青春時代が太子道に過ごした香港魂ですが、
なぜかこの道の名前が広東語と英語でもおしゃれな感じを原因に、
太子道沿いマンションの一部屋を選び、住んでみた。
この道の本来の名前、「宜華徑」と言うのを知らなかったまだ!
旺角と九龍城をつなげるために、1920年代から構築し始める道路です、
1922年、ウィンザー公エドワード(当時の称号~エドワード王子)が来港、
道路の建築現場までに見学してきたきっかけで、
道の名前を「愛德華皇子道」に改名された。
その後、「英皇子道」に再改名された。
道路が1924年4月に正式開通できたが、
1935年、香港島の「英皇道」も開通、
あまりにも二者の名が似て、市民に混乱させないように、
最終的に今の「太子道」に三度改名された。
では、なぜか東と西に分かれたかどういうと、
1930年代から啓德空港と九龍湾辺りが開拓され始め、
道が九龍城より牛池湾までに延長し、
先にできた方が「西」を称し、延長分が「東」として、
区別するようになった。
(インターネット写真から引用)
ちなみに、1943年啓德空港の滑走路を延長することによって、
太子道東を横断してたことが上記写真の赤いマーク所でわかります。
航空機の離着陸時はこの道路の車両、歩行者を止めらないといけません、
1958年新しい滑走路が完成するまではとても面白い光景でした。
(現代なら、ジブラルタル国際空港も同様の光景が見れます。)
ところで、ウィンザー公エドワードをご存知ですか?
ウィキペディアによるは下記のように説明されています。
婚歴のある平民のアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと結婚するために
グレートブリテン王国成立以降のイギリス国王としては歴代最短の在任
期間わずか325日で退位した「王冠を賭けた恋」で知られている。
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