錦田にとっておきな歴史的建築物がある、
つまり、
「錦田六圍」のうち一番有名な「囲村」の「吉慶圍」を紹介します。
宋代頃、この盆地に住むようになった原住民ですが、
約1465年~1487年の間、この村を作った、
最初はまったく壁なんかなかった。
壁を作るようになったのが清代1662年頃ぐらいでした、
海賊を防ぐためだった。
取材当日は日曜の午後で、
目の前に望んで行ったら、片手で数えきれる見学者しかいません。
いざ、中に入ろうとしたら、
付近の暇をしてるおばちゃんからグチグチする音が聞こえた、
よく話を聞いてみたら、中に入るには3HKDに払わないと行けないよと、
チャリティー目的だって、
本当かいと半信半疑してるが、まあ、小さい金額で、
あまり気にしなかった。
はい、この朱色ドアらしきものに小さいな開け口があるので、
よろしくね!
3HKDをさえ入れたら、安心取材できるもので、いいかな。
入る時に、まず注目してほしいのがこの鉄の門、
1898年、“香港の防衛”の名の下に、
清朝との“展拓香港界址専条”の締結により、
界限街以北、深圳河以南、
ランタオ島などの200余りの島嶼を含む土地を99年間租借したが、
当時錦田の住民がイギリス下の支配を拒否し、
吉慶圍を拠点にし、イギリス軍を抵抗する、
最終的にイギリス軍の火砲による、攻略したものの、
死傷者の住民も多かった。
そして、イギリス軍がこの鉄の門を取り外し、
戦利品として、ロンドンまで持って帰った。
住民が恨みを抱きながら、ずっとイギリスに返すように訴え続けた。
1924年、やっと返してもらうことができた、
ちなみに、この鉄門事件を映画化にしたことあるらしいね。
ジャッキーチェンの映画で,
よくある格闘シーンに出てる細い路地が交差されてる。
現代化の家になってる一方、
まだ昔のままのものもあります。
突き当たりには祠があり、
思ったより狭い祠、一周するには5秒もかかりませんが、
じっくり見てもそれほど時間かからないのがよいだ。
取材途中、また村人から声掛けられて、
最近まで、イギリス軍が隠して、残された火薬などみつかったよって、
どこどこの辺でみつかったよと熱心で説明してくれた。
ここまた半信半疑でした。
すごい立派な囲村とは言えませんが、
やはり石造りの高い壁をみて、
香港歴史の中での小さいエピソードに関わる場所もあって、
決して一回ぐらい見学に来る価値があると思いますね。
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