2016/12/05

窯業重鎮から残されたもの

『樊仙』とは陶芸の神様、ここ大埔にあります。

香港に唯一祀る場所はここ大埔の【樊仙宮】にあります。

なぜかここに陶芸の神様が建てられるようになるかどういうと、

かつて、近辺にある「碗窰村」が香港最大の窯業重鎮であるからです。

五万平方メートルもあったそうです。 


明王朝から文氏、謝氏の二族から開拓されて、

その後、謝氏が香港から離れていくため、文氏が独占することになった。

清王朝の1674年頃、

内陸から移り住みになった馬氏が文氏の所持文を全面購入して、

窯場はそのままに継続経営します。

最盛期の時、携わるワーカーが300人以上もいました。

中国の南部だけではなく、東南アジアまで輸出されましたものもたくさん。

1930年代になると、価格の競争力が低下することによって、

とうとう廃墟に追い込まれました。


樊仙宮に関して、1736年~1795年の間に建てられると思われたが、

実際、『樊仙』を祭る習慣がそれ以前も始まったようです。

最初は簡単な土壇だけあって、祭祀が行われてました。

【樊仙宮】が今まで6回にわたって修繕工事がありました、

今、既に法定古跡と認定されましたが、

窯業が衰退した後、村民が農業に力を入れるようにしたにもかかわらず、

それにしても『樊仙』を祭り続けています。




華やかな玄関、抑え気味の上品な内部、

お寺でありながら、住宅のような感じもします。

中に古代の大埔碗窰から生産されたお碗をはじめ、

いろな器具も展示してるコーナーもあります。



また、内部に美しい壁画を掛けてあり、

乾隆帝の時代(1790年)より「樊仙宮」が刻まれてる扁額も見れて、

過去の修繕を記録した碑文も飾られています。




よく見てみると、

屋根の上にシンプルな博古等がはめ込まれています。

下の写真ですが、屋根の上に風見鶏のようなものが見れるが、

実際は「雄鶏像」だそうです。



樊仙宮の隣は1949年に建てられた「碗窰公立學校」です。

一時期に学校が拡張することによって、

校長室、売店や教員の台所が樊仙宮に設置するようになったことも。


残念なことは学校は1994年より廃校になりました。

そして、学校の前になぜか一基の石匾が取り残されています。

「五常第」と書かれているが、

調べてみたら、「碗窰公立學校」の前身になる私立熟の名前でした。

1930年から「民安学校」になって、

最終的に「碗窰公立學校」になったわけです。

「五常第」について、さらに詳しく紹介もその場でみつかります。



いよいよ「碗窰展覽館」を入ると思ったら、なんと休館!!(入場無料)

だから、周辺はまったく人の気配はありませんでした。

次回に持ち越しになるしかありません。

いずれにしても「碗窰遺址」もみたいですが、

取材当日は既に夕方となるため、

それ以上に時間をかけて移動することができませんでした。


ちなみに、遺跡はこんな感じです。

たまに発掘ツアーが開催されて、貴重なものが掘り出した話も聞きます。

(インターネットから引用)

自らチャレンジしたい方はこの地図でも沿って、来てみてください。

大埔駅から徒歩なら、30分ぐらい着きます。

ミニバスの23Kを乗るのが一番便利です。



いつかわたしもまた伺います、

なくならないように願っています。



碗窰展覽館の営業時間:
月~水、金~日(0930~1300、1400~1730)
定休日:木
クリスマス、クリスマス次の日、元旦、旧正月休みの期間も休館です。


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