2015/09/02

紅磡の歴史

久々地名の歴史を話したいと思います。

写真を見たらわかるよね。

はい、香港體育館(香港コロシアム)の所在地~紅磡を紹介したいです。



うわさによる、建築概念は日本武道館のパクリだそうです。

本当のところはどうだろう、

でも、位置づけとして、

似てるかもしれないね。

元々スポーツイベント会場として設計されたが、

結局、12500席でも埋める人気歌手の象徴として、

コンサートを開く聖地になっています。



(写真:wikipedia)




そもそも
香港體育館にある場所は海でした、

紅磡の名もありませんでした、

1880年頃まだ小さな半島で、名前は「大環」、

1884年以後から埋め立てをはじめ、

ここに「赤磡村」という村があったから、

埋立地できてから、「紅磡」と統一に名付けました。

(写真:wikipedia)


紅磡」と言えば、

日本人でも多く住まれる「黄埔花園」、

昔、このあたりはアジア最大規模の造船所~香港黄埔船塢だった、

最盛期に4500人もそこで働いてた、

1984年造船所を閉鎖し、

マンション団地を再開発することになって、

造船所の黄埔」を取って、

今の黄埔花園」を命名した。

最後の一枚写真を見てみると、

現在の寶其利街はあの頃は既に海沿いでしたよ、

どんだけ埋め立てたか想像できるでしょね?



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