2018/08/23

都会中に少数のビルで作られた客家村

街づくり、施設の建設による、
原住民がやむを得ずに移動させることがここ数年からではなく、
植民時代からも既に行われてるものです。
その中に、
一村落が丸ごとで都会に移植させて、
まったく違和感のないように潜んでることは香港内には珍しいです。



ご紹介したいのがここ荃灣にある【石碧新村】です。
広東語をマスターした方なら、
この村の源がどこにあるかわかるはず。
英語は【Shek Pik New Village】です。
もうお分かりでしょうか?
そうです。ランタオ島にある【石壁ダム】の場所に拠点をする客家村です。


1950~60年頃、香港の高速発展と伴い、
水不足の問題も浮上してきます。
そこで植民地政府が当時ほぼ未開発のランタウ島の石壁谷を目に付け、
この辺りの【石壁郷】を証する場所にダムを建設することに決行しました。


当時建設を予定される場所に数個村落が合計200人程度を移動させるために、
植民地政府からよりランタオの奥にある【大浪湾】に移すか、
街づくり真っ最中の【荃灣】に移転するという二案があった、
最終的に村人が【荃灣】の移転を選択した。
その後、数個村落が丸ごとで都会に移植させて、
まったく違和感のないように潜んでることは香港内には珍しいです。


1960年11月、植民地政府が村人のための新住居が落成された。
村人もこの時期に合わせて引越の準備も整えた。
自身の荷物だけではなく、
村にある『洪聖古廟』の中の聖爺像まで背負って、
荃灣】の住居に移転をした。
村人が簡単に祀ることができるように今の建物の中に聖爺像が設置された。
外から見上げると、廟の代わりになる空間が高所にあります。



普段通り過ぎても何も違和感の村ですが、
まさに空中の廟がここにあるとは知らなかったはず、
なぜか最上階に設置しないといけないかどういうと、
神様が人間より下に置かれることが考えられない伝統があったためです。
香港の中でも極めて貴重な廟です。


ここは【石碧新村】と命名されたが、
すぐそばにある遊園地にこの当時を記録したような掲示版もみつかった。
【石壁】のままでした。
どころで、今取り残された建物が当時のすべてではなく、
90年代に入り、その内の二棟がデベロッパーから購入され、
その後、高層マンションに再建設されました。
今の【石碧新村】はあと何年で消えて行くだろう?


余談ですが、
既に【石壁ダム】の水底に昔の石壁郷】の遺跡が残留されたまま、
相当干ばつ時期になれば、
底に何かあるかみつかるウワサが既に広がっています。
実際はどうだろうね。

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