長い休み前に、
スワイヤー・グループの歴史を紹介する講座を参加してきました。
内容に対して、気になる仲間がいるので、
ここで少しを話してみたいと思います。
1816年創業のスワイヤー・グループ、今年は中国進出150周年になります。
中国進出する前に、単なるウールを販売する商社で、
二度の倒産を経験したが、それにしても商売するチャンスを伺いつづ、
遂に中国との貿易で財を成し、今日では香港で最大の不動産企業であり、
キャセイパシフィック航空を傘下に、
創業一族は香港上海銀行の筆頭株主でもあります。
講座の中で、中国進出の道のりに関して、詳しく解説してもらった。
そして、いくつあまり知らされてない秘話を披露して頂きました。
1)なぜ、スワイヤー・グループの広東語訳は「太古」にしたか?
会長が中国進出する時に、よく民家に「大吉」という赤い紙、
要するに揮春を見かけて、きっと縁起よい意味漢字と思って、
真似しようと思ったら、
漢字の慣れない外国人で「太古」に書き間違えた説がよく聞くが、
実はそうではなく、当時の上海の領事Meadowsさんは漢学者である、
「太初」「盤古」の意味合いで命名しました。
2)スワイヤー・グループのロゴは当時競争相手の商船旗の色反対版です。
そして、ある日に社員が会議でロゴに青いペンで無造作に書いたら、
あの時のロゴが今でも採用されています。
3)鰂魚涌の辺りに「太」からの街名が多いのもそこで製糖所を建てたから、
そして、皆さんもご存知する「康山」(Kornhill)ですが、
当時製糖所のマネージャーDr Ferdinand Kornがあの丘に住んでたため、
命名された。
以上話したのがその一部内容でした、
当時ライバルの存在であるジャーディン・マセソンとのいろな駆け引き、
なぜ、製糖産業が不動産企業に参入しなければならない、
その後、コカ・コーラと製糖所の関係性、
航空業界まで参入するも分析して頂きました。
成功の秘訣や今後の発展の話で締めくくった、
二時間の時間はあっという間に過ぎました。
講師の鍾寶賢教授がスワイヤー・グループからの依頼を受け、
グループの200周年を記念するために、
過去の歴史を本にした。
今回の講座でまさに本の凝縮版でした、
もし詳しく知りたい方なら、ぜひ本屋へ足を運んでください。
貴重な写真なども満載しています。
残念なことは、広東語しかありません。
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