三が月前に、セントラルに偶然遺跡を発見する話、
覚えてますか?
「最長エスカレーターの下の歴史」に、
最古の古民家の遺跡地に存在してる【閣麟街】の隣、
【嘉咸街】に最古の側溝も同時に発見された模様。
最古の側溝というより、最古の配水システムです。
この三つ長方形石で並ばれてるとこです。
【結志街】と【威靈頓街】に挟まれてる一段の【嘉咸街】以外、
さらに隣の【卑利街】も百メートル程度の最古側溝が発見された。
この一枚1870年で撮った【閣麟街】の写真は最古という証拠です。
お分かりでしょうか?
拡大した写真の一部で、赤マークの中に注目してください。
この三つ長方形石で並び方は先ほどご紹介した【嘉咸街】に似ていませんか?
ちなみに、最古の古民家の遺跡地にある壁ですが、
この写真の右側の一部家から残されたものと見られています。
でも、写真のように「U」字までの形とは異なりますね。
過去の政府記録による、1924年車両に対して、
【嘉咸街】、【卑利街】に出入りの禁止令を公表された、
専門家の推測ですが、
当時この二本の道が車両による混み合いが相当ものだった、
時には車両の車輪が「U」字の溝に陥ったことも考えれた。
この問題を対処するために、溝が平にすることもありえます。
この1897年の【皇后大道中】の写真もある程度説明してくれるよう、
側溝が既に「U」字の形がなくなったね。
コンクリートの水道になるのが1930年代、
そして、【嘉咸街】の水道工事記録は1922年もあったため、
今、皆さんが普段見れてるこの三つ長方形石で作られてる側溝ですが、
もうすぐ100年かそれ以上の可能性もあるということがわかりまっした。
たくさんの露店がこの細い道路の両脇に存在して100年以上もあって、
ずっと路上や側溝まで占用されて、
誰もこれが遺跡に気づいてなかっただろうか、
むしろ、見慣れてる光景であって、
特別なものとは思っていませんでしたね。
わたしの写真を取材する日も、結構露店で隠されてる部分があり、
わざわざ近づけないとこのような写真は撮れません。
今、発見した専門家がこの遺跡にめぐって、資料と写真を集め、
研究報告書まで仕上げて、
ぜひ、歴史遺跡を認定して頂くように政府関連部署に提示し、
訴えてるところです、
それによって、【嘉咸街】の再開発企画がどうなるか
予想できない展開にすることも。
これも目に離れません。
↓你按一下,我個blog就可以係日本或香港更受人關注,可以令更多人有機會睇到!
0 件のコメント :
コメントを投稿