2016/08/11

海鮮街に華麗なる変身前の史跡

三家村行きフェリーから降り、

海沿いに歩くこと5分ほどで、

海鮮レストランが立ち並ぶ街の入口が見えてきます。

【鯉魚門海傍道】という一本道の看板があることもあり、、

世間ではここを「鯉魚門海鮮街」と称していますが、

実際の地名は【三家村】です。

鯉魚門は三家村の他に、その近辺のいくつかの村と、

明日の最終目的地である【魔鬼山】を含む、より広義的な地名です。


この大きな赤い門が見えてくると、

もう【鯉魚門海傍道】に近づいてきたしるし。


ここは怒涛のごとく海鮮レストランが軒を並べます。


訪れたのがお昼なこともあって、どのお店も意外と空いていましたが、

見物客はそれなりにいる様子。

夜になれば、まったく別の世界になると想像できます。


お約束の「聖子さん」(マテ貝)に遭遇!?


軒を連ねるお店を素通りしてひたすら歩くこと20分、

やっと海鮮料理ラッシュが収まったようです。


ここは伝統のお菓子屋さん。色使いがいい感じで、

帰りにひとつ買おうと思ったら、

ある事情でできなくなり、今でも悔やんでます。

次回に持ち越し決定です。


一応漁村ということでお決まりの風景ですね。


途中、この元学校だった建物があります、

1946年創立、三家村の唯一学校でもあり、

1974年の最盛期には、学生は500人も在籍していましたが、

村の人口減少により、2008年廃校となりました。

今は「賽馬會鯉魚門創意館」として、生まれ変わり、

色いろなアーティストの作品を展示する会場になっています。

時間の余裕がある方は、一度入ってみてください。


  

賽馬會鯉魚門創意館」を抜けるとすぐに鯉魚門休憩公園が見えます。

ここからガラッとまわりの雰囲気が変わりますってきます、

ゆったりとしたスペースが広がり、

大きな木も何本か立ち並びます。

中でも樹齢100年以上の心許樹(許願樹)は

開運や縁結びを祈りたい人にはうってつけです。 


日曜日のわりにははあまり混雑もなく、

何人かアマさんがピクニック感覚で座り込んで、

食べながら、楽しく会話を交わしたりして、

意外と休日を過ごす穴場のようですね。


公園を通り過ぎると、もう別の村である馬環村」に突入です。


あっさりこの小さな集落を抜けると天后廟が見えてきます。


天后廟にの手前には、独特な様式の住宅や大砲も目にすることができます。



やっとたどりついた天后廟ですが、 、

実は鄭成功の部下である鄭建の孫で、

鯉魚門を拠点に活動した海賊の鄭連昌によって、

1753年に建てられ、現在は三級歴史建築に認定されました。

また1953年に、廟の上空に天后のような雲が現れたことがニュースになり、

多くの寄付が寄せられて大規模な修復が行われました。

その修復工事中に、「天后宮,鄭連昌立廟,

日後子孫管業,乾隆十八年春立。」と書かれた石碑が発見され、

天后廟の歴史背景が明らかになりました。

ちなみに、天后廟内に天后のような雲の写真が展示されています。

似てるかどうかご自身で見て判断してください。



一般的な鯉魚門散策の紹介は天后廟までのものが多かったのですが、

実はここから先にまだまだ史跡が残されています。

まず天后廟を出て、

この奇妙な風水屋さんの看板が見える道を沿って進み、

次の集落である「馬背村」に入ります。


村はさらのどかな感じです。

日本のどこかの島でも見られそうな家ですね。


村の隅にあるこの家と家の間の細い隙間を

赤い矢印の方向に入っていくと、

まさにビクトリアハーバーの入口の最果てに到着です。


まるで別世界のこの土地。ここに鯉魚門の歴史の一部が隠されています。

この辺り植民地になる以前から既に広東省から移住してきた人が集まり、

いつの間に4つの集落になりました。

そして、周辺から優れた花崗岩を産出することから採石場となり、

多くの移住者がこれで生計を立てるようになります。

1934年、イギリス軍が周辺に軍事施設の建築をはじめたために、

大量の雇用が生まれ、それをきっかけに飲食店が増えはじめました。

1960年政府から採石許可が下りなくなったことによって、

200年も続いてきた石材関連産業が終焉に向かいました。

ちょうどその時期に対岸の筲箕湾と同じく、

漁港として栄え始め、

海鮮レストランの第一号もこのタイミングでオープンしました。

次第にレストランが増え、

失業した石工職人たちがレストランで働くようになりました。

そして時を経て今や多く人々にも

知られる海鮮街に華麗なる変身を遂げました。


今でも取り残されてる採石場の遺跡がいくつか見ることができます。

当時、石材輸出するために、

船に積み込むための「桟橋」が今なお健在です。


この山からきっと多くの花崗岩が採られたのでしょう。

今は、映画、テレビの撮影人気ロケスポットです、

取材当日もモデルさんを囲んで撮影するカメラマンが何人かいました。


ここから香港島の杏花村、柴湾が見えますね。 


香港島との距離が本当に泳いで行けるほど近く感じます。


後ろから眺めると、将軍澳が見えますよ。


海が綺麗です。本当に郊外にきた感じで、

暑くなければ

一日ここでのんびりしたいぐらい気持ちよさそうな場所でした。

めずらしく政府の再開発計画のようなものもないようで、

しばらくこの状態を維持してほしいものです。

目を閉じると、200年前の素朴な村がまぶたの裏に甦る思いです。



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