気づいてる方もいるだろうと思いますが、
香港の至る場所がなぜかこの「グリーン」を目に入る、
思い出してみてください。
街端にはみ出る屋台、露店から、
シンボル的な存在のスターフェリー、路面電車、
約30年前で使用してたピークトラムの車体まで
すべてがこの「グリーン」をテーマ色にした。
実はある理由で専門家からの分析でわかりました。
一般な視点としては、
この色が目立ちながら、耐用性があるという理由で使用し続けた。
一方、
屋台や露店の運営規制に関して、
外貌の色の指定など特にルールあるわけではありません。
基本的に色使いは自由です。
香港大学の副教授の李浩然氏が有力の説明による、
1945年戦後、
香港の経済発展がそれほど著しくなく、
社会的な消費風潮がどちらからというと保守的、
とにかく実用性を重視し、
単価が安いものを選ぶスタイルでした。
香港植民地政府もうそうでした。
この「グリーン」は第二次世界大戦で軍用車両など設備で使用してた色です。
戦後と伴い、
大量「グリーン」と軍艦で使用された「灰色」のペイントが残された。
在庫あまりにも莫大のため、
低価格で政府機関から民営事業までにさばくのが消耗する一番の近道。
まさに当時のニーズにビッタリです。
そして、この色が「緑」であることで、
ちょうど広東語の「禄」の発音が同じで、
福禄寿の「禄」の意味でも取られて、
縁起のよいことで一般市民まで受けられやすい説もあります。
さらに、
戦後まもない頃に、
物資不足の原因もあり、
建物などでも白や灰色の塗装がほとんど、
「グリーン」を使用すると、
目立つことで商売などにも有利ではないかと思われています。
大きなものから小さいなところまで、
この「グリーン」の存在が必ず気づいてると思います。
今もうあまり見れない石油ストーブ(広東語は「火水爐」)、
唐楼の窓枠、かつて公園などでも見れるベンチもこの色です。
しかしながら、
高度経済成長とともに生活も豊かになり、
使用できる物資も簡単に手に入れ、
色使いの選択肢も増えて来ます。
そのきっかけでこの香港の貧しい時代を象徴する色が見れなくなり、
逆に街の中で見つかると、
なぜか親しく写真を撮りたがる存在のテーマ色になっています。
ちなみに、
湾仔にある有名な「ブルーハウス」ですが、
青くになるのがペイントにまつわる偶然だそうです。
返還を機に古くなってる外壁を一新するという発想で、
最終的に取り壊す予定だった「ブルーハウス」を青くした。
なぜ「ブルー」を選んだかというと、
当時政府には最も在庫が多かったペイントは「水務署」だからです。
あまりにも奇抜な色がついてる建物で、
次第に有名になり、
多くの見物する人達まで呼び寄せる魅力にかわり、
政府が心機一転か一級歴史建築物を認定した上、
取り壊しの運命から逃れることができた。
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