香港人すら、なかなか本格的な盆菜宴会が参加できないのに、
運がよくて、知り合いの誘いがあって参加できた。
盆菜と言えば、
新界の原住民から先代から引き継がれた伝統料理の一つです。
その由来は様々の説がありますが、
13世紀南宋末期に、
『元』の軍隊に追われた朝廷の君臣らが香港まで南下した際、
新界に通りかかった時に、
村人たちに熱く迎え入れられた。
しかし、持ってる高級食材や珍味をもてなすための入れ物が足りず、
切羽詰った村人たちが大きな木製の桶で盛り合わせて差し出した、
のちに盆菜までに進化されるという話が最も有力です。
盆菜宴会が昼でも夜でも開催されることも、
開催側になると思いますが、
今回の参加させて頂いた宴会は夕方からです。
午後5時半に新界にある囲村までに案内されたときに、
既に数えきれないほどひとたちが集まられています。
やはり囲村の住民とその親戚をはじめ、
親交のある仲良しの友人などしかこの宴会を誘わないみたいです。
それ以外、
宴会に欠かせない余興を担当するプロたちです。
囲村とは言え、
かなり本格的な機械、スピーカー、ステージまで一通り整って、
アマチュア歌手までをお願いして宴会を盛り上げってます。
盆菜宴会のスタートがバラバラなことは一般的だそうです。
とにかく、テーブルごとで定員数が集まれば、
すぐでも始まれます。
まったく知らない他人ではない、
きっとどんたの知り合い、親戚という内輪の人間だから、
相席なんで全然気にすることはありません。
当日は埋まってる席と誰もいない席しか見分けなかった。
宴会参加者が次から次へに円卓を埋めていくから、
我々のもすぐスタットを切りました。
盆菜について、
もう少し細かく説明したら、
出来上がるまでに三日かかるという昔からの記載があります。
初日は山へ薪とり、十分な薪はないと、十分のご馳走が作れない、
二日目は新鮮な材料を揃えに買い出し、
三日目は丸一日をかけて料理するというあの時代だからの必要な工夫です。
伝統の盆菜の構成ですが、
上からそれぞれの食材で六層に重ねられます。
上の三層はガチョウ、鶏肉、エビや海の幸の干物など、
下の三層は大根、にんじん、豚皮がよく使われます。
煮汁のうまみが最上層から下の各層にしみ込み、
吸い込みやすい食材が置かれる最下層が全部を吸収し、
食べる順によって、
うまみが増していくという意図だと考えれます。
盆菜の下にあるコンロですが、
冷めないように一応火を付け続けています。
昔ではなかった現代的な発明の良さも取り入れました。
円卓の皆さんの写真時間が終わったら、
一斉に箸を差し、
好きな食べ物を拾ったり、
飲みながら、おしゃべったりし始めます。
特別なテーブルマナーが入りません。
ただし、途中アマチュア歌手の歌声や爆竹の音など、
思い寄らない音が飛び交っている、
のんぴり会話することはなかなかできません。
ちなみに、
盆菜は元々野菜がほとんど入ってない料理で、
由来からの分析ですが、
新界にどこでもありそうな野菜を朝廷の君臣に食べさせるなんで、
あまり価値のない料理を食べさせると同様の発想で、
あえて入れてなかったという説があります。
ただし、現代人の野菜不足を解消するには、
勝手に野菜を追加したりする習慣も珍しくないようです。
会場にも自らこの辺の野菜を取って洗って、
皆さんに配り、
即席に煮って食べる人もたくさんいます。
僕も含めでした。
なかなか具がありすぎて、
食べ切れない盆菜ですが、
円卓の皆さんのペースが落ちて来ます。
その時に、目を疑う光景が目撃しました。
空に舞い上がる花火がノンストップで15分も続きました。
もちろんその規模がビクトリアハーバーで行う花火大会のと比べられない、
高い建物のない広い新界の囲村の空に余計キレイに映った。
あの瞬間、金融都市の香港にいる感じがしなくなった、
かつての農村の時代にいると彷彿させられた。
爆竹、花火をするなんで、
厳密に言うと法律に反するのに、
なんでここでできるか疑問が既にあります。
そこで『新界』だからできるというモヤモヤな答えで片づけながら、
究明しようがないまま現在に至っています。
植民地になって150年以上にもかかわらず、
かわらないものはかわらない、
特に『新界』、
かわらない理由が何か今回の盆菜宴会で少し感じ取れました。
また機会があれば、ぜひ、お話をしたいです。
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