手指山からの下山にかかる時間は思ったより早かった。
20分もかからないうちにまた町に戻りました。
そして、島内一番立派な建物がいきなり目の前に現れます。
近づいてみると、「坪洲戲院」と書かれている、
かつて島内唯一の映画館だった建物です。
1978年から営業し始めたが、
結局観客不足のため、経営に陥ることにより、
1987年閉館となりました。
現在は廃墟状態になっています。
出口のところやあらゆる場所でも映画館の本来の姿が残されています。
坪洲を舞台にした映画「王家欣」をみたくても、
島から出て行かないと見れないという地元の切ない話も有名だそうです。
映画館と別れて、再び歩き出し、また老朽化な建物が見れます。
1930年より開校する「坪洲公立志仁學校」です。
50年代は学校の最盛期で、300~400人の学生も在籍しましたが、
島内の子供が減少することが挽回できなく、2006年から廃校となりました。
建築が古典的なところが満載のため、二級歴史建築と認定されています。
すぐそこに別の色取りがかわいらしい建物が50年歴史を持っています。
「惠平幼稚園」に教室が3つ、80人の学生が収容できます。
今でもしぶとく運営しています、
休日のため、幼稚園児がみれませんでした。
幼稚園の近くにまた廃墟化になってる建物群が見れます。
恐らく30年代で建てられた皮革工場です。
1975年廃業となりました。
工場で使用していた機械が工場の傍に放置されてる情報がありますが、
当日はまったく見当たりませんでした。
足は東湾まで運んだところ、
映画「王家欣」の中にも綺麗に映された海景色の撮影場所はここかな。
「悅龍聖苑」というお寺です、「龍母廟」も呼ばれます。
お寺は元々葵涌に建てられたが、地下鉄工程を行うため、
1971年今の現在地に移動されました。現在まで至っています。
お寺の前は九龍が一望できる見晴らしの良い場所に違いないです。
取材当日は少し霞んでるが、
よく眺めてみたら、「ストーンカッターズ橋」(昂船洲大橋)も見れます。
ここでゆっくりして一休憩を取る場所としては最適だと思いますね。
休憩後、坪洲の北方面に行き、島内に残されてるもう一つ工場遺跡を探しに、
あの日の中で、一番苦戦したのがここかです。
周囲に大工事事が行われているため、建築材料などしか見つからなかった。
粘りに粘った結果は探すことを諦めました。
遺跡と言っても単なる石碑です。
「大中國火柴廠」(マッチ工場)は1939年開業、
工場はすぐ最盛期に向い、1000人程度の従業員も在籍しました。
当時は東南アジアの中で元も規模あるマッチ工場でした。
残念なことはライターの出現によって、マッチの必要性がなくなり、
70年代末廃業となりました。
残されたのが石碑だけになった。
(インターネット写真より)
廃墟になってる昔の坪洲の旅、これで終了します。
では、坪洲ナウはどんなものか明日またご紹介します。
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坪洲の行きたいところをチェックされてます。
返信削除ご一緒したかったです。
香港魂さんの行くディープが大好きです。
ありがとうございます。まだまだディープなところがいっぱいあるので、また一緒に行きましょう!
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