わずかの取り残されてる囲村の中、
「客家」を代表する囲村と言えば、
沙田と大圍の間の「曾大屋」に違いません。
1847年に【曾貫萬】という人が曾一族の数十人を連れ、
中国内陸から香港の筲箕灣まで出稼ぎに来られて、
そこで採石によって少しずつお金持ちようになり、
将来の曾一族のために、この静かな場所を選び、
お城ような大型住宅を建設しました。
1867年の完成のため、もう今年ちょうど150年になります。
昔では、他所の敵と盗賊の侵入を防ぐためにお掘りまであったが、
さすがに今はなくなっています。
一般の囲村のイメージとは変わらず、
レンガ作りの城壁で囲んでありますが、
徹底的な違いのが正面の玄関口から主軸は路地ではありません、
外部の「上堂」から、「中堂」、「下堂」と複数の堂を方形に配置した、
左右に建物が伸びていくのが客家という「夥房」の根本の構成だそうです。
ちなみに、「夥房」とは一族も住まれるような「住宅」、
そのため、厳密に言うと、ここは「囲村」ではなく、
「客家屋」と称すべきです。
では、ここから入ってみます。
いろいろ調べたところで、玄関口のこの門ですが、
かつては原住民の女の子が誘拐された後に取り付けたものだそうです。
なかんか見たことない形です。
まず、「上堂」を抜けて、左右にも普通に生活されてる村人がいます。
ただし、三分の一は住民ではなく、あとから入ってきた人だそうです。
普通に生活感が溢れています。(三分の一は空き部屋だそうです。)
「中堂」に入る前に、「祥徵萬福」と書かれてる石額が見れます。
これもまた歴史的なもので、1865年の清王朝から、
1865年、九龍城砦に駐在された清王朝の最高代表から【曾貫萬】のため、
本人から書き下ろしたものだそうです。
最も観賞価値高い所と言われてる「中堂」に入っていくと、
【曾貫萬】本人の肖像画が見れます。
写真には写っていませんが、
その下には巨大な屏風が飾られています。
屏風の上に金箔の材料によって描かれてるお祝い言葉があります。
これも100年以上のもので、今でも大事に保管されています。
それ以外、曾一族の一連な関連人物の写真なども並ばされて、
厳粛な空気が流れてると感じます。
また、曾一族が当時の官僚登用試験に積極的に受けに行かせるため、
「自宅」内に専用の勉強部屋も設けてる話が聞いたことがあります。
二階のこの辺りだそうです。
1870年、曾一族の【曾蘇】から挙人の資格が取れたことで、
自慢の歴史として、今でも語り続いてる模様です。
開放感ある中庭から空が見れます。
両側に人が住んでるところもあるが、
基本的にここものすごく静かです。
この中軸が政府から補助を受けてるため、
150年の歴史の古さを感じながら、ちゃんとメンテナンスがされています。
補助を受ける条件として、一般公開を容認することです。
そのおかげで、我々今でもこの建築物の中身がみれます。
それ以外の部分に補助はないため、
対照的に老朽化が目立ちしています。
「下堂」には入ってみましたが、
ご先祖様たちのお位牌が安置する場所であり、
お奉りする場所として利用されているようです。
写真を撮らずに一礼をしてから外へ出るようにします。
昔から引き継がれて、
今でも使用されてるこの横になってる柵もなかなか貴重です。
これだけのどころしか一般市民に公開されていませんが、
既に見所満載、
細かいところまでぜひ注目してほしいです。
犬の出入りのためで作られた専用通路(穴)もう見つけた、
建築当時に既にそこまで考えたことも脱帽です。
都会の喧騒から離れるこの大きな古びた建物ですが、
既に一級歴史建築に認定されています。
現代化によりコンクリートの森の群れから迫って来てる中、
しばらく絶好の位置で生食していてほしいですね。
アクセス:地下鉄の「車公廟」駅のD出口から徒歩10分程度
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