少し前にFacebookの方も話したが、
香港最古の村「衙前圍村」が再開発のため取り壊したことで、
とても残念でした。
心からすぐ「薄扶林村」も至急様子を見に行くと決めて、
この17世紀から人々が住み始めた村も危ない、
例え今は政府から何も強く言われていないが、
政策日々変わる現在は本当に次の瞬間にどうなるかわかりません、
今のうちにちゃんと回ってみたいです。
取材当日は休日の午後で、
村に着く時も昼過ぎ、
ちょうど行きたかった飲茶楼の「新華茶楼」が村の中にあって、
まずそこに一休憩しながら、ランチを取りました。
12時半過ぎの休日でも、それほどお客さんが入っていませんが、
主力の点心はほぼ売れ切ったせいか、
元々午前中しか食べれないという設定がわかりません、
我々結局頼めたのがチャーハンぐらいでした。
正直言うと、味は普通でした、激うままでとは遠かった。
魅力と言ったら、安さでした。
それ以外は写真は撮り放題で、あまり干渉されていませんでした。
「薄扶林村」の歴史ですが、
清朝の康熙帝の1673年に起こった三藩の乱による、
2千名あまり客家の人が中国内陸から香港まで避難しに来た。
それぞれ香港島の三ケ所(そのほかは赤柱村と香港囲)に住み始め、
最古の住民になり、特に陳さん、黃さん、甘さんという姓の一族ですが、
長い間農業を営んでいた。
第二次世界大戦後、中国からの避難者が続出、
「薄扶林村」も住民20宅から100宅までに増えてきた。
村の中は少し迷宮状態にも言えるが、
決して一人で回っても平気な穏やかさ、
住民の日常はそのままに反映され、
キレイにする必要なく、
素のままでもまるで生きてる「博物館」ように見えるでしょ!?
シャッターも途中止めなくなった、
いつのまにか村の階段でここまで登ってきた、
この角度から眺めると、二代の建築物が見え、
貧富の差を表すの一枚になっていますね。
「薄扶林村」に関して、最も知らされてるイベントは「舞火龍」、
大坑舞火龍の圧倒的な人気の中、
こちらも負けていない100年以上続くお祭りであり、
10mの龍には数千本の線香が付けられて、
村の出入口から近くの海に沈ませるまで舞い上がる、
舞火龍祭事による村を一つになることはまたひと味違うだと思います。
「薄扶林村」の出入口のところで、
現在でも「火龍」の頭が飾られてる、
外から見ると、相当迫力あるね。
そして、この出入口から入ると、
住民による街市が見える、
魚、野菜、肉をはじめ、雑貨、お米なとでも販売されてるようで、
つまり、村から出なくてすべての用が済めるなんで便利ですね。
遠くから見ると、薄暗い雰囲気な場所ですが、
近づいて地元の元気喋り声を聞くと、
やっぱり村人の明るさがこの場を和みますよ。
とても、とても見る価値ある「薄扶林村」ですが、
アクセスするにはバスのみ。
中環のエクスチェンジスクウェアから、
4、4X、30X、40M、43X、91、94で「薄扶林村」で下車すれば、
村の出入り口は目の前のはず。
ちなみに、30Xは一番早い、30分もかからないです。
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