2016/04/03

最後まで対抗する歴史を刻む囲村~吉慶圍

先週の「誰にも注目されたことない~錦田」にも書いたように、

錦田にとっておきな歴史的建築物がある、

つまり、

「錦田六圍」のうち一番有名な「囲村」の「吉慶圍」を紹介します。

宋代頃、この盆地に住むようになった原住民ですが、

1465年~1487年の間、この村を作った、

最初はまったく壁なんかなかった。

壁を作るようになったのが清代1662年頃ぐらいでした、

海賊を防ぐためだった。



取材当日は日曜の午後で、

目の前に望んで行ったら、片手で数えきれる見学者しかいません。


いざ、中に入ろうとしたら、

付近の暇をしてるおばちゃんからグチグチする音が聞こえた

よく話を聞いてみたら、中に入るには3HKDに払わないと行けないよと、

チャリティー目的だって、

本当かいと半信半疑してるが、まあ、小さい金額で、

あまり気にしなかった。


はい、この朱色ドアらしきものに小さいな開け口があるので、

よろしくね!

3HKDをさえ入れたら、安心取材できるもので、いいかな。



入る時に、まず注目してほしいのがこの鉄の門、

1898年、“香港の防衛”の名の下に、

清朝との“展拓香港界址専条”の締結により、

界限街以北、深圳河以南、

ランタオ島などの200余りの島嶼を含む土地を99年間租借したが、

当時錦田の住民がイギリス下の支配を拒否し、

吉慶圍を拠点にし、イギリス軍を抵抗する、

最終的にイギリス軍の火砲による、攻略したものの、

死傷者の住民も多かった。

そして、イギリス軍がこの鉄の門を取り外し、

戦利品として、ロンドンまで持って帰った。

住民が恨みを抱きながら、ずっとイギリスに返すように訴え続けた。

1924年、やっと返してもらうことができた、

ちなみに、この鉄門事件を映画化にしたことあるらしいね。 




ジャッキーチェンの映画で,

よくある格闘シーンに出てる細い路地が交差されてる。



現代化の家になってる一方、

まだ昔のままのものもあります。





突き当たりには祠があり、

思ったより狭い祠、一周するには5秒もかかりませんが、

じっくり見てもそれほど時間かからないのがよいだ。






取材途中、また村人から声掛けられて、

最近まで、イギリス軍が隠して、残された火薬などみつかったよって、

どこどこの辺でみつかったよと熱心で説明してくれた。

ここまた半信半疑でした。

すごい立派な囲村とは言えませんが、

やはり石造りの高い壁をみて、

香港歴史の中での小さいエピソードに関わる場所もあって、

決して一回ぐらい見学に来る価値があると思いますね。




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