1842年以後、香港島がイギリスに割譲されはじめ、
1860年、次は九龍半島も割譲された。
1898年、両国の緩衝地帯として新界の99年間の租借が決まり、
香港は完全のイギリスの植民地になりました。
新界を総括的に管理するために、
新界における行政が大埔を中心に行うことに植民政府から決まられた。
そして、取りまとめ役となる「民政事務專員」、
つまり新界の各地域の行政役員です。
この重要な役職の官邸がここ【大埔元洲仔】で1905年に建てられました。
1986年、官邸がNGOの『世界自然保護基金』に譲り、
現在は自然保護の研究センターとして使用されています。
普段の一般公開が午前中のわずか2時間、
土日はお休みということで、
この建物の存在を知る人がわりと少ないようです。
タイミングを計って、
ようやく最近密やかに注目されてる法定古跡に見学しに行ってきました。
道を沿ったら、『世界自然保護基金』のロゴがついてる看板が見れます。
この細い階段を登り切ったら、入口です。
高台までに到達したら、
しばらく庭のようなところに一本道が舗装されて、
そのまま進んだら、
土日はお休みということで、
すぐに建物が見え始めました。
見えたのがこの夏に上映したばっかり香港映画【明月幾時有】で、
主演の一人の日本人俳優~永瀨正敏さんがよく出てるシーンの中、
香港憲兵隊本部として、ロケされた場所の建物群です。
先に目に入る低い建物ですが、
かつては召使いたち、苦力たちの寮舎でした。
キッチンや収納戦用の部屋まで併設されてるヨーロッパ調の建築ですが、
二階のところに男性ゲスト専用の部屋も設けられています。
取材当日に部屋がちょうど片付けられてる様子、
宿泊施設にもなったと思いますが、
どう泊まれるか確認してみないとわかりません。
今度は邸宅に移動するために、寮舎を後にした。
洋風の外貌に香港の気候に適する作りの寄棟屋根との組み合わせ、
雨多い、湿気高くても対応できる建築物です。
正面玄関に『WFF』のシンボルとなるパンダさんが出迎っていますが、
しばらく建物の周囲に見学することに、
まず裏まで行くには回廊を通さないと行けません。
その前に、建物全体の窓があまりにも素敵で、
何度も思わずシャッターを押しました。
回廊の向うに、小さいの庭園があります。
ここから広い「吐露港」が独占できます。
晴れる日なら、気持ちいいよね。
こちらから邸宅裏で建物を見えると、
物凄く植民地色を感じます。
さすがにあれだけ重要な役職で、
住んでる家が物語にしか出てこない豪邸まではいかないが、
品格ある社宅が一目でわかりますね。
その中で、
この巨大なアーチと窓、ドアの作りに惹かれました。
まるでチャペルを彷彿させる変わった形です。
庭で結婚式を行ってもいいぐらい気品漂う場所です。
裏に邸宅の中への入口もあるので、
土足禁止ということで、靴を抜いてから部屋に入ることに、
室内の所々が『WFF』の事務所や作業場になっていますので、
くれぐれも注意して、邪魔にならない程度で見学してください。
全ての部屋を見たわけではないですが、
いくつの部屋に暖炉が付いてるみたい、
しかも、何種類もあります。
恐らく使用済みでしょう。
ここから二階へ行く階段、
色使い、程よく老朽化の木質だけでたまらない空間を作り上げた。
ここが屋根付きのベランダでしょう。
あの植民地代の役職生活を想像してしまうぐらい優雅なスペースです。
もしかしてここは書斎の部屋ですが、
香港映画【明月幾時有】でなんか見たことある、
このシーンでしょうね。
映画内にまだこの最もわかりやすシーンがあります。
正面の庭から官邸の全体を納めました。
永瀨正敏さんがあの石の椅子に座ってた、
この映画は日本にいつ上映するだろう。
実は到着した時に既に閉館前の30分、
ゆっくり味わうことはできないまま、
官邸の別の入口方向に出ることに。
寮舎と邸宅の間に細い道と階段があり、
そこから降りると、
先ほど話した寮舎の裏を一目瞭然に。
下り坂を沿って行けば、もう一個建物が見れるはず。
あれは厩舎とキャリッジハウスだった、
当日は内部工事中してるみたいので、
今後は何になるか気になりますね。
インフォメーションセンターとかになる可能性は大だろう?
ここからの店を沿って行けば、大通りに戻れます。
ちなみに、立地が海の傍のため、
ここから大埔海濱公園、工業団地も遠望できます。
時間余裕があれば、ぜひ、そちらまでも制覇してみてください。
大埔の見所が案外多いですね。
場所:大埔大埔公路元洲仔段
開館時間:1000~1200(月~金)
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