2014/07/12

地名ついてる料理

廈門炒米の発祥地は廈門(アモイ)ではない、

酸っぱいあまいなケチャップを使用され、

アモイ(廈門)風味であることから名づけられた。

星洲炒米の発祥地は星州(シンガポール)ではなく、

辛いカレー味で仕上げられ、

シンガポール(星州)風味であることから名づけられた。

京都排骨の発祥地は京都ではなく、北京のことでもなく、

広州シェフが北京、天津の店で、

食べた炸醬麵をまねしたソースから、

そして、広東地方で広げたらしいです。

海南雞飯の発祥地は海南島ではなく、

シンガポールでした。

福建炒飯の発祥地は福建ではなく、

でも、なぜか福建を名づけれるか今でもわかりません。

揚州炒飯(楊州ではなく)は2種類があるそうです。

広州式と揚州式、

なので、発祥地説は2つがあります。

まず、広州式=>
清代、広州にある有名な淮揚料理の店があります。
(淮揚料理とは中国四大料理の一つ)

干したナマコ+海老+チャーシューで作られたチャーハンが最初で、

揚州炒飯という料理名をそこから広めた。

時代と伴い、干したナマコの価格が高騰になり、

よって、チャーハンのレシピから外された。

現在に至ります。

次、揚州式=>
隋代の『食経』に「越国食砕金飯(越国、砕金飯を食す)」という記述があるそうです。

越国とは隋越国公楊素のことです。

楊素が好んで食べていた「砕金飯」はほぼ間違いなく、

「卵炒飯」のことらしいです。

「砕」は細かいもの、つまりお米。

「金」は卵で黄色く色づけられたことを形容しています。

隋煬帝はしょっちゅう揚州に遊びに行きました。

その時に「砕金飯」が揚州に伝わり、いろいろ改良されたようです。

その結果誕生したのが、蝦や肉、シイタケ、ネギその他、

いろいろなものが入っている炒飯の代表「揚州炒飯」だといわれています。

今我々食べてるのが広州式だろうね。

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