『樊仙』とは陶芸の神様、ここ大埔にあります。
香港に唯一祀る場所はここ大埔の【樊仙宮】にあります。
なぜかここに陶芸の神様が建てられるようになるかどういうと、
かつて、近辺にある「碗窰村」が香港最大の窯業重鎮であるからです。
五万平方メートルもあったそうです。
明王朝から文氏、謝氏の二族から開拓されて、
その後、謝氏が香港から離れていくため、文氏が独占することになった。
清王朝の1674年頃、
内陸から移り住みになった馬氏が文氏の所持文を全面購入して、
窯場はそのままに継続経営します。
最盛期の時、携わるワーカーが300人以上もいました。
中国の南部だけではなく、東南アジアまで輸出されましたものもたくさん。
1930年代になると、価格の競争力が低下することによって、
とうとう廃墟に追い込まれました。
樊仙宮に関して、1736年~1795年の間に建てられると思われたが、
実際、『樊仙』を祭る習慣がそれ以前も始まったようです。
最初は簡単な土壇だけあって、祭祀が行われてました。
【樊仙宮】が今まで6回にわたって修繕工事がありました、
今、既に法定古跡と認定されましたが、
窯業が衰退した後、村民が農業に力を入れるようにしたにもかかわらず、
それにしても『樊仙』を祭り続けています。
華やかな玄関、抑え気味の上品な内部、
お寺でありながら、住宅のような感じもします。
中に古代の大埔碗窰から生産されたお碗をはじめ、
いろな器具も展示してるコーナーもあります。
また、内部に美しい壁画を掛けてあり、
乾隆帝の時代(1790年)より「樊仙宮」が刻まれてる扁額も見れて、
過去の修繕を記録した碑文も飾られています。
よく見てみると、
屋根の上にシンプルな博古等がはめ込まれています。
下の写真ですが、屋根の上に風見鶏のようなものが見れるが、
実際は「雄鶏像」だそうです。
樊仙宮の隣は1949年に建てられた「碗窰公立學校」です。
一時期に学校が拡張することによって、
校長室、売店や教員の台所が樊仙宮に設置するようになったことも。
残念なことは学校は1994年より廃校になりました。
そして、学校の前になぜか一基の石匾が取り残されています。
「五常第」と書かれているが、
調べてみたら、「碗窰公立學校」の前身になる私立熟の名前でした。
1930年から「民安学校」になって、
最終的に「碗窰公立學校」になったわけです。
「五常第」について、さらに詳しく紹介もその場でみつかります。
いよいよ「碗窰展覽館」を入ると思ったら、なんと休館!!(入場無料)
だから、周辺はまったく人の気配はありませんでした。
次回に持ち越しになるしかありません。
いずれにしても「碗窰遺址」もみたいですが、
取材当日は既に夕方となるため、
それ以上に時間をかけて移動することができませんでした。
ちなみに、遺跡はこんな感じです。
たまに発掘ツアーが開催されて、貴重なものが掘り出した話も聞きます。
いつかわたしもまた伺います、
なくならないように願っています。
碗窰展覽館の営業時間:
月~水、金~日(0930~1300、1400~1730)
定休日:木
クリスマス、クリスマス次の日、元旦、旧正月休みの期間も休館です。
月~水、金~日(0930~1300、1400~1730)
定休日:木
クリスマス、クリスマス次の日、元旦、旧正月休みの期間も休館です。
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