2014/06/16

香港のルーツ

1841年から、

香港の運命が大きく変わり、

小さい漁港から世界に注目される大都会なんで誰も予想できなかった。

すべでがこの場所から始まった。

                (インターネットからの引用)

初めて香港の地で、

イギリスの旗を指された場所~”水坑口街”(Possession Street)、

水坑口街は上環(Sheung Wan)にあります。



アヘン戦争の末、

1841年1月20日に琦善とエリオットの間で【穿鼻条約】を合意し、

(広東貿易早期再開、香港割譲、賠償金600万ドル支払い、

公行廃止、両国官憲の対等交渉が行われた。

後の南京条約と比べると比較的清に好意的だった)が締結された。

当時イギリスの海軍将校Edward Belcherさんが軍艦を率いて、

香港島の西に上陸し、

丘のようなハイランドで軍のキャンプとして使用された。

1841年1月26日の朝、国旗掲揚と発砲セレモニーを行って、

正式に香港を占領したをアピールしました。

(インターネットからの引用)

最初、海からこのハイランドまでの道を建築し始め、

この場所はPossession Pointと命名した、

占領ポイントという意味です。

その後、地元の反感を減らしたいため、

水溜りのような地勢特徴を利用して、

道の名の漢字は”水坑口街”にしました。

現在この街の近くにある”荷李活道公園"ですが、

当時のキャンプ地という説があり、

公園中にもこの部分の歴史や写真が記載されます。



香港という植民地のルーツはここから始まると言っても過言ではないです。

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