香港のマフィアの組織名の由来の続きですが、
次は話したいのが「和合圖」、
清仏戦争から反仏感情がイギリス領の香港に飛び火、
埠頭でストライキが蔓延され、
各派閥の紛争を対抗するために、
12名の西環で働く苦力により、1884年結成された組織です。
組織名の意味は「平和団結、事業が素晴らしく広がって行く」と言われるが、
「平和団結、清に対し謀反を図る」の意味も含まれてる説は否定できない、
たしか孫文氏の革命を支持した証拠があったようです。
現在「和合圖」の主な勢力は香港島の西区であるが、
実は香港仔の魚市場も根付いた独自の勢力を持っているよ。
また、この組織は今香港の黒社会に珍しい「489龍頭」体制が相続されてる、
龍頭とは会社の代表取締役のように、一番トップである代表です。
下記アップル新聞よりの典型的な黒社会組織図で、
次、紹介するの組織はこの制度とかけ離れてるようです。
(From : Appledaily)
「新義安」、知る人ぞ知る、むしろ、日本で一番知られてる組織、
正式な記載では、本来「萬安」という名付けした組織は1858年成立した、
香港の3つ小さい組織「萬安社」、「福安社」、「太平山体育会」より
合弁したものです。
ちなみに、「萬安社」の成員は客家人を中心に、
「福安社」、「太平山体育会」の成員は福佬人を中心です。
1919年、龍頭がおなくなり、組織分裂し始め、
「太平山体育会」の主幹成員より、「義安」を結成した。
さらに、1921年、勢力の拡大を図り、
植民地政府に合法組織として、
「義安工商総会」の名で登録した、
当時の成員は千名もいた。
日本から占領時期、違法組織と判断され、
地下活動に転向になり、
1945年9月また地上化に復活され、
当時成員6000人もいた。
1949年、警察から違法組織と判断され、
「義安工商総会」の登録が取り消されたようになった。
では、いつ「新義安」になったかどういうと、
確実な記載はなかったが、
過去の内部書類を分析した結果、
1953年以後の成立が判断された。
おそらく登録の取り消すにより内部勢力を維持するためで、
新たな名前を付けたと推測されてる、
今組織内の成員でも「新義安」と「老義安」に仕分けてるようです。
「新義安」に関する話は本当に尽きないので、
また次回か別の機会にしますね。
↓你按一下,我個blog就可以係日本或香港更受人關注,可以令更多人有機會睇到!
0 件のコメント:
コメントを投稿