先週ミニバスの行先表示の話で、
「旺角先施」、「銅鑼灣大丸」などすでに存在しない場所でも、
行先板はなぜか変えないかという質問ですが、
今日回答したいと思います。
それは作り直すには運転手の自費をしないといけないからです。
その分を節約するために、あえて以前のものをそのまま使うわけです。
この話は行先板のレジェンドから教えて頂きました、
ついにこの間、取材成功しました。
たっぷり話を伺ったので、明日までお付き合ってください。
レジェンドの麥さんはミニバスの行先板の製作者です。
元々アクリル看板製作の職人さんで、
佐敦の炮台街に工場を構えています。
当時あの道は多くのミニバス路線の終点でもあるため、
常に滞留してるミニバスが多数あります。
1983年頃、ミニバスがエアコン付きの規格に変更することなり、
車内のあるゆるものも必要になってきます。
ある日、ある運転手が麥さんの店にやってきて、
行先の板を頼んだ、あれは世の中に行先板の第一号です。
ちなみに、昔では行先が全て紙の上で手書きものだった。
行先を書く職人という李さんがいまして、
麥さんが自ら説得しに行って、一緒にやることになりました。
そこから一気にミニバス業界の中に麥さんの名が広まられて、
皆も麥さんに頼むようになった。
この行先板ですが、最初はインキで手書きしたもので、
あまりにも受注量が多くなり、対応し切れなくて、
その後シルク印刷になった。
しかし、色が落としやすいため、だったの3ヶ月でやめた。
90年代に入って、彫刻に切り替えた。
1995年、李さんが高齢退職になり、
行先板の製作も中国に移管することになった。現在まで至ります。
この行先板に関して、結構隠されてる秘密があって、
いくつをご紹介します。
①長方形のサイズの指定があり
多少サイズオーバーでも許されるから、あまり徹底してないみたい。
②行先の色は絶対赤、経由場所、英語は絶対青
今まで気にしなかったので、今度ちゃんと見ますね。
③実は100ドルの表示もありますが、この数年は受注したことない。
ぽったぐりに近い価格で、取締りが厳しくなるため、運転手も使いつらい。
麥さんもうすぐ退職する適切な年齢になるところですが、
聞いたところで、
体力の許す限りやり続きたいと言っています。
でも、赤いミニバスしか使わない行先板ですが、
必要性はあと10年ぐらいではないかと考えてるみたい、
なぜなら、きっと緑ミニバスに置換されると予想してるからですね。
実は麥さんはこれだけ製作してるではなく、
我々絶対みたことあるもの、
もしく今まで存在自体すら気づいてなかったもの、
すべて麥さんから発案して作り出したよ、
見せたら、間違いなく「なるほど!」と納得してくれた。
それ以外、行先板の産み親として、
香港の唯一製作者として、
過去の歴史と作品などを紹介することができるように、
展示館あるいは博物館らしいものを作りたいと考えてる、
現在は既にホームページの作成も計画中らしいよ。
多分ここまで読む人々にも同じ質問をしたいと思ってるでしょ?
「この行先板は購入することは可能でしょうか?」
はい、もちろん!!!!!
詳しく明日ね。
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