階段が見れます。
そこから高級住宅地に登り上がります。


高台まで登り詰めた後、
さらに前に進むこと1分ところに、
私道となる「利群道」が見れます。
そこからまた素晴らしい邸宅が立ち並んでいます。


アール・デコの外観から判断すると、
戦前から建てられたとわかり、
既に三級歴史建築と認定されました。
内装もほぼ当時のままで、
まったく手に届かない家賃で借り出してるだそうです。


次元違い家賃とは言え、
木製の床からの音、めちゃくちゃ高い天井、
やはり一回ぐらい住んでみたいですね。


大坑の歴史建築と言えば、
タイガーバームの生みの親、
胡文虎氏が1935年に建てた別荘~『虎豹別墅』(Haw Par Mansion)でしょ。


お父さんが連れてもらったことが子供時代の思い出が鮮明です。
一級歴史建築になった別荘以外、
90年代より土地が売却され、高級マンションに建て替えました。


以前にも何回か別荘の限定公開が開催されたが、
最近ほとんどやりません、
次にどのような活用されてるか決まったそうだからと思います。
内装もほぼ当時のままで、
まったく手に届かない家賃で借り出してるだそうです。


来年から音楽学校にするための工事進んでる中、
玄関の入口から中の様子を伺うことしかできませんでした。
あまりいじらないように祈っています。
我々再びあの懐かしい風貌が堪能できることを期待しています。  


『虎豹別墅』のすぐ近くにこの看板がみつかった。
番外編になりますが、
大坑の坑道がどれだけ大きいか今になるとわからない中、
香港島に洪水対策として、
地下に巨大な排水施設が5年ほど前が完成したことで、
大坑がそのビクトリアハーバーへ排出する終点とわかった。
如何に大役に設定され、
今でも坑道の活躍が託されてるそうです。


看板を後にしたら、
勵德邨』もう目の前です。
大坑の見所は思った以上多いでしょう。


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