廈門炒米の発祥地は廈門(アモイ)ではない、
酸っぱいあまいなケチャップを使用され、
アモイ(廈門)風味であることから名づけられた。
星洲炒米の発祥地は星州(シンガポール)ではなく、
辛いカレー味で仕上げられ、
シンガポール(星州)風味であることから名づけられた。
京都排骨の発祥地は京都ではなく、北京のことでもなく、
広州シェフが北京、天津の店で、
食べた炸醬麵をまねしたソースから、
そして、広東地方で広げたらしいです。
海南雞飯の発祥地は海南島ではなく、
シンガポールでした。
福建炒飯の発祥地は福建ではなく、
でも、なぜか福建を名づけれるか今でもわかりません。
揚州炒飯(楊州ではなく)は2種類があるそうです。
広州式と揚州式、
なので、発祥地説は2つがあります。
まず、広州式=>
清代、広州にある有名な淮揚料理の店があります。
(淮揚料理とは中国四大料理の一つ)
干したナマコ+海老+チャーシューで作られたチャーハンが最初で、
揚州炒飯という料理名をそこから広めた。
時代と伴い、干したナマコの価格が高騰になり、
よって、チャーハンのレシピから外された。
現在に至ります。
次、揚州式=>
隋代の『食経』に「越国食砕金飯(越国、砕金飯を食す)」という記述があるそうです。
越国とは隋越国公楊素のことです。
楊素が好んで食べていた「砕金飯」はほぼ間違いなく、
「卵炒飯」のことらしいです。
「砕」は細かいもの、つまりお米。
「金」は卵で黄色く色づけられたことを形容しています。
隋煬帝はしょっちゅう揚州に遊びに行きました。
その時に「砕金飯」が揚州に伝わり、いろいろ改良されたようです。
その結果誕生したのが、蝦や肉、シイタケ、ネギその他、
いろいろなものが入っている炒飯の代表「揚州炒飯」だといわれています。
今我々食べてるのが広州式だろうね。
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