去年秋ぐらい、
セントラルの「ミッドレベル・エスカレーター」を利用する時、
一角の風景に対して、気になってて、
「あれ!なんかありそう!?」
今までの取材で育てられたカンが反応した、
すぐに謎のままで頭にはてなだらけに、
とりあえず、写真を撮って来ました。
これだ!
何も思えませんよね?
そして、半年経過したら、この謎が解けました。
なんとそれは香港の中心部に最長の古民家の遺跡地だそうです、
単なる歴史研究家によるリサーチ結果で、
政府側からの認定はまだまだのようです。
今になると、はっきり壁らしきものがみえるようになってる、
この壁は古民家の壁である、しかも一軒の家の壁ではなく、
五軒の家で共同使用されてる壁であります。
1903年香港植民政府による新条例、
必ず、建築物の背後に1.8メートルの路地裏を保持すること、
よって、この壁の作りから見ると、
1903年以前で建てられたものと考えられてます。
(明報新聞よりの写真)
壁の青レンガを検証してみると、
建物自体がさらに遡りの1887年以前で建築された可能性が出てきた、
あの年、植民政府からの条例の規定により、
建物の最下層は赤レンガを使用しなければなりません。
また、1887年建物の本来一部の売買記録があったため、
建物の所有権は一人以上とわかった、
壁の一貫的な作りから見ると、同時に建てられ、
この民家の所有権は一人のものだったと考えられてる、
まさにもう一つの1887年前で建てられた証拠になっています。
当時の一貫の建物の配列はこの図面のようです。
(明報新聞よりの写真)
総合的の1860年代の遺跡だと判断された、
わりとお金持ちの香港人家という推測もあります。
では、なぜ今さら気づいたかどういうと、
二本道と真ん中にある遺跡で小さな斜面に構成され、
エリア開拓当時、取り壊すにはいろな探査作業が必要、
その上、莫大な費用も発生するかもしれない、
それほど手間と費用をかけたくないため、
結局、擁壁にしてしまった。、
その周辺にある建て替えた民家が1967年から、
建物の老朽化のため、取壊しに申し込んだが、
作業終了後に土地が政府に戻し、
そして、ずっと囲まれて、外部からあまりみれなくなり、
気づかないも当然だろうね。
今後、ちゃんとした「遺跡」として、世の中に公開してほしいです。
遺跡の場所:閣麟街25-33號辺り
遺跡の場所:閣麟街25-33號辺り
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